to GUMBO from SOUND PARADISE 2020

Keep natural, always calmly.
No sound, no paradise.

MY HISTORY OF AMERICAN ROCK #3

2014-03-31 | Weblog

ベンチャーズの衝撃から1~2年のあっという間に、日本中がエレキギターに憧れる若者で溢れ、気がつけばGSブームの嵐でした。その流れを作ったのは紛れもなくビートルズ始め多数の欧米バンドでした。
エレキギターの存在を知らしめたベンチャーズに加え、今度はファッショナブルでポップスとロックンロールの魅力、そしてオリジナリティ溢れる楽曲を創造するイギリスの若者に世界中が魂を奪われたのでした。
そして小学4年生だった私と言えば、四つ上の兄が中2のブーム真っ盛り。親戚にもらったネック反り反りのガットギターで日々パイプラインやウォークドントランを一緒にコピーし、メルテーラーのドラムをコピーする毎日だったわけです。
たまたま近所にセミプロのようにギターが巧いバンマスのようなお兄さんがいて、縁側横の居間にパールのドラムセットがあり、当然のようにアンプもあり、日夜ベンチャーズを演奏していました。縁側の窓全開でやっていたので(今考えると、自宅型野外ライブと言うか、自然エコー演奏夜会とでも言いましょうか)、グヤトーンのアンプから奏でられるエコーのかかった心地好いサウンドが200メートル離れた川向こうから本当に鎌倉二階堂の山中から夏の夜空に響き渡ったのです。
そしてこの頃私は学校の図工にはあまり興味が涌かず、夢中になって作ったのはもっぱらドラムセットでした。子供の工作とは言え音が出なければ意味がないのでそこは工夫です。幸い家にはカルピス4本セット?とキッコーマン醤油樽の入っていたサイコロ型の厚手の段ボール箱があったため、スネアとタム系は締まったイイ音が出せたのです。シンバルはトタン屋根(ブリキ)を切り抜くしかない。あとはバスドラのペダルです。さすがにペダルは難しかったですが、子供の浅知恵ではペダルの戻しを太目のゴム紐を束ねることで何とか機能させるのが精一杯?だったような記憶が。
スティックだけはさすがに割り箸というわけにはいかないので小遣いで本物を買ったか、小学校の音楽室の鼓笛隊用のスティックで古くなったのを拝借してたかも?。(もう時効だよね)でもメチャメチャ楽しかったなぁー。後にも先にもあれを越える工作経験は無いと思う!。
そして時は1969から70年、欧米はいよいよブルースやR&Bをベースにした本格的なロックの時代へ。
イギリスではローリングストーンズが登場し、ビートルズとは違う黒人音楽にルーツのを求めるブリティッシュロックの礎を築き始めたのです。ストーンズは永久不滅型でしたが、ヤーズバードのように、ロック史に多大な影響を与えることになるアーティスト達を輩出したバンドも珍しいでしょう。クリーム、ツェッペリン、ジェフベック、ブラインドフェイス、これらが作ってきたロックの歴史は当然のようにクィーン等へ引き継がれるのです。当時僕らは思春期を迎え、学校や親とのやり取りに反抗期を重ね合わせ、起伏の激しい感情の矛先を探し、スポーツや音楽に興じたのです。不良化の代名詞であったGSブームもいつしか去り、時代は世界情勢に影響を受けつつ確立し始めた欧米のロックとポップスが日本を席巻しました。

