文庫 麦わら帽子

自作小説文庫

緑の指と 魔女の糸 「カノン」

2016-06-18 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ


借主の保証人は、長崎の女性、母親だった

紫(ゆかり)さんにせかされて電話すると、疲れたような声で電話に出た。

そこで僕が、新しく部屋を借りる七字 紫さんを紹介し、

紫さんと電話を替わる。

彼女は、単刀直入だった。「無理なのも、辛いのも判ります」

静かに諭すように云う。「でも、来てください。飛行機に乗って、来てください。

必ずバイオリンを持って」

紫さんは、結構押しが強いということは判ったが、

事情は全く判らない。余計なことは云わない。

ただ、やらなければならないことがあり、

それが、亡くなった娘さんの為になるから、と云うだけ。

自殺した娘の住処に、親が来たがらないのは判りすぎている。

でも、そこを押し切って、紫さんは電話を切った。

「あとは、待ちましょう」

…それだけ。

しかしである。母親はやってきた。

はるばる長崎から、指示された通り、バイオリンを持って。

銀髪のロングヘアをひとつにまとめて、黒いスーツを着た、年老いた母親である。

紫さんは、いつも通り、おいしい紅茶でねぎらってから、

娘さんの残した日記を見せた。

母親を泣かせたのは、「最後にお母さん、会いたかった」というくだりだろう。

あの女の子は、最期の最期に、お母さんを想ったのだ。

「お母さんに 会いたかった ごめんなさい お母さん」

「判りました」と お母さんは云った。「この子が、何をしたかったか」

「では、お願いします」

紫さんが、そっと促すと、彼女は田んぼの見える窓に向かって立った。

バイオリンを、構える。

彼女が奏ではじめたのは、パッヘルベルのカノンだ。

僕らは、彼女の後ろに座って、黙って聞いていた。

紫さんは、目を閉じ、少し俯きながら。

凛ちゃんは、小さな手を合わせている。

僕は、目頭が熱くなってきた。

隣りから、鼻をすする音がすると思ったら、

凛ちゃんが、一心に手を合わせながら、大粒の涙をこぼしている。

僕の涙腺は、美しい旋律の中で、崩壊した。

情景が、見えるようだ。

母子家庭だったふたり。

懸命に働きながら、母親は、娘にバイオリンを習わせた。

やがて、生活に余裕ができると、母親もバイオリンを買った。

二人は、よく、この曲を弾いた。

辛いときも、哀しいときも、きっと、いつか幸せな時代がくるときも。

ここと同じような小さな部屋。

西日の入る窓。オレンジ色に染まる、空と空気。

二人の影が、濃く畳に落ちて、音色は近所にも響いた。

立ち止まり、聞き入る人。

そろそろ、人々が家路につく時間。

帰る場所が同じだったふたりが、やがて、別れる。

一人、部屋に残された母親が、嗚咽をもらしている。

旅立った娘も、人目を気にしながら泣いていた。

でも、また、会えるから。

帰ってくるから。結婚したら、長崎に帰る。

お母さんのそばに、帰るから…。

白い光が、バイオリンを奏でる母親の肩先に集まりだし、

次第に人型になっていった。きれいな、女の子だった。

甘えるように、母親の方に、よりかかっているように見える。

風が入ってきて、彼女の髪が揺れ、

髪の先から、今度は壊れはじめた。
 
「身はここに、心は信濃(しなの)の善光寺、

導きたまえ、 弥陀(みだ)の浄土へ 」

紫さんが優しく語り、自分の腕をそっとさすった。

白い光は、全て消えていった。

やがて、演奏が終わり、僕らは本来の目的を忘れて拍手喝采。

涙をぬぐいながら、母親が頭を下げ、

「本当は、娘の結婚式で弾いてあげたかった。一緒に弾きたかった」と云った。

「また、会えます。必ず、会えます」

紫さんが、そっと母親を抱きしめた。

「さあ、もう一度、お茶を飲みましょう」

その後、僕らは4人でアフタヌーンティーを楽しんだ。

三段のお皿に、小さなサンドイッチ、クッキー、

マカロンとスコーンが、色とりどりに並んでいる。

今日の紅茶は、マリアージュ フレールの茶葉で、ミルクティーを淹れてくれた。

僕もお母さんも、スコーンの食べ方は知らなかったが、

凛ちゃんが首尾よく教えてくれた。

スコーンは、クロテッドクリームに、イチゴのジャムをを乗せて頬張る。

もそもそしているけど、口の中では濃厚なクリームと、

ジャムの酸味と、スコーンが革命を起こしていた。

それを、ミルクティーで飲み下す。

うまい。最高にうまい!

