仙台3日目の夕方、高校の卒業式を終えて間もない長男が合流した。
4日目は朝からレンタカーを借り、まずは青葉城址に挨拶。
それから一路、陸前高田市へと向かう。
震災当日、偶然家でTVに写る惨状をリアルタイムで見ていた彼は、
もともと被災地への関心は少なくはなかったようだが、
やはり現実の姿を目の当たりにすると言葉を失い、
無残に残された小学校の姿にただ立ち尽くしていた。
そして場所を気仙沼市に移すと、陸前高田市同様、街ごと更地に。
がれきがかろうじて片づけられていることがせめてもの救いか。
しかし、いまだあちこちに被災の爪痕が。
今回の旅が今の彼に与えた衝撃は小さくはないだろうが、
こちらの思いは少し違う。
これから先、生きていくうえで、どこでどのように思い出すか
わからないが、何年後に思い出すのかわからないが、
いつの日か、何かの道しるべとなってくれることを密かに願う。
自分にできるささやかな卒業祝いだ。
余談だが、陸前高田市に向かう車の中、(今の時代は、
スマホがあればどこからでも確認できる便利な世の中に
なったものだが、)第一志望の大学の合格を確認できたようで、
遠く島根県での一人暮らしがはじまることになった。