三月ウサギの庭とハーブ

東北の小さな街に夫と二人暮らし。
ナチュラルガーデン作りを楽しんでいます。
ローズマリーがお出迎えの庭です。

私の居場所

2012年02月28日 | 日記

 

 

 私専用のPCコーナーです。

狭い机なので、側のダイニングテーブルで書き物などはしています。

机の左の方、赤い三段お重に小物を入れています。

先にUPしました「お気に入りのチェスト」のお店から

ただで貰った重箱です。

木製なので、箱の底にひび割れが1段あります。

蓋も木製なので反り返っています。

昭和初期頃の物なそうです。

漆は、はがれていません。

彫り物もしっかりして、きれいです。

ぴかぴかつるつるしています。

ごちゃごちゃした小物類が分類できて便利です。

これもチェストと同じようにお気に入りです。

 

右の方はアリス

「不思議の国のアリス」が好きで、いろいろとアリスグッズを収集しています。

その一部です。

義妹がデイズニーランドに行く度に、アリスをいろいろと買ってきてくれます。

 

アリスのクッキー缶だって私にとっては宝物ですよ。

 

 

昨年の大震災で、版画家山本容子さんのアリスが壊れてしまい残念です。

 

松葉が細かい彫です

 

 

 

 

 

 

 

金箔もはがれていません 


ローズゼラニウム

2012年02月26日 | 日記

 

 

15年程前に友人から頂いたハーブのローズゼラニウムは

寒い戸外では冬越しできません。

 

それで毎年11月頃、挿し芽をして陽の当たる窓辺に置いておきます。

今年も最初のかわいい花をつけてくれました。

いい香りもします。

 

春になったら、大きな鉢に植え替えをします。

 


加水素水

2012年02月24日 | 日記

 

勤め先から加水素水の真空パック3ℓ入りを頂きました。

 

私もよく解らないのですが、身体にいいとか

 

勤めている会社兼自宅に、20才という超高齢の猫がいます。

その猫が最近食べなくなって

心配した経営者が病院に連れて行き、点滴を受けさせています。

その際に先生からこの水を勧められたそうです。

人間にもいいそうで、糖尿病、高脂血症、身体から老廃物を出してくれるとか

あとなんだったかしら、兎に角いろんな病気にいいとか

まるで魔法の水のようです。

 

 

 

友人T君の奥さん、両手の指が老化のせいで、第一関節のほとんどが変形していました。

それもひどく変形して、曲がっていました。

T君から水素水で治ったとは聞いていましたが

私達は信じていませんでした。

ところが、最近その奥さんに会った友人のNちゃんは驚いたそうです。

奥さんの指がまっすぐになっていたそうです。

 

Nちゃんも指が変形しています。

痛くて痛くて、夜も寝られないくらい病んでいました。

私が間違って、ちょっと彼女の手に触れてしまったら、飛び上がって痛がっていました。

それでとうとう彼女は、仕事を辞めてしまいました。

それなのに、その奥さんは治っている

 

以前から水素水を飲んでいたのは知っていましたが、本当に水素水で治ったの???

今度は私が確かめてきます。

 

 

話しは元に戻りまして、その病院では空になったこの容器を持参すれば、

1000円程で3ℓの水素水を注入してくれるそうです。

スーパー 特売の水を買っている我が家には、水素水は高価な水です。

私はもう少し猫の様子見します。

 

 

 

 


クロちゃん

2012年02月20日 | そらとdai

そらが住んでいるマンションのお向かいの家のクロちゃんです。

お天気のいい日には、日向ぼっこしています。

私もクロちゃんに会ったことありますが、初対面でも吠えたりしません。

いつも道路に面したところにいるせいなのか、人慣れしているのか、人に反応しません。

そらはクロちゃんに興味があるようです。

クロちゃんに寄っていきたそう

ママはハラハラだったそうです。


昭和そして叔母達のこと

2012年02月19日 | あの頃

写真の叔母(母の妹)は、25歳ぐらいだったかと思います。

お洒落な人で、独身時代はダンスホールに行ったり、洋画が好きでよく映画館に通ったそうです。

福岡在中の姉(私の母)の側に来て、私の父の紹介で叔父と結婚しました。

「お酒も飲まず、タバコも吸わない人でないと結婚しない

と、叔母は言っていたそうです。

そうしたら、父は本当にそんな人を見つけてきたそうです 

お付き合いしたら誠実で楽しい人だったそうですよ 

 

子どもを二人生んだ頃から少しふくよかな体系になってきましたが

私の幼い記憶の中では、きれいで素敵な叔母でした

叔父は鹿児島出身の人で、いつも冗談ばかりいっているような愉快な人でした。

二人とも私の事は自分の子どものように可愛がってくれて

いろんなところに連れて行ってくれました。

 

一番の思い出は、叔母達家族とサーカスを観に行ったことです。

私の人生では今のところサーカスはあの1回切りです。

あの興奮は今でも鮮明に覚えています。

 

鹿児島の叔父の実家にもお泊まりに行きました。

庭先には黄色いとても大きなみかんがいっぱい生っていて驚きました。

あれはボンタンだったの?