「こんなおいしいもの、初めて食べたわ」

お母さんの涙は消えていた。

この部屋は、浄霊の場から、またあの紅茶サロンに変わっていた。

紫さんが、ヴィヴァルティの「春」をリクエストして、

今日は散会となった。

お母さんは、今夜はホテルに泊まり、明日一日都会を観光してから

明後日、長崎に帰るという。

「ありがとう、七字さん。猫平さん。

私は、やっと気持ちの整理がついたような気がします」

お母さんはそう云って、帰っていった。

その日以来、このアパートで怪現象は起こらなくなった。

紫さんは、一体何者だろうという疑問が残ったが、

それは、これから少しずつ判ってくるだろう。

季節は、春。

春、本番。



緑の指と 魔女の糸 ~母と娘と猫平さんの出会い編~ 完

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緑の指と 魔女の糸 「オレンジの日記帳」

2016-06-18 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ

部屋を案内した手前、 あの母子が気になってしかたのない猫平さんである。



数日前「異変はないか」と電話したら、紫さんが、

「夜になると、うるさくて仕方ない」と眠そうな声で云った。

「やっぱり出るんですね」

「あの女性のものばかりじゃありませんよ。

この部屋に住んでいた人たちの、恐怖心とか、

不安などの残留意識がうるさいんです」

それで、壁紙も折角きれいだけど、替えてもいいかと云うので、

ご自由にどうぞと返答した。

どうせもう誰も借りない部屋だ。

壁紙も張り終えたというので様子見に行く事にした。

事務のサヤカさんが、凛ちゃんに…と、たくさんのお菓子を持たせてくれた。

昔ながらの商店街を通り、田んぼが広がる未開発地に向かう。

この辺りは、最近、おしゃれなアパートが目立つようになってきた。

誰も、心霊スポットに住む訳がない。

例の201号室の入口には、きれいな円錐型の盛り塩が、ひっそりと置かれていた。

インターホンを押す前に、凛ちゃんが飛びだしてきた。

「猫さん、こんにちは!」

「こんにちはー。新しい生活はどうですか?」

「わたし、やっと、お姫様になれました!!」

その意味は、部屋にお邪魔して判った。

一緒に買いに行った、ピンクのローズラグ。天蓋つきの白いベッド。

部屋は、完璧なまでの姫系の部屋に変貌していた。

白いドレーッサー、猫脚のテーブル、これまた、ピンクのバラのカーテン。

あの日、揃えられなかったものは、全て通販で購入したという。

「うわあ…」

男にとっては、ちょっと入りにくい部屋だ。

「いらっしゃい、猫さん」

紫さんも、ニコニコしながら出てくる。

「お茶飲んでって、昨日、娘とたくさんクッキーを焼いたんです」

まるで、メイド喫茶だ、これ。

落ちつかない!

「食器はわたしの趣味ですが、部屋はもう思い切って、凛の好きにさせました」

ウェッジウッドのスウィートプラム のカップに、香りのよい紅茶が注がれる。

「本日の紅茶は、フォートナム&メイソンのアールグレイをご用意しました」

英国王室 御用達ですね!

