厚木野太一の「パンティストッキングのお部屋」

婦人肌着業界並びに婦人靴下業界から長引く不況に喘ぐ
冷え切った我が国経済の立て直しを図ります。

「山で避難小屋が建てられるワケとは・・・」~その1~

2011-09-27 21:06:50 | 社会派パンストフェチの責務とは・・・
唐突ですが、腰を傷めてバレエを辞めて体力を持て余していたボクが始めたモノはあろうコトか登山でした。

しかも縦走登山といって、テントを担いで毎回25kg以上背負ってエッチラオッチラ、ひたすら登るヤツ

です。いくらか良さげに言えば‘ピークハンティング’。

主な山行地は奥秩父、八ヶ岳、南アルプスの南部・北部、北アルプスの中部(薬師岳~雲ノ平~槍ヶ岳)辺り

になります。

3000mの稜線で雷雨に遭うなど恐い経験はありますが、自分自身は怪談話めいた経験はないです。

けど、先輩からの又聞きとして聴いたちょっと気になるお話があります。

埼玉県と山梨県と長野県の分水嶺をなす甲武信岳の東に位置する破風山を甲武信岳側に下った避難小屋を

遥か下に下った水場での出来事でした。何代も前の先輩が同じく雁坂峠から破風山を越えて甲武信岳から

金峰山を目指す合宿でやはり、この破風山避難小屋を利用したのだそうです。ボクたちのクラブは國學院

大學の幾つかある山関係の同好会でテント山行を主体にしたクラブです。ボク達の合宿は3時半起床として

20時消灯とゆうパターンになるのですが、夕飯を済まして食器を洗うのは19時頃になります。

新人錬成合宿を行うこの時期は6月半ばになるのですが、本州東に位置する奥秩父の山中は既に暗闇に

包まれています。丁度梅雨の時期でもあり雨もシトシト降っていたそうです。

冷たい沢の水で食器を洗う二人の1年生の手元を懐中電灯で照らす2年生が二人。その十数メートル先の林の

中を音も無く避難小屋に向かって「スー」と通り過ぎる4~5人のパーティ。二人の2年生は確実に彼等を

現認しています。

当時の破風山避難小屋の作りは中に入ると一面土間で奥行き40~50cm程度の板が縁側の様にその周りに

打ち付けられているだけなので、先輩方はそこに8人用と6人用のテントを張っていたのでした。

・・・と、なると先程通り過ぎたパーティの居場所が無いワケです。明らかに我がパーティのマナー違反。

大急ぎで食器洗いを終えて小屋に戻って留守をしていた3年生に聴いたのです。

2年生「さっきのパーティはどうしました?」

3年生「・・・・?」

2年生「ずぶ濡れになってた4~5人のパーティですよ。」

3年生「誰も来てねーよ・・・」

避難小屋は縦走路脇に建っています。時間帯から破風山を越えて雁坂峠小屋に向かうコトは有りえません。

そう思った時、ボクの先輩方は全員、背筋に冷たいモノを感じたそうです。

ボクがその話しを聴いた1年後、実家から程近い清澄庭園内にある深川図書館で卒論の資料を集めていた時

のコトですが、少し休憩を取ろうと思い、適当な山岳書を探していると1冊の本が目に止まったのでした。

それは遭難記録ではなくて、山岳遭難の概要をまとめたモノでした。その中の1件として「破風山の遭難」が

収められていたのです。








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