山の遭難の概要をまとめたその記事によると、破風山の遭難は大正5年(1916年)7月26日から28日
にかけての出来事で遭難者は5人(内生還者1人)で帝国大学(現東京大学)1年生4人、小学校教諭1人の
パーティでした。
予定した山行コースは、今で言えば西沢渓谷入口を更に進んだ戸渡り尾根取付きから甲武信岳を目指し、稜線
を西に国師岳から主峰金峰山を越えて増富ラジウム鉱泉に至り、温泉に入ろうとゆうモノでした。
ところが、日頃の疲れと夜行列車での寝不足に加え重い装備がのしかかると、若い体力も少々音を上げて、
今いる場所を地元の老婆に尋ねたところ、老婆の耳が遠く彼らが聴きたい情報が伝わらなかったのか、或いは
老婆の訛りが酷く正確に聴き取れなかったのか、全く彼等にとって都合が良い様に聴こえたらしく、既に
甲武信岳に至る戸渡り尾根の取付き点に間もなく辿り着く位置であると勝手に勘違いして戸渡り尾根の取付き
より遥か手前の名も無い尾根に取付いたのでした。
つまり、彼等一行は出発地点からして間違っていたのです。登山ルートでない斜面は熊笹に覆われて当然
歩ける道ではないけれど、そこは若さに任せて猪突盲進したらしく、その日は急斜面に天幕を張り、明けて
翌27日は、20年に一度の大荒れと言われる荒天の中、更に進むとやがて南側の山梨県と北側の埼玉県を
分ける稜線に出たのでした。ところが嵐の中を彷徨う一行の羅針盤は既に狂っていたらしく、そのまま進路
を西に取れば目指す甲武信岳に至るにも拘わらず、稜線を超えて北に向かって下り始めてしまったのです。
相当下った時、道を間違えたコトに気付いても登り返すには既に体力もなく、翌28日にはいよいよ思考回路
もダメになって途中、重い天幕や食料を谷に捨てる等、意味不明なコトをやらかしてしまい当日午後になると
ひとり昏倒し咽喉の渇きを訴える。友のもとに二人残すとあとの二人は水を求めて谷を下る。途中、ひとりが
心細くなって皆の元に戻ると言う。そして、ここに友の水を求めて命を長らえた者と友の元に引き返して友人
と一緒に命を落とす者とに分かれたのでありました。この一連の遭難劇の舞台となったのが当時2年生だった
先輩達が全身濡れネズミで音も無く「スー」と歩く4人の登山者を目撃したとゆう1975年から59年前に
遡ったこの水場周辺だったらしいのです。その後、破風山避難小屋が建てられたそうです。
因みに先輩たちは大正五年夏に起きた帝大生によるこの遭難事故を誰も知りませんでした。
にかけての出来事で遭難者は5人(内生還者1人)で帝国大学(現東京大学)1年生4人、小学校教諭1人の
パーティでした。
予定した山行コースは、今で言えば西沢渓谷入口を更に進んだ戸渡り尾根取付きから甲武信岳を目指し、稜線
を西に国師岳から主峰金峰山を越えて増富ラジウム鉱泉に至り、温泉に入ろうとゆうモノでした。
ところが、日頃の疲れと夜行列車での寝不足に加え重い装備がのしかかると、若い体力も少々音を上げて、
今いる場所を地元の老婆に尋ねたところ、老婆の耳が遠く彼らが聴きたい情報が伝わらなかったのか、或いは
老婆の訛りが酷く正確に聴き取れなかったのか、全く彼等にとって都合が良い様に聴こえたらしく、既に
甲武信岳に至る戸渡り尾根の取付き点に間もなく辿り着く位置であると勝手に勘違いして戸渡り尾根の取付き
より遥か手前の名も無い尾根に取付いたのでした。
つまり、彼等一行は出発地点からして間違っていたのです。登山ルートでない斜面は熊笹に覆われて当然
歩ける道ではないけれど、そこは若さに任せて猪突盲進したらしく、その日は急斜面に天幕を張り、明けて
翌27日は、20年に一度の大荒れと言われる荒天の中、更に進むとやがて南側の山梨県と北側の埼玉県を
分ける稜線に出たのでした。ところが嵐の中を彷徨う一行の羅針盤は既に狂っていたらしく、そのまま進路
を西に取れば目指す甲武信岳に至るにも拘わらず、稜線を超えて北に向かって下り始めてしまったのです。
相当下った時、道を間違えたコトに気付いても登り返すには既に体力もなく、翌28日にはいよいよ思考回路
もダメになって途中、重い天幕や食料を谷に捨てる等、意味不明なコトをやらかしてしまい当日午後になると
ひとり昏倒し咽喉の渇きを訴える。友のもとに二人残すとあとの二人は水を求めて谷を下る。途中、ひとりが
心細くなって皆の元に戻ると言う。そして、ここに友の水を求めて命を長らえた者と友の元に引き返して友人
と一緒に命を落とす者とに分かれたのでありました。この一連の遭難劇の舞台となったのが当時2年生だった
先輩達が全身濡れネズミで音も無く「スー」と歩く4人の登山者を目撃したとゆう1975年から59年前に
遡ったこの水場周辺だったらしいのです。その後、破風山避難小屋が建てられたそうです。
因みに先輩たちは大正五年夏に起きた帝大生によるこの遭難事故を誰も知りませんでした。