MY HISTORY OF AMERICAN ROCK #2

2014-03-28 | Weblog

ベンチャーズの衝撃から一二年のあっという間に、日本中エレキギターに憧れる若者で溢れ、気がつけばGSブームの嵐でした。その流れを作ったのは紛れもなくビートルズ始め多数の欧米バンドでした。エレキギターの存在を知らしめたベンチャーズに加え、今度はファッショナブルでポップスとロックンロールの魅力、そしてオリジナリティ溢れる楽曲を創造するイギリスの若者に世界中が魂を奪われたのでした。
そして小学4年生だった私と言えば、四つ上の兄が中2のブーム真っ盛り。親戚にもらったネック反り反りのガットギターで日々パイプラインやウォークドントランを一緒にコピーし、メルテーラーのドラムをコピーする毎日だったわけです。
たまたま近所にセミプロのようにギターが巧いバンマスのようなお兄さんがいて、縁側横の居間にパールのドラムセットがあり、当然のようにアンプもあり、日夜ベンチャーズを演奏していました。縁側の窓全開でやっていたので(今考えると、自宅型野外ライブと言うか、自然エコー演奏夜会とでも言いましょうか)、グヤトーンのアンプから奏でられるエコーのかかった心地好いサウンドが200メートル離れた川向こうから本当に鎌倉二階堂の山中から夏の夜空に響き渡ったのです。そしてこの頃私は学校の図工にはあまり興味が涌かず、夢中になって作ったのはもっぱらドラムセットでした。
子供の工作とは言え音が出なければ意味がないのでそこは工夫です。幸い家にはカルピス4本セット?とキッコーマン樽の入っていたサイコロ型の醤油箱があったため、スネアとタム系は締まったイイ音が出せたのです。シンバルはトタン屋根(ブリキ)を切り抜くしかない。あとはバスドラのペダルです。さすがにペダルは難しかったですが、子供の浅知恵ではペダルの戻しを太目のゴム紐を束ねることで何とか機能させるのが精一杯?だったような記憶が。
スティックだけはさすがに割り箸というわけにはいかないので小遣いで本物を買ったか、小学校の音楽室の鼓笛隊用のスティックで古くなったのを拝借してたかも?。もう時効だよね。でもメチャメチャ楽しかったなぁー。後にも先にもあれを越える工作経験は無いと思う。to be continue.


MY HISTORY OF AMERICAN ROCK

2014-03-23 | Weblog

「KNOCK ME OUT/VENTURES」
60年代後半から瞬く間に全国の若者の心を奪った欧米のロックとポップス。数少ないペーパーメディアの活字を頼りに、我先にとレコード店に足を運び、小遣いの全てをそそいで買ったLP盤をわくわくしながら持ち帰り、透明フィルムの封を切り塵一つ無い円盤に初めて針を落とす時の興奮に多くの若者が酔いしれた。個人的には、67年頃だと思う。幸いなことに、辻堂の親戚の家に毎年盆暮れに遊びに行くと、五、六歳歳上の従兄弟の兄ちゃん達がいて、そこで聴かされたエレキサウンドに人生を揺さぶられる刺激をもらったのだ。
何と言っても最初はベンチャーズだ。よく「テケテケ」と表現されたが、私にするとあれは、「ツクツク」であり、激しい音量でやると「ヅクヅク」か「バクバク」が適切だと思う。細かい話だが、言うまでもなく、ベンチャーズのサウンドにはその16分音符のテケテケが肝なのだ。
最も多くの人が繰返し聴いた「ウォークドントラン」がツクツクであり、「パイプライン」のイントロは「バクバク」なのだ。その二種のテケテケと共にベンチャーズの多彩な楽曲と緻密な演奏テクニックに世界中が痺れたのである。特に小学生の私にとってのベンチャーズは、音楽から受ける最初の性的快感とも言える、本当に衝撃の音楽初体験だったのである。中でも、日本上陸後、新境地に取り組んだ1965年に発売されたアルバム「KNOCK ME OUT」は、名曲「10番街の殺人」を始め、それまでのクリアトーンからロックっぽいファズトーンを多用したことで、そのニューサウンドが更に興奮を増幅させ、本当にノックアウトされた1枚だった。12曲からなる多彩な楽曲には、サンタナで知られてる「シーズ・ノット・ゼア(原曲はゾンビーズだ)」、ロイオービソンの「オー・プリティ・ウーマン」など、後に原曲に触れる前にインストでしっかり記憶された名曲はベンチャーズのおかげとも言える。