「少々語ってもよろしいですか?」

紫さんは、紅茶マイスターか何かなんだろうか。

紅茶に対する眼差しが、普通じゃない。

「アールグレイというお茶のレシピは、実は失われていて、

現在のものは一種の復元なわけです。

だから茶のブレンダーによって微妙に違ってくる。

フォートナム&メイソンのブレンドは、品が良く、強からず弱からず。

ほどよい感じです。のんびりしたい休みの日にゆっくり飲むのがお気に入りです。

ミルクと砂糖はいりますか?」

「では、ミルクを。今まで、いろんな紅茶を飲んできましたが、

こんなに香り高い紅茶があったのかと感動しました」

先程の、メイド喫茶というのは撤回する。

ここは、立派な紅茶サロンだ。

「喜んでいただけて嬉しいです」と、紫さんはにっこり。

「こんな高価な紅茶…、紫さん、お金、大丈夫なんですか?」

「その質問は、無粋です」

「はい、すみません」

「ハートのクッキーはオレンジの味。星のクッキーはプレーンタイプだよ」

凛ちゃんも負けてない。

「うわああ、幸せだなあ…」

僕は、クッキーと紅茶を交互に口に運びながら、心からつぶやいた。

「今度は、スコーンをご馳走しますので、またいらしてくださいね」

「もう、喜んで!」

そこで、僕は話を変える。「ところで、どんな感じですか。…出ますか」

「壁紙を変えたら、静かになりました。彼女はいつも、天井を見ています」

僕は、突然ぞっとなって、後ろを振り返った。

「何か、天井にあるんでしょうか」

「…見てみますか」

紅茶のお礼だ。僕は凛ちゃんが指し示す、押し入れの中の天井を見た。

ここは、天井板が外れるようになっている。

嫌な予感はしたが、ここは男だ。

でも、生首が転がっていませんように。

しかし、そこには意外なものがあった。クッキーの缶だ。

「こんなものが」

「中を拝見していいでしょうか」

「見てみましょう」

中には …、オレンジ色のノートが一冊入っていた。それと、数枚の写真。

この女性は、ここで自殺したひとだった。

「これは、日記ですね。拝見しても…」

「いいですよ、多分」

しばらくの間、瞬きもせずに、紫さんはその日記を読んでいた。

それから、ゆっくりと眼差しを上げて云った。

「なるほど。いいものを見つけました」

にっこりと笑う。「これで、浄化します」

それから、凛ちゃんを振り返って付け加えた。

「凜、引き寄せの魔法を使うわよ」

「判った」

凛ちゃんは真剣な表情だ。「この母様を呼ぶのですね」

写真に、女性と一緒に映っている母親らしきひとを指でさした。

「まあ、魔法なんて冗談だけど、このお嬢さんのお母様はご存命でしょうか。

連絡先、判りますよね」

「もちろん、資料が残っているはずです。彼女を呼ぶんですね、ここに。

どうするおつもりですか」

「ですから、浄化ですよ」

紫さんは、カップを両手で包むように持って、紅茶を飲む。

「強からず弱からず。本当に、ほどよし」


続く






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緑の指と 魔女の糸 「満月水と花ふきん」

2016-06-18 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ

玄関を開けると カーテンで閉めきった薄暗い2LDK 。

そこには、まだ、あの死体の残香が残っている気がした。

嫌な汗が、首を伝って落ちる。

恐々と部屋を見渡した僕は、

「あの場所」に、黒い肉塊が転がっているのをみた。

畳の上。

それが、生首だと判るのに、時間はかからなかった。

あの日。

ぶら下がっている彼女を降ろそうとしたとき、

腐敗しきった遺体から、首がもげてしまったのだと聞いた。

それが、コロリと転がって、顔がこちらを向いた。

青い眸に、焦点が合った時、僕は悲鳴を上げて、尻餅をついた。

「どうしました?」

紫さんが、僕を押しのけて、部屋に入ろうとしていた。

一応、ハウスクリーニングは、過剰なほどにしてある。

前の住人が、全てを置いて逃げたので、

大抵の生活備品はそろっている。

スリッパも、新品だ。

それを足先に引っかけて、紫さんが一歩踏み込んだ瞬間だった。

眩い光が、炸裂したような気がした。

思わず、目を逸らす。

その光の中で、声を聞いたような気がした。

『 アナタニアイタカッタ アエナカッタ キョウモ アエナカッタ … 』

その声を、横に裂くように、また、光が走る。

『 コエガ キキタカッタ デモ キコエナカッタ … 』

何者かの意識が、僕の中に流れこんでくる。

それは、先程の恐怖をかき消し、透明な、祈りに似た『想い』に代わっていた。

『キョウモ アエナクテ デモ マダ アイタクテ 』

ドウシタライイノ … どうしたらいいの … ?

