大坂城へ赴く覚悟が出来た信繁改め幸村。
早速、九度山脱出を計画。
大坂方の五人衆の内、明石全登は入城済み。
後藤基次が続いて毛利勝永が入城。
続いて真田幸村入城。きり曰く、得体のしれないじじいに扮して。
ここで初めて、きりを連れだって行くという展開が描かれました。
書状が出された年は私論ですが、
おそらく内容から
大八(幸村の次男)が生まれた(1612年)後の翌年の2月8日付けの
真田信之家臣の小山田茂誠(姉である松の夫)に宛てた書状の追伸では
年をとったことが口惜しく存じます。
私共も去年から急に年寄り、
事の他、病身になってきました。
歯なども抜けましたし、
ひげなども黒いところは
あまりなくなってきております。
と、記しています。
しかし、以前にも記したように
監視役の浅野家とうまくやっていたにしても、監視生活が10年以上に及んでいたにしても、その動向は常に監視され、書状もその都度検閲されていました。
そしてどんなに親しい義兄であってもその本当のところを記すことはしなかった。
追伸でわざわざ、老け病み歯が抜け髭が白髪だらけなんて書くでしょうか?
ドラマでは、その辺りの解釈を得体の知れないじじいに扮してとして
城下の人々を欺き、城内の人々をも欺いたと思ったら
勝手知ったる14年振りの城内で威風堂々としたその姿を見せつけるという
いよいよ幸村伝説が始まるというような展開でした。
しかし、早くも大野治長とは上手く行かない、というより大野治長がおもしろく思っていない様子が描かれました。
と記しましたが、何回か見直すとそうではないのかなぁ?大野修理の表情をどっちととるか?
そうなんですよねぇ~、幸村って結局、上司に恵まれなかったんですよねぇ~。
豊臣秀吉にしたってその最盛期は過ぎていたし
石田三成は頭脳明晰で優れた才の人物でも人が付いてこない
大谷吉継は肝心な時に病気になってしまいその才を十分に吸収できなかったし
上杉景勝の言うところの義はちょっと・・・乱世に秀でるには???って感じで
主な4人を挙げましたが、その4人から受けた影響は、決して幸村が生き抜く術にはなっていなかった。
そして、最期の決戦となった場において、
大野治長という秀吉の馬廻り衆や大名となって豊臣家家臣ではあったが関ヶ原では東軍に与し、その後、片桐且元が豊臣家を追われるといつも間にか豊臣家の中心人物になっており(まぁこの流れには、豊臣家家老が一人もいなくなり、淀と大蔵卿局が牛耳っていた為だと思いますが)正直なんだコイツ(厄介者としか思えない)みたいな者が、色々と口を出してきた為に邪魔されてしまった。
というのが、通説ですが、予告編を見ると又兵衛が何やら突っかかってくるような感じですがどう描かれるのでしょうか?
大局を読めない淀と何やらが黒幕感が表に出てきた大蔵卿局が邪魔をしたか。
まぁ、こんなことがあったから伝説になったと言えますが。
序盤から中盤にかけてもう一つの真田家について描かれました。
大坂冬の陣に二人の息子たちが参戦してますからね。
その伏線でしょう。
しかし、大助(幸村の長男)ほど気持ちを入れて見る事は出来ません。
もう一つの真田家・真田信之に対してもやはり幸村ほど気持ちを入れる事は出来ません。
事実、上田には幸村像はあっても信之像はない、昌幸の墓所はあっても信之の墓所はない。
上田城築城から昌幸の上洛まで5,6年は上田に居たが、その後、沼田城主となり沼田と大坂や京、伏見、江戸とを行ったり来たりで、関ヶ原後、父昌幸の領地を継承したが、1616年になってようやく上田に戻り藩政を執り行ったが僅か5年で松代へ移封。
信之もまた上田にはわずかな時しかいませんでした。
わずかな時しかいなかったというのは昌幸や幸村と同じでも
やはり、家康の家臣だったからかな。
赤地の小袖に黒字に赤白の肩衣を羽織り、
はったりを利かせ堂々と振る舞った幸村。
しかし、城内は所詮、烏合の衆。
ここでも手を焼く立場に立たされることとなる幸村。
そんな様子が次回から描かれるのでしょう。楽しみです。
早速、九度山脱出を計画。
大坂方の五人衆の内、明石全登は入城済み。
後藤基次が続いて毛利勝永が入城。
続いて真田幸村入城。きり曰く、得体のしれないじじいに扮して。
ここで初めて、きりを連れだって行くという展開が描かれました。
書状が出された年は私論ですが、
おそらく内容から
大八(幸村の次男)が生まれた(1612年)後の翌年の2月8日付けの
真田信之家臣の小山田茂誠(姉である松の夫)に宛てた書状の追伸では
年をとったことが口惜しく存じます。
私共も去年から急に年寄り、
事の他、病身になってきました。
歯なども抜けましたし、
ひげなども黒いところは
あまりなくなってきております。
と、記しています。
しかし、以前にも記したように
監視役の浅野家とうまくやっていたにしても、監視生活が10年以上に及んでいたにしても、その動向は常に監視され、書状もその都度検閲されていました。
そしてどんなに親しい義兄であってもその本当のところを記すことはしなかった。
追伸でわざわざ、老け病み歯が抜け髭が白髪だらけなんて書くでしょうか?
