2週間も前の事ですが。
碓氷峠の陣城跡からぐるっと回って群馬県東吾妻町へ。
今までに、3回ほど岩櫃城跡には行っていますが
今回初めて潜竜院跡に行ってきました。
真田昌幸が、武田勝頼を招き入れる為に急造したとされる
館跡ですが、勝頼は来ることなく、その後に『潜竜院』というお寺になったという。
歴史的な背景もさることながら
ここへ来た一番の目的は、残されている石垣の観察。
真田昌幸が手をかけた数少ない遺構。
この石垣から、昌幸が普請した上田城の様子が垣間見れるかなと思ったので。
山中にこんなに広々とした平削地?元から平坦地?があるなんて驚きです。
アリオも走り回れて楽しそうでした(´∀`*)ウフフ
石垣の観察
触れて当時に思いを馳せてみました。
野面積みの石垣で隅角部は算木積の様な感じになっています。
「様な感じに」というのは、天正年間(1573~1592)の中頃ではまだまだ算木積は未発達若しくは積み方が発展途上という時期で、しかも東国ではそれは顕著。
このようなことから、1583年から始まった上田城普請。上田城に部分的に積み上げられた石垣もこんな感じだったのかなと思いました。
潜竜院跡のあとは密岩神社へ
潜竜院跡は多少、雑草が伸び伸び生い茂っていましたが、この程度の時期に訪問できてよかったです。
碓氷峠の陣城跡からぐるっと回って群馬県東吾妻町へ。
今までに、3回ほど岩櫃城跡には行っていますが
今回初めて潜竜院跡に行ってきました。
真田昌幸が、武田勝頼を招き入れる為に急造したとされる
館跡ですが、勝頼は来ることなく、その後に『潜竜院』というお寺になったという。
歴史的な背景もさることながら
ここへ来た一番の目的は、残されている石垣の観察。
真田昌幸が手をかけた数少ない遺構。
この石垣から、昌幸が普請した上田城の様子が垣間見れるかなと思ったので。
山中にこんなに広々とした平削地?元から平坦地?があるなんて驚きです。
アリオも走り回れて楽しそうでした(´∀`*)ウフフ
石垣の観察
触れて当時に思いを馳せてみました。
野面積みの石垣で隅角部は算木積の様な感じになっています。
「様な感じに」というのは、天正年間(1573~1592)の中頃ではまだまだ算木積は未発達若しくは積み方が発展途上という時期で、しかも東国ではそれは顕著。
このようなことから、1583年から始まった上田城普請。上田城に部分的に積み上げられた石垣もこんな感じだったのかなと思いました。
潜竜院跡のあとは密岩神社へ
潜竜院跡は多少、雑草が伸び伸び生い茂っていましたが、この程度の時期に訪問できてよかったです。