 

昭和30年代初めに、叔母達のお蔭でいろんなものを見て経験して

楽しい思いをさせていただきました。

 

叔母は病気のため59歳で亡くなりました。

叔父は病気の後遺症で、ほんの少し身体が不自由ですが元気です。

毎年私が送るりんごを楽しみにしていてくれます。

皮もむかず、まるまる1個食べて、「もっと食べたい。」

と言って、従妹を驚かせています。

 

おじちゃんが撮ってくれた写真は、今もこうしてちゃんと残っていますよ。

 昭和33年 神戸のデパート屋上にて

 

鹿児島本線 出水駅にて 

九州新幹線の停車駅  ツルの飛来地で有名な出水(いずみ)市です

出水は叔父のふる里です

叔父と従妹弟たちと  昭和33年3月15日


昭和33年 神戸にて

2012年02月18日 | あの頃

NHKの連続テレビ小説「カーネーション」を観ていて、子どもの頃を思い出しました。

ワンピースやスカートは洋装店で作ってもらい、毛糸のセーターやカーディガンは母の手編みでした。

それらには既製服にはない手作りの優しさがありました 

今のように物に溢れ、安いのでは手間暇かけるより、買った方がいいのかもしれませんが…

 

私の二人の息子達には、小学低学年頃までは

セーター、ベストは私の手編みを着せました。

 

二男のお遊戯会で、白いセーターを指定された時は

縄編み模様のセーターを夜なべして編みました

 

「ゲゲゲの鬼太郎」のチョッキを編んで欲しいと

小1の長男に言われた時のリクエストには応じませんでしたけど…

鬼太郎が妖怪が家の中を歩き回るようで

気乗りしなかっただけです。

 

母の実家が神戸なので、幼稚園や学校が長い休みの時はよく神戸に行っていました。

写真は神戸駅前だったのかな?

後ろの方のビルに、「イタリア映画映画祭」横断幕が、何とも古いわねぇ

写真の裏に、神戸 6才 と記載されていました。

従妹とお揃いのワンピースも叔母のワンピースも、洋装店で誂えたものです。

私と従妹の履物がゲタなんです。

かかとのところに鈴が埋め込まれていて、一応お出かけようのゲタだったかと 

今でいうサンダルのようなものかしら 

 


ふるさとの風景

2012年02月10日 | あの頃

 

 もうこの桜並木は、見られなくなりました。

 

スーパー堤防を造るために、昨年伐採されてしまいました。

 

  磐井川堤防に植栽されている桜は、昭和22年のカスリン台風、

翌年のアイオン台風の大災害から早期復興を祈念し、

昭和26年に植樹されたもので春には多くの市民に

憩いの場を提供して参りました。

今般、磐井川堤防改修に伴い、堤防に植栽されている桜を

伐採せざるを得ないことから、堤防改修後に桜並木を

再生するため伐採前の桜の穂木を接ぎ木し育成しているものです。(市のHPより)

 

 

という事だそうです。

桜が再生されて、お花見できる頃まで

私は もう生きていないだろうなぁ

昔々、子供たちと花見をした下の橋堤防の大きな一本桜も もうないよ

 


思い出いっぱいのS社宅

2012年02月05日 | あの頃

新築のS社宅に入居したのが、昭和58年8月でした。

我が家が、初代寮長になりました。

何事も経験と、一番若い夫が押し付けられたと思っています。

 

3LDKと広く、世帯毎の花壇もあり、公園には滑り台、ブランコ、砂場があって

当時、幼稚園児の長男は大喜びでした

 

二年後、仙台へ転勤になり、その後北上を経て

平成になって、またここに戻って来ました。

それから16年間もこの社宅にはお世話になりました。

社宅が閉鎖になる7年前頃から入居者が1軒減り、2軒減りと

とうとう最後は4軒になってしまいました。

 

それで自主的にN家と我が家で管理しようということになりました。

花壇や公園の草取り、駐車場の除雪は広いので大変でした。

それでも花壇は使いたい放題なので、二軒で菜園にしたり、

ハーブやお花をいっぱい植えたりして楽しかったです 

遊具が撤去された公園には、私の大好きなマーガレットを植えました

三階のベランダから眺める四季の景色には癒されました 

 

長男も二男も高校は地元ではなく、下宿や寮生活でしたが

この社宅に帰って来ると、ほっとするようでした。

 

写真の子供たちは、昭和の時の社宅で

仲良しになった三家族の子供たちです。

昭和62年だったかと

釜石のYさんの社宅に、お泊りに行った時の写真です。

三家族で温泉旅行に行ったり、お互いの赴任地を訪ね合ったりして

楽しい思い出ばかりです。

 

東日本大震災では、山田町のYさんは津波で家は被災したけれど

ご無事で何よりでした。

仙台のKさんもご無事でよかったです。

 

二男は平成の社宅で幼馴染だったTちゃんと結婚しましたし

やはりS社宅は私達家族にとっては

思い出いっぱいの大切な我が家です。


いくじぃ

2012年02月04日 | そらとdai

そらは我が家の初孫です。

そらが誕生する前から夫は自分のことを「じいちゃん」と呼んでいました。

私の事も「ばあちゃん」と勝手に命名したりして

なんて呼ばせようかと、随分と迷いました。

あ~ちゃん (ばあちゃんから、抜き)

ま~ちゃん (名前がま〇子だから)

ま~ばぁ (ま〇子ばあちゃん)

ぱ~ばぁ (パパのお母さんだから)

 

お嫁さんのお母さんは 「かか」とか

お嫁さんのお母さんからは、「まーま」にしたらと言っていただきましたが……

 

結局、そらが混乱しないように 「じいちゃん、ばあちゃん」 でいいのかなぁと

 

そら9か月

そら1歳5か月

じいちゃんは自分を捨てて、御奉仕に徹していますね。

全身であやします。 バカ踊りもします。

ご飯も食べさせてあげます。

お風呂も入れます。

それがこの笑顔なんですね

 

私は自分を捨てられないので、ダメなのかな?

夫から「ばあちゃんは、そらくんの食事に気を遣い、洋服やご本を買ってあげたり、

いろいろとお世話しているのに、懐いてくれなくてかわいそうだね。」

と言われてしまいました