ドラマでは、その辺りの解釈を得体の知れないじじいに扮してとして
城下の人々を欺き、城内の人々をも欺いたと思ったら
勝手知ったる14年振りの城内で威風堂々としたその姿を見せつけるという
いよいよ幸村伝説が始まるというような展開でした。
しかし、早くも大野治長とは上手く行かない、というより大野治長がおもしろく思っていない様子が描かれました。
と記しましたが、何回か見直すとそうではないのかなぁ?大野修理の表情をどっちととるか?
そうなんですよねぇ~、幸村って結局、上司に恵まれなかったんですよねぇ~。
豊臣秀吉にしたってその最盛期は過ぎていたし
石田三成は頭脳明晰で優れた才の人物でも人が付いてこない
大谷吉継は肝心な時に病気になってしまいその才を十分に吸収できなかったし
上杉景勝の言うところの義はちょっと・・・乱世に秀でるには???って感じで
主な4人を挙げましたが、その4人から受けた影響は、決して幸村が生き抜く術にはなっていなかった。
そして、最期の決戦となった場において、
大野治長という秀吉の馬廻り衆や大名となって豊臣家家臣ではあったが関ヶ原では東軍に与し、その後、片桐且元が豊臣家を追われるといつも間にか豊臣家の中心人物になっており(まぁこの流れには、豊臣家家老が一人もいなくなり、淀と大蔵卿局が牛耳っていた為だと思いますが)正直なんだコイツ(厄介者としか思えない)みたいな者が、色々と口を出してきた為に邪魔されてしまった。
というのが、通説ですが、予告編を見ると又兵衛が何やら突っかかってくるような感じですがどう描かれるのでしょうか?
大局を読めない淀と何やらが黒幕感が表に出てきた大蔵卿局が邪魔をしたか。
まぁ、こんなことがあったから伝説になったと言えますが。
序盤から中盤にかけてもう一つの真田家について描かれました。
大坂冬の陣に二人の息子たちが参戦してますからね。
その伏線でしょう。
しかし、大助(幸村の長男)ほど気持ちを入れて見る事は出来ません。
もう一つの真田家・真田信之に対してもやはり幸村ほど気持ちを入れる事は出来ません。
事実、上田には幸村像はあっても信之像はない、昌幸の墓所はあっても信之の墓所はない。
上田城築城から昌幸の上洛まで5,6年は上田に居たが、その後、沼田城主となり沼田と大坂や京、伏見、江戸とを行ったり来たりで、関ヶ原後、父昌幸の領地を継承したが、1616年になってようやく上田に戻り藩政を執り行ったが僅か5年で松代へ移封。
信之もまた上田にはわずかな時しかいませんでした。
わずかな時しかいなかったというのは昌幸や幸村と同じでも
やはり、家康の家臣だったからかな。
赤地の小袖に黒字に赤白の肩衣を羽織り、
はったりを利かせ堂々と振る舞った幸村。
しかし、城内は所詮、烏合の衆。
ここでも手を焼く立場に立たされることとなる幸村。
そんな様子が次回から描かれるのでしょう。楽しみです。