「そんな時は、誰にも、あります」

独り言のようにつぶやいて、

紫さんは、カーテンを開け、窓を開けた。

どっと、風が入ってきた。

「誰にも、起こり得ることです」

僕は、立ち上がって部屋を見渡した。

空気が違う。先程と、違う。今までと、まるで違う。

「そんな哀しみに、命までくれてやるなんて、あなたは、愚かです」

紫さん、誰に、話しかけてるの?

あの、禍々しい雰囲気が、もうこの部屋にはない。

「角部屋って素敵…お隣のお庭が見える。ガーデニングがご趣味なのかしら。

素晴らしい、ブルーガーデン!」

今、季節は、春。

隣家の庭は、蒼い花に埋もれていた。

「こっちの窓からは、季節を待つ、田んぼが一面。いい風が入ってくる!」

紫さんが、興奮して叫ぶ。

「母さん、遠くに海が見えます」

凛ちゃんも、上機嫌だった。「お日様の匂いもします!」

「素晴らしい … 」

母と子が、窓の外に見惚れているうちに、僕は畳のシミを確認した。

何度、新しいものに替えても、ここには不気味なシミが浮き上がってくるのだった。

それが、ない。これは、どういうことだ?

もちろん、生首もない。

そこは、ただの、小奇麗な小さな部屋になっていた。

「この揃っている備品は、使っていいのですか」と、聞かれ我に返る。

「はい。もし、気持ち悪くないなら」

「大丈夫。とっておきのアイテムを持っています」

紫さんは、大きなトートバッグから、ペットボトルに入った水を取り出した。

それと、手縫いだろうと思われる手ぬぐい。

「これは、昨夜のブルームーンで精製した満月水。

この手ぬぐいは、わたしが心をこめて刺した花ふきん」

白いさらし布に、紺の糸で刺繍されている。

「美しい布ですね」

「刺し子の花ふきんと云うんですよ。かわいいでしょ。

この柄は、千鳥つなぎといいます。

これで部屋のもの全てを拭いてゆきます」

「凜も手伝う!」

凛ちゃんは、満月水と花ふきんを持って、台所に走ってゆく。

「あの、ここに住むつもりですか」

僕は恐々と聞いた。

今はまだ明るいけれど、夜になって、またアレが戻ってきたら…

「まずは、使えるか試してみていいですか」と、紫さんが云う。

僕たちは、とりあえず、冷蔵庫や電球を拭きはじめた。

それら電化製品も、はじめからきれいにしてはいる。

でも、満月水で拭いたそれらは、明らかに、

眩しさを増し、新品同様のようにきれいになった。

「使える」

と、紫さんが云った。「ここに、住まわせて下さい」

もちろん、僕に断る権利はない。

結局、母子は今夜からそこで暮らしはじめることになった。

「布団は? 布団まではありませんよ」

「ベッドが欲しいな」

「じゃあ、僕が付き合いますよ。軽トラもありますし。どうせ暇ですから」

そうして、僕らは、3人で買い物に出かける事になった。

再び玄関を閉ざすとき、なんの根拠もないことだけど、

この人たちは大丈夫かも知れないと思った。

田んぼに向いた窓辺に佇む女性がいた。

この部屋で腐り落ちたひとだ。

でも、その後ろ姿から、悲壮感もなにも感じられない。

彼女は、初めてそれに気づいたように、

窓の外を、一心に見ていた。

外は、春。誰もが待っていた、春だ。

僕は静かに扉を閉める。

それから、凛ちゃんにそっと問いかけた。

「君のママは、魔女なの?」

「ママは、神様よ。やっと、ここで神様らしく暮らせる」

嬉しそうに凛ちゃんが笑う。

「素敵なお部屋をありがとう、猫のお兄さん」




続く






















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緑の指と 魔女の糸 「都市伝説の部屋」

2016-06-18 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ

不動産には、いわゆる『いわくつき物件』というものがある。

前の住人が自殺していたり、

殺人事件が起きたなどの事故物件と呼ばれるものであるが、

我々、不動産屋さんには、事故物件は、

入居する前に入居者へちゃんと告知しないといけない義務がある。

(但し、自然死は告知義務がない)

