うつだった人間が書く岩波先生のことと克服までの道のり

うつ病を根本解決できた佐藤のブログ。鬱病克服経験談、精神医療や抗うつ薬治療への提言、岩波英知先生の革命的手法の口コミなど

【眠れない、だるい、眠い、死にたい】うつ病克服ブログ 僕の生い立ちと鬱病原因 そして回復記録、雑感 Part2

2009-08-02 | 鬱病のルーツ分析と回復記録 こうして大うつ病を克服した
鬱病のルーツ分析&整理と回復記録 Part2


◆生きづらくなって

 僕は鬱病にはまる人生を送り続けなくてはいけなかった。
好きでなったわけじゃないけれど、それで生きるしか当時の僕にはなかった。
とにかく生き続けていました。
でも、深刻に自分の人生に向き合ってきたわけじゃないです。
生きづらい自分の性格を認識するのが怖かったのかもしれません。

 いじめや認めてくれない(また愛情表現が下手くそな)親の影響もあり、劣等感もとても強かったです。
人が当たり前にやっていることを、僕は出来なかったのだ。
だけど、よく思われたいとか、恥をかきたくないという願望が強いため、余計コンプレックスが強くなるものです。
ジレンマを感じ、焦りを感じて、心がクサクサすることばかり。
とても生きづらい人生なのも当然です。

 コミュニケーション能力も低くて、ますます一人での遊び(パソコン)にのめり込んでいった。
先の未来を考えるのがとても怖かった。
逃避と空想だけが慰めてくれた。

 孤独でしたが、孤独もまた楽しいものです。
しかし、社会にはいるとそうはいきません。
僕が鬱病に社会人になってからかかってしまったのも当