ワタシのスキー史2 「本格的にスキーに取り組み始め~バッジテストへのチャレンジ」より続き
14. 更なる高みを目指す ~1級受験への道~
2級に受かった2003年春からずっとやぶはら高原と開田高原マイヤの両スキー場を中心に練習してきました。
スクールに入ったり、やぶはらではいつも決まった食堂に行くので(今は無き、「第三ロッヂ」詳細は後述)そこで知り合った先輩方(クラウンをお持ちの方もいて)に教わったりして一生懸命練習しました。
その頃の写真
前出のY先生にも散々教え頂き(Y先生はスクールが無い時にも一緒に滑ってくださって、内緒で教えて下さったりして)、技術向上を狙っていきました。
兎に角がむしゃらに滑ってました。Y先生が必ず仰っていた事は「楽しく滑らなければ続かない」という事。選手などではない我々にとってスキーはレジャーの一つであり、苦しいレジャーなど無いのだと仰っていました。レッスンの最後には「最後の一本ですので思い思いに楽しく滑りましょう!!」と言ってフリーランとなるのがいつもの終わり方でした。お陰様で今まで苦しい事は無く(上手くいかない事は多々ありましたが)楽しくスキーを続けられております。
そんなある日、Y先生のレッスンを受けていると(結構いつもプライベートレッスン的になる)先生から、「そろそろ1級受けてみたらどうかね?ダメ元でさ。」というお話を頂きました。そもそも1回目で受かろうという事を考えるのではなく、どんなものか試してみるのもいいんじゃないの?的な事も言われ、そういえば2級の時もそんな気持ちでやったから良かったんだと思い出し、受けてみることにしました。
それは2006年の1月の事でした。1級受験には事前講習が必要です。その日は一日レッスンでしたがその中で事前講習もしていただき、事前講習の証明書を頂きました。
その頃の苦手は相変わらず小回りと、1級での必須科目のコブ。
実はやぶはら高原のコブの検定バーン(通称2コブ)は厳しくて有名。深い凍ったコブが待っているのです。
そんなの滑れない!!という僕にY先生は、「君は大回り、中回りが得意なのだから、コブは捨てて得意種目で得点稼いで、小回りを何とかすればきっといい線行くよ。」とアドバイスを下さいました。「コブなんか不格好でも何とか降りて来れば良いのだから。」との事。
それからはコブをとりあえず降りられるようにする(なんとなく滑っているかのようにズレながら)ために滅多に入らなかったコブも入り、小回りも体が遅れないように練習しまくりました。
師匠の教えは、何時も楽しく!なのだから、練習の終わりには必ず中~緩斜面を大回りカービングターンでぶっ飛ばす!!というのをやりまして、受かる気が全くしない1級受験へ備えたのです。
途中2月頭に熱を出し、スキーに2週連続で行けないという事もありながらも2006年3月2日、1級を受験するのでした。
15. 運しかなかった思い出の1日 ~1級受験とその結果~
2006年3月2日(木)。平日。会社を休んで平日設定の1級試験日に行きました。
天気は朝一番こそ曇っていたものの晴れ。快晴。前日夜に雪も降って、寒くてゲレンデコンディションは最高!
午前中スクールが開く時間に申し込みに行って(既に2番目だった)午前中の事前講習も(既に1月に受講していたが受けることにした。
僕のゼッケンは2番でした。
その後一人で少し気持ちよく滑って、気持ちを高めて事前講習。
事前講習も気持ちの良い最高のコンディションで受ける事が出来ました。
事前講習での先生のコメントは
大回りは特に問題なし。
小回りは、体が後ろに残る(後傾)のでスピードが出て制御できなくなっています。もっと体を谷へ落とし込みましょう。
フリー滑降は何とかOK。ギルランデによる小回り時に腰が引ける(やっぱ小回り)。
中回りはOKだが、ちょっとターン弧が小さいかな。
不整地(コブ)はスピードは速くなくて良いのでとにかく同じリズムでゆっくり滑り降りてきて下さい。足を揃えて(両足の内側のくるぶしをくっつける意識で)降りてこられると良いのですが・・・。
お気楽、受からないだろうと思っている検定受験とは言え緊張していたのだと思います。お昼はあまりのどを通らず、いつもなら大食いの僕もこの日は山菜うどんだけ、あまり味も覚えてなかったです。
第三ロッヂの大将(ご主人のあだ名)に今日はなんだか暗いね・・・って言われるくらい緊張していました。
早々にお昼を食べて、リフト1本ぶっ飛ばして滑ってから、検定バーンで練習。朝に言われた事を思い出しながら滑りました。
とにかく大回りと中回りの目標点数を72点と決めて、あとは捨てて行く作戦です。
検定は13:30に国設3ゲレンデ(現在 こく3A)に集合となっていました。2級検定の方々と一緒です。
当日は1級受験者(赤ゼッケン):7名、2級受験者(青ゼッケン):5名 でした。
いよいよ緊張の検定がスタートします。
