to GUMBO from SOUND PARADISE 2020

Keep natural, always calmly.
No sound, no paradise.

癒しのひと時・・・。

2015-08-02 | Weblog
7/25、音道バンドとのジョイントライブ「音・楽園in茅ヶ崎Ojisanchi」は、去年のクリスマス以来の久々のライブとなった。来場してくれた皆さんの暖かい応援のおかげで、去年同様に演奏する側が癒される気持ちの良いステージとなりました。参加したすべての皆さんに感謝です。
サンパラ、音道、そしてジョイントセッションと、両者一緒になってのプレイは、少しばかり真夏の茅ヶ崎に涼風を起こせたかも・・・。

LIVE INFORMATION

2015-07-19 | Weblog
7月25日(土)夜、茅ヶ崎南口、OJISANCHIにてライブやります。
ご都合よろしければ是非遊びに来てください。
『音♪楽園2015Summer at 茅ヶ崎』
開場:6時30分、開演7時30分、MC1500円(1ドリンク付)。出演:サウンドパラダイス、音道バンド。宜しくお願い致します。

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2015-05-03 | Weblog
タル・ウィルケンフェルド(Tal Wilkenfeld)
ジャズ界では誰もが知ってる新進気鋭天才ベーシストなんだろうけど、最近知った自分としては何度見ても吸い込まれてしまうような魅力的な女性ミュージシャンで、誰からも愛されるタイプだ。


今年最初のパイプライン4/18。

2015-04-16 | Weblog
今年最初のパイプライン出演は、初共演のゲストバンド「ソウルEdgs」を迎えての参加となる。インストの強力ユニットとの共演とあって、しっかりとフロントアクトを勤められるよう頑張らねば!。
平塚パイプラインは去年の12月以来となる。湘南方面の方に限らず、是非、「ソウルEdgs」は必見です!!。
万障お繰り合わせの上遊びに来てください。
4/18(土)開演:19時30分~。・サウンドパラダイス、・ソウルEdgs
http://scn-net.easymyweb.jp/member/pipeline/

FIRST LIVEは、4/4(Sat)野毛SAM'S BARで!

2015-03-11 | Weblog
2015年のFirst Liveは、4/4(Sat)野毛サムズバー。2013年8月24日以来二度目のチャンスを頂いた。Main Actは「戸塚憲吉&ブルース・フレンズ」。ブルースバンドの大御所BFのOpeningをやらせてもらうことになった。お友達の皆様、ようやく春らしくなってくる4月最初のサタデーナイトは是非横浜野毛で渋くブルース聴きながらバーボンでも飲みに来てくださいませ!。

2014年の締めはPIPELINEで。

2015-02-10 | Weblog
2014のラストステージの機会を平塚パイプラインでいただいた。
この日の内容は下記のセットリストで。そしてなんと、スモーキーギャングの藤井さんが固定カメラでムービーを収めてくださった!。有り難く使わせてもらいます。興味の有る方は是非こちらでご鑑賞を。反省を戒めるためのお披露目ということでご容赦くださいませ。
12/21 Live at PIPELINE Set List
①Down home blues
②Dark eyed cajun woman
③I miss you so
④I want a little girl
⑤Tell the truth
⑥TV Mama
⑦Riding with the king
⑧Mustang Sally



2014年の師走ステージは茅ヶ崎で。

2014-12-14 | Weblog
何年かぶりでのアコギステージ。それも年末を彩るクリスマスライブ。久々のアコースティックな感触にまたはまりそうな予感。場を提供してくれた音道の皆さん本当にありがとうございました。また来年もよろしくお願いします!!。ご来場頂いた皆さんに感謝感謝感謝。

LIVE at 茅ヶ崎(冬の陣)

2014-11-24 | Weblog
久々の茅ヶ崎ライブ。それも音道バンドとの共演で、
尚且つアコースティックバージョンでの対バンに、
今から楽しみです。クリスマス前の茅ヶ崎の週末に
一足早く熱い心温まるライブをお届けしますので、
是非遊びに来てください。

10/19:岩本えり子さんの命日

2014-10-13 | Weblog

今度の日曜日、10月19日は、岩本えり子さんの命日だ。2008年のこの日に亡くなられてるから、もう6年目になる。サザンオールスターズが「勝手にシンドバット」で衝撃デビューをし、「いとしのエリー」で不動の人気バンドになった頃、俺は偶然にも仕事で彼女の存在を知ることになる。プロモーターの現場仕事をしていた時の話だ。1983年、チックコリアの「Toutch Stone-Worldツアー日本公演」に帯同した時、たまたま通訳として来日しツアーに同行してくれたのが岩本えり子さんだった。いとしのエリーのモチーフになっていることで有名だが、俺はその話を彼女から直接聞かされた貴重な一人なのかもしれない。
桑田佳祐氏の姉だと聞かされ驚き、いとしのエリーの話に驚き、彼女の結婚のきっかけとなった弟とのエピソード話まで聞かせてくれた。
俺の印象は、とても自然体の、少し竹内まりあ似?の雰囲気を持った、魅力的ですぐに好きになってしまいそうな素敵な女性だった。
彼女とはそれきりの縁だったが、残念なことにあまりにも若く逝ってしまった事をニュースで知ったのが6年前。そして今年もまた、一瞬でも強烈な記憶として残っている彼女との思い出を一人懐かしむ日が来る。