そして、不動産物件にも、都市伝説なるものもある。

不動産屋でさえ、震え上がった話。

聞いたところによると、アパートの階段は、多くの場合14段。

しかし、珍しい事に、

「階段が13段」のアパートがあり、そのアパートの201号室はヤバイ…と云うのだ。

階段を昇った先の角部屋。201号室。

この街にも、その物件は存在していた。

いわくつきの物件であるから、もちろん、家賃は破格的に安い。

事情を説明しても、安いことをいいことに、数人が借りて住んでいたが…

僕は、悪寒を感じながら、その物件の資料を手に取った。

何年振りだろう。こんな日が、こなければいいと、願っていたのに。

僕の目の前には、年齢不詳の母親とおぼしき女性、

(10代ではないことは確か。しかし、異様に若く見える)

その横に、3才くらいの女の子が座っていて、ふたりとも能面のような顔をしていた。

「1万以下のお部屋って、ありませんか。どんなに古くても、お風呂がなくてもかまいません」

母親が云ったのだ。だから、これを出すしかなかった。

もちろん、事情は説明する。

この部屋で、5年前、一人暮らしの女性が自殺していた。

異臭に気づいた隣りの住人の報せで行ってみると、

首を吊った女性の腐乱死体が、動いていた。

ぶるっと、思わず身震いする。

動いているように見えたのは、沢山の、ハエと蛆虫だった…

体液が真下の畳を黒く染め、下の階の天井まで浸みていた。

この騒ぎで、隣りと真下の住人が逃げるように退去していった。

「その後、4人、若い人がこの部屋を借りました。

どれも長く暮らすことはできず、みんな引っ越しました。

そのうちの1人は、…変死体で発見されています」

「何故ですか?」

表情を崩さない母親。事務のおばさんが持ってきた麦茶を、

女の子はおいしそうに飲んでいる。

「やめた方がいい…やめた方がいい…」

おばさんは、そそくさと僕らから離れていった。

「何故って、想像に難くないでしょ。人が自殺した部屋ですよ。

気味悪くないんですか? 怖くないんですか」

「何がです?」

母親は、自分も麦茶を一口飲み、云った。「お化けがでるとでも?」

「お化け!?」

女の子が、パッと顔を輝かせた。

「母さん、それは、ひとのお化けですか? 妖ですか? 

それとも、悪魔? それとも、悪戯な妖精? 」

「ひとのお化けでしょうね」

僕は、何度も頷いた。

「やめましょう。こんな物件、どうせまたすぐ引っ越すことになる」

「…お金がないんです。この一週間、公園に寝泊まりしながら、この街に来ました」

「何か事情があるなら、警察に行った方がいいですよ」

「警察に行っても、助けてくれないんですよ。知らないんですか?」

「失礼を承知で伺いますが、DVから逃げてこられました? 

それなら、安心なシェルターだってありますよ」

「この街なら、見つからない。わたし、終いの住処を探しているんです」

「だったらなお更、この部屋はやめた方がいい!」

僕が、思わず立ち上がって机を叩くと、

それに呼応したかのように、母親がゆっくり立ち上がった。

「とりあえず、見せてください、そのお部屋」

それから、初めて笑顔を見せた。

「自己紹介もまだで…、わたし、しちじゆかりと申します」

手元の書類に書かれていた。

七字 紫。 娘の名は、凛。

「あ、僕は、ねこひら、猫平って云います。って、本当に行くんですか!?」

「行きましょう」

「ええええええええ………」

僕は、呆然と、事務のおばさん、サヤカさんを見た。

サヤカさんは、ため息をつきながらやってくると、

凛ちゃんのポケットに、沢山の飴玉を押しこんで云った。

「これは、元気がでるキャンディーです」



続く


























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