【1種目目:大回り】国設3ゲレンデ上半分、ゼッケン1番から順にスタート
得意な大回りからのスタートで嬉しかった。楽しそう感とスピードを出すことを心がけた。ラインがあまり縦にならず、ちゃんと板に働きかけている事を示せる幅を使った深めのターン(外足加重)で滑った。いい感じだった。
【2種目目:小回り】国設3ゲレンデ下半分、ゼッケン3番から順にスタート
苦手だから吹っ切れていたのかもしれない。体をフォールライン方向へ落とすことだけ、お尻が遅れないように頑張って滑った。ちょっと中回り気味だったかもしれないけど、自分としては今まで滑った中で一番良い出来だったと滑り終わって思った。
【3種目目:フリー滑降】国設3ゲレンデ、ゼッケン5番から順にスタート
フリー滑降は現在の総合滑降。
大回り同様スピード感重視で、楽しそうに滑ることを意識した。大回りは外側加重の深回り意識。
大回り5ターン→ギルランデ小回り→大回り1ターン(方向転換)→ギルランデ小回り→中回り→ゴール
という順で滑った。2回目の小回りで腰が引けてちょっと焦ったが総じては何とかなった。
←滑り終わって後続の人たちを見つめるメンバーと検定員(上の方)
【4種目目:中回り】国設2ゲレンデ、ゼッケン7番から順にスタート
これも得意種目なので、しっかり外足加重が出来ればOKっと思いつつ滑りました。目線の先送りだけ注意していました。
でも、ここには悪魔が。
滑り始めて前半は絶好調♪
(* ̄▽ ̄)フフフッ♪ こりゃ行ける!
と
と
残り3ターンの所で
Σ( ̄□ ̄)! んがっ!!
凸凹がつ!!
と
そのまま体が開いて後傾きに。
修正できずにゴール・・・。
ああ・・・得意種目を落とすという・・・。
かなりブルーに。その証拠に滑った後の写真撮ってないし(余裕なし)。
【5種目目:不整地小回り】2こぶゲレンデ、ゼッケン2番から順にスタート
2こぶはとにかく異常にコブが深いのです。ちなみに主任検定員も転んでました。
ただ、主任検定員が転んだことで皆大分気が楽にないりました(今思うとガチガチに緊張していた皆をわざと転んでリラックスさせたのかもしれません)。
バーンはアイスバーンの深いコブ。
前走の先生もラインを慎重に確かめる位厳しいコース。
前走が終われば、スタート順が僕から。よりによって一番苦手種目でしかも気持ちが落ちている時に。
コブの裏側をしっかりと両足でとらえて、足はそろってなくてもずっと同じリズムでスピードを殺して滑る事だけに徹した。
何とか転ばずに降りる事が出来て、ゴールした時には「よっしゃ!終わったっ!」ってガッツポーズしながら叫んでしまい、ギャラリーと先生方に笑われてしまいました。
「おぉぉ~っ!降りてきたよぉ~!」「あぶねぇ~っ!」「おっ!持ち直したぞっ!」「すげー、すげー」「あ~っ!転んじゃったね、残念!!」「この斜面厳しいねぇ~」等声が絶えない。
評価する人々、スタッフとして手伝う人々も楽しむ検定でした。
15:00丁度位で終了です。
【自己採点】
自己採点 大回り:72点、小回り:69点、フリー:71点、中回り:69点、不整地:67点 計:348点
で不合格。
なので・・・
第三ロッヂでくよくよして、ソフトクリームをごちそうになって、常連さんの皆さんとお話ししながら発表時間まで待ちました。
予定の15:45に発表会場に入ります。
最初は2級発表。「2番 @$%*さん」
・・・『おおっ!いいなぁ~っ!あっちは2番は合格か・・・』なんて思いながら
も拍手。「おめでとう!!」ですね。
2番~5番の4名が合格でした。
続いて1級。
いきなり「2番 けーごさん!」って呼ばれました。『今、けーごさんって呼ばなかったかい?』『うぉ~っ!!合格じゃん!!すげーっ!!』・・・って思いながらも、冷静ぶって合格証を受け取りに前へ。手は震えるし・・・もうドキドキでした。
成績は結局
大回り=71点、中回り=71点、小回り=70点、不整地小回り=69点、フリー=72点 合計=353点
合否判定コメント:全てにおいて種目内容を理解していた。早いリズムになるとニュートラルポジションに戻れない。
本日の1級合格者は2名でした!!
中回りが自分の感覚より良かったことと、フリーが最高に良かったので、何とかなりました。
やっぱコブは悪かったけど、コースの状況が考慮されたのかもしれませんね。
頭でっかちのスキーをしている事が良くわかるコメントでした(笑)。
合格発表が終わり、バッジと合格証を頂き、Y先生に報告。Y先生、笑顔で「今日の滑りは良かったもんな!」って言われて嬉しかった。ただ、「一回で受かっちゃいかんな!またこれからも練習しろよ!」とも言われましたが。先生は喜んでくれたみたい。
第三ロッヂに戻って大将や奥さん、常連さんに報告。お祝いのジュースなどを頂きました。
この日は僕のスキー人生の中で忘れられない一日になりました。