ひと夏の思い出。

2014-08-18 | Weblog

8/17(日)、この夏のオンリーワンステージとなった渋谷・WastedTimeが無事?終わりました。
プロミュージシャンに挟まれての緊張のステージでしたが、それなりの手応えと成長を感じる
ライブでした。秋に向けてのステップアップにしたいものです。今回のセットリストでした。
写真は新関さんのお友達からいただきました。良い写真に感謝。龍さんは初ハープのお披露目。
① RIDING WITH THE KING
② DARK EYED CAJUN WOMAN
③ I MISS YOU SO
④ I NEED YOUR LOVE SO BAD
⑤ REELIN’ AND ROCKIN’
⑥ DOWN HOME BLUES
⑦ MUSTANG SALLY

今年の夏はこのステージのみ!

2014-08-04 | Weblog
毎年夏の過ごし方に年齢を感じざるを得ない今年のライブは、アラ6には厳しい渋谷・WastedTimeになりました。プロミュージシャンに挟まれての緊張のステージは、8/17(日)夜7時半スタート。是非足をお運びください、お待ちしております。

MY HISTORY OF AMERICAN ROCK #4

2014-05-23 | Weblog

野球少年から突如テニスの王子様?を目指すことになった中坊は、必然的に女子が多い環境に身をおき(実際は典型的体育会系の厳しさに女子はほとんど退部し負けん気の強い精鋭だけがわずかに残っただけでした)、音楽の志向も中性的な欧米のポップスへとはまるのでした。
人生初のラジオ深夜放送へのリクエストで名前を呼ばれ興奮したマッシュマッカーン「霧の中の二人」、そしてショッキングブルーの「ヴィーナス」にミッシェルポルナレフ、極めつけはやはり何と言ってもサイモン&ガーファンクルでした。
クリーム、ジミヘン、ツェッペリンといったロックの方程式に一歩乗り遅れた中坊は、フォークギター片手に名曲をコピーしまくるのでした。そして、GS時代から憧れていたバンドとしての人前での演奏を文化祭で初披露することになるのでした。to be continue.

MY HISTORY OF AMERICAN ROCK #3

2014-03-31 | Weblog

ベンチャーズの衝撃から1~2年のあっという間に、日本中がエレキギターに憧れる若者で溢れ、気がつけばGSブームの嵐でした。その流れを作ったのは紛れもなくビートルズ始め多数の欧米バンドでした。
エレキギターの存在を知らしめたベンチャーズに加え、今度はファッショナブルでポップスとロックンロールの魅力、そしてオリジナリティ溢れる楽曲を創造するイギリスの若者に世界中が魂を奪われたのでした。
そして小学4年生だった私と言えば、四つ上の兄が中2のブーム真っ盛り。親戚にもらったネック反り反りのガットギターで日々パイプラインやウォークドントランを一緒にコピーし、メルテーラーのドラムをコピーする毎日だったわけです。
たまたま近所にセミプロのようにギターが巧いバンマスのようなお兄さんがいて、縁側横の居間にパールのドラムセットがあり、当然のようにアンプもあり、日夜ベンチャーズを演奏していました。縁側の窓全開でやっていたので(今考えると、自宅型野外ライブと言うか、自然エコー演奏夜会とでも言いましょうか)、グヤトーンのアンプから奏でられるエコーのかかった心地好いサウンドが200メートル離れた川向こうから本当に鎌倉二階堂の山中から夏の夜空に響き渡ったのです。
そしてこの頃私は学校の図工にはあまり興味が涌かず、夢中になって作ったのはもっぱらドラムセットでした。子供の工作とは言え音が出なければ意味がないのでそこは工夫です。幸い家にはカルピス4本セット?とキッコーマン醤油樽の入っていたサイコロ型の厚手の段ボール箱があったため、スネアとタム系は締まったイイ音が出せたのです。シンバルはトタン屋根(ブリキ)を切り抜くしかない。あとはバスドラのペダルです。さすがにペダルは難しかったですが、子供の浅知恵ではペダルの戻しを太目のゴム紐を束ねることで何とか機能させるのが精一杯?だったような記憶が。
スティックだけはさすがに割り箸というわけにはいかないので小遣いで本物を買ったか、小学校の音楽室の鼓笛隊用のスティックで古くなったのを拝借してたかも?。(もう時効だよね)でもメチャメチャ楽しかったなぁー。後にも先にもあれを越える工作経験は無いと思う!。
そして時は1969から70年、欧米はいよいよブルースやR&Bをベースにした本格的なロックの時代へ。
イギリスではローリングストーンズが登場し、ビートルズとは違う黒人音楽にルーツのを求めるブリティッシュロックの礎を築き始めたのです。ストーンズは永久不滅型でしたが、ヤーズバードのように、ロック史に多大な影響を与えることになるアーティスト達を輩出したバンドも珍しいでしょう。クリーム、ツェッペリン、ジェフベック、ブラインドフェイス、これらが作ってきたロックの歴史は当然のようにクィーン等へ引き継がれるのです。当時僕らは思春期を迎え、学校や親とのやり取りに反抗期を重ね合わせ、起伏の激しい感情の矛先を探し、スポーツや音楽に興じたのです。不良化の代名詞であったGSブームもいつしか去り、時代は世界情勢に影響を受けつつ確立し始めた欧米のロックとポップスが日本を席巻しました。

