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可哀そうなプトレマイオスと天動説 <1>

2021-03-14 16:25:17 | エッセイ

■プトレマイオスとその仕事

 プトレマイオスは古代エジプトのアレクサンドリアで活躍した天文学者・数学者・占星術師。その彼は、今や、悪名高き天動説の権家として悪評は得ても、良い評価は得ていない。

 下記の記事は内容不足の感はあるものの、まずまず正確だと思われるが、理解不足からいわれなき非難を受けているケースが余りにも多く、全くもって可哀そうなのだ。死人に口無しで、彼は反論できないから、ここで少し弁護してやりたいと思った次第である。

 


以下、下記より引用

https://rika-net.com/contents/cp0320a/contents/rekishi/answer03/index.html (2024.1.17.現在、接続できないようです)

プトレマイオスの天動説   

①紀元前の古代ギリシアの学者たちは、地球が宇宙の中心ではなく、太陽のまわりを回っている1つの天体であるという鋭い洞察をしていましたが、2世紀に活躍した古代ギリシアの天文学者②プトレマイオスによって否定されてしまいます

英語では「トレミー」ともよばれるプトレマイオスは、古代のアレクサンドリアに在住したとされ、そこに集められた膨大(ぼうだい)な資料から、それまでのギリシアの天文学を集大成し、「アル・マジスティ(アルマゲスト)」という教科書にまとめあげました。この教科書の原本は残されていませんが、部分的に伝承されたものから、当時の世界観が体系的に編まれていたことがうかがえます。西洋星座の原点となったギリシア神話にもとづく48の星座や、恒星表など全部で13巻の一大著作です。

その中でプトレマイオスは、いわゆる天動説の立場をとって、宇宙を描きだし、説明していました。すなわちプトレマイオスの宇宙(天動説)③地球が宇宙の中心にあり、不動であるとした前提のもと、5つの惑星(水星、金星、火星、木星、土星)及び太陽、月の7つの天体が、地球のまわりを回ることによって、その運動を説明するというものです。順序は見かけの動きの速さから、地球に近い順に月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星と考えられました。また、この時の天体の軌道は、当時の④幾何学から真円であるとされています。宇宙に完全なる幾何学を求めた結果といえるでしょう。

しかし、それだけでは実際の惑星の運動を再現できません。見かけ上の惑星の不規則な運動、つまり、それまで東に向かって進んでいた惑星が⑤突然、西向きに方向を変え、見かけ上戻ってしまうような逆行運動が存在するからです。そこで、惑星の軌道上にさらに半径の小さな円を描き、惑星はこの上を円運動しながら、その小さな円そのものが地球のまわりを回るという軌道の二重構造を導入する修正が加えられました。小さな円の方を「周転円」とよびますが、その導入により、惑星の逆行運動がかなり説明できたため、⑥プトレマイオスの天動説は、その後、長いあいだにわたって人類の宇宙観を支配することになりました。


 ここまでお読み戴いた方には御礼を申し上げたいほど。でも、本論はこれから。なお、この記事は他のページに比べてとても正確だと思って引用させて戴いた。考える素材にさせて戴くのが目的であって、非難しようなどという意図はないので、よろしくご理解下さいますように。

 さて、揚げ足とりと思われるかも知れないと恐れながら、上記で①~⑥について、少しコメントしてみたい。


●①紀元前の古代ギリシアの学者たちは、地球が宇宙の中心ではなく、太陽のまわりを回っている1つの天体であるという鋭い洞察をしていました

⇒ 確かにそうした人たちがいたようで、地球自転説を唱えたヘラクレイデス(BC4世紀末)や太陽中心を唱えたというアリスタルコス(BC310-230)が知られている。アリスタルコスについては異端の学説ということで、ストア派のクレアンテスが「彼は不信仰罪で起訴されるべきだ」という趣旨の主張をしたという記録があるらしく、それで今日まで伝わっている。太陽中心説はこの時代も、コペルニクス時代も、日常経験に反する上に証拠がなく、思弁の産物だったことを忘れてはいけない。もっとも、今でさえ地球が太陽を巡っていることを、頭でなく、実感している人はいるのだろうか? 実感できないからこそ「鋭い洞察」なのだろうが、これはなかなか難しい。つまり、当時の学者たちの皆が皆、「鋭い洞察」を行ったのではなく、「鋭い洞察」を行った人たちもいた、ということだろうと思う。


●②プトレマイオスによって否定されてしまいます

⇒ プトレマイオスが否定したことは間違いないが、彼が先導したわけではなく、「アルマゲスト」の最初に書いてあるように、こうした話は「神学の対象」で、すでにプトレマイオスら数学者にはアンタッチャブルな問題だった。これらは哲学者の領域の問題で、たとえば、プラトンの作った学校のアカデメイアなどで伝授されていた。もしプトレマイオスが否定しなければ「アルマゲスト」などを書くことはできず、それこそアリスタルコスと同様に非難の憂き目に会い、命の危険さえ感じたことだろう。