MY HISTORY OF AMERICAN ROCK #2

2014-03-28 | Weblog

ベンチャーズの衝撃から一二年のあっという間に、日本中エレキギターに憧れる若者で溢れ、気がつけばGSブームの嵐でした。その流れを作ったのは紛れもなくビートルズ始め多数の欧米バンドでした。エレキギターの存在を知らしめたベンチャーズに加え、今度はファッショナブルでポップスとロックンロールの魅力、そしてオリジナリティ溢れる楽曲を創造するイギリスの若者に世界中が魂を奪われたのでした。
そして小学4年生だった私と言えば、四つ上の兄が中2のブーム真っ盛り。親戚にもらったネック反り反りのガットギターで日々パイプラインやウォークドントランを一緒にコピーし、メルテーラーのドラムをコピーする毎日だったわけです。
たまたま近所にセミプロのようにギターが巧いバンマスのようなお兄さんがいて、縁側横の居間にパールのドラムセットがあり、当然のようにアンプもあり、日夜ベンチャーズを演奏していました。縁側の窓全開でやっていたので(今考えると、自宅型野外ライブと言うか、自然エコー演奏夜会とでも言いましょうか)、グヤトーンのアンプから奏でられるエコーのかかった心地好いサウンドが200メートル離れた川向こうから本当に鎌倉二階堂の山中から夏の夜空に響き渡ったのです。そしてこの頃私は学校の図工にはあまり興味が涌かず、夢中になって作ったのはもっぱらドラムセットでした。
子供の工作とは言え音が出なければ意味がないのでそこは工夫です。幸い家にはカルピス4本セット?とキッコーマン樽の入っていたサイコロ型の醤油箱があったため、スネアとタム系は締まったイイ音が出せたのです。シンバルはトタン屋根(ブリキ)を切り抜くしかない。あとはバスドラのペダルです。さすがにペダルは難しかったですが、子供の浅知恵ではペダルの戻しを太目のゴム紐を束ねることで何とか機能させるのが精一杯?だったような記憶が。
スティックだけはさすがに割り箸というわけにはいかないので小遣いで本物を買ったか、小学校の音楽室の鼓笛隊用のスティックで古くなったのを拝借してたかも?。もう時効だよね。でもメチャメチャ楽しかったなぁー。後にも先にもあれを越える工作経験は無いと思う。to be continue.


MY HISTORY OF AMERICAN ROCK

2014-03-23 | Weblog

「KNOCK ME OUT/VENTURES」
60年代後半から瞬く間に全国の若者の心を奪った欧米のロックとポップス。数少ないペーパーメディアの活字を頼りに、我先にとレコード店に足を運び、小遣いの全てをそそいで買ったLP盤をわくわくしながら持ち帰り、透明フィルムの封を切り塵一つ無い円盤に初めて針を落とす時の興奮に多くの若者が酔いしれた。個人的には、67年頃だと思う。幸いなことに、辻堂の親戚の家に毎年盆暮れに遊びに行くと、五、六歳歳上の従兄弟の兄ちゃん達がいて、そこで聴かされたエレキサウンドに人生を揺さぶられる刺激をもらったのだ。
何と言っても最初はベンチャーズだ。よく「テケテケ」と表現されたが、私にするとあれは、「ツクツク」であり、激しい音量でやると「ヅクヅク」か「バクバク」が適切だと思う。細かい話だが、言うまでもなく、ベンチャーズのサウンドにはその16分音符のテケテケが肝なのだ。
最も多くの人が繰返し聴いた「ウォークドントラン」がツクツクであり、「パイプライン」のイントロは「バクバク」なのだ。その二種のテケテケと共にベンチャーズの多彩な楽曲と緻密な演奏テクニックに世界中が痺れたのである。特に小学生の私にとってのベンチャーズは、音楽から受ける最初の性的快感とも言える、本当に衝撃の音楽初体験だったのである。中でも、日本上陸後、新境地に取り組んだ1965年に発売されたアルバム「KNOCK ME OUT」は、名曲「10番街の殺人」を始め、それまでのクリアトーンからロックっぽいファズトーンを多用したことで、そのニューサウンドが更に興奮を増幅させ、本当にノックアウトされた1枚だった。12曲からなる多彩な楽曲には、サンタナで知られてる「シーズ・ノット・ゼア(原曲はゾンビーズだ)」、ロイオービソンの「オー・プリティ・ウーマン」など、後に原曲に触れる前にインストでしっかり記憶された名曲はベンチャーズのおかげとも言える。