 当時の宇宙観が二分されていたことに注意を払う人が少なく、多くの誤りがここから発している。つまり、哲学者が扱う「神学の対象」としての宇宙は、地球を中心として日月5惑星が同心円状に回転している美しい宇宙で、天文学者・数学者が扱う「暦作成上の便宜的な宇宙」はプトレマイオスが展開した離心円(太陽はこれだけ)+周転円+エカント(エカントは惑星だけ)という組み合わせの、どろどろした世界だった。この別が分かっていないと、プトレマイオスが同心円宇宙を唱えたなどという頓珍漢な言説が生まれることになる。同心円宇宙はキリスト教会の受け入れるところとなり、一般に流布したが、これでは暦(=天体運行の予報)は作れないから、コペルニクスにとってさえ端から対象外だった。なお、これはコペルニクスへの大いなる誤解なのだが、確かに彼は、大雑把に言えば、宇宙の中心を地球から太陽に置き換えたことは間違いない。しかし、ど真ん中に据えて、それを惑星が回るとしたかと言えば、そんなことはない! コペルニクスは太陽が宇宙の中心で、それを日月5惑星が巡るなどとは主張していない。なぜなら、日月5惑星の軌道は離心円で、太陽は円軌道の中心からずれているというのが彼の運行論の骨子だからだ! この点は項を改めて紹介したいと思うが、大昔からの誤解である。コペルニクスにも可哀そうなところがある。


●③地球が宇宙の中心にあり

⇒ 可哀そうなプトレマイオスである。ここでは、象徴的に、大雑把な話として宇宙の中心と言っていると思うので、目くじらを立てるのはおかしいと言う向きもあろう。しかし、幾何学的に厳密な円の中心、と思っておられたら、そうではありませんよ、と申しあげたい。トレマイオスは太陽の運行モデルを作る時に周転円を考えたことがあり、この時は文字通り誘導円の中心に地球を置いたが、ヒッパルコスが言っていた離心円モデルと同値であることがわかり、最終的には離心円モデルを採用した。作業仮説として地球中心を一時的には考えたものの、採用しなかった。明らかに「意識的に採用しなかった」。採用できなかった、と言った方が正確だろうか。月でも惑星でも離心円だったし、太陽も離心円にすれば統一が取れると考えたかも知れない。

 コペルニクスも同心円では全く観測に合わないから捨てて、宇宙の中心は何も存在しない離心円中心とせざるを得なかった。だから、長いこと悩み、発表をためらっていたのだ。これは彼の信条、彼の哲学に合わなかった。プトレマイオスとて似たようなもの。プトレマイオス宇宙はあくまで離心円+周転円+エカント離心円とは中心に天体がない、離れているという意味である。プトレマイオスだって、できることなら宇宙の中心に地球を据えたかったと思う。


●④幾何学から真円であるとされています

⇒ 上の②と同根の誤り。真円としたのは哲学者で、これが「神学の対象」だったから。数学者・天文学者のプトレマイオスが関与するところではなかった。現代の天文学者は「なぜそうなるの」と理由を問うが、かつてその仕事は哲学者の領域だった。

 ティコ・ブラーエやケプラーが神聖ローマ帝国の数学官という地位だったのは、占星術を専門とし、暦計算をする人だったから。ケプラーが火星軌道からケプラーの法則を導いた研究書「新天文学」の書名にPHYSICA COELESTISという文言を付加した心はなにか? 彼は、「なぜ、惑星は太陽を焦点とする軌道を描くのか」と、「なぜ」=理由、根拠を問うことを厭わず、哲学者の領域に入り込むことをここで宣言した。

 つまり、プトレマイオスは幾何学的考察からではなく、当時の権力者に従って、「真円でいかに説明するか」と腐心したのであって、もし何でも良いと言われたら楕円軌道に辿り着いたかも知れない。もちろん、楕円を知っていたのだから。


●惑星が⑤突然、西向きに方向を変え

⇒ これは見解の相違もあるかも知れないが、筆者の感覚からは「突然」ではない。実際、逆行に移る時に見ていると1週間以上も停留している。これを「突然」と言うかだが、この動かない期間をわざわざ「留」と名づけていたことから見ても、違和感を覚える。


⑥プトレマイオスの天動説は、その後、長いあいだにわたって人類の宇宙観を支配

⇒ ? これは単純な同心円軌道モデルを言っているのだろうと想像する。そもそもプトレマイオスは6世紀から12世紀の間はヨーロッパ社会からは消えていた。例の暗黒時代と称される時代である。そして、12世紀か13世紀にスペインでイスラム圏と交流する中で復活したものである。良く知られるようになったのはコペルニクスの頃からで、印刷術が発明されてからの事に過ぎない。しかし、同心円宇宙は単純だし、キリスト教の教義にもぴったりだから、教会の中で生き続けた。プトレマイオスの運行論は難しく、専門家でなければ「アルマゲスト」を読解するのは無理だったろうから、人類の宇宙観を支配するほどにはならなかったと思う。

 以上、勝手な生半可な知識で書いてみた。専門家から見ればおかしなところがあると思うのでご指摘いただけるとありがたい。

 また、「天球図でさぐる地球と天体の動き」を掲載されている https://rika-net.com/contents/cp0320a/start.html さんには勝手に引用させて戴いた。御礼方々、お許しを請う次第である。

(2021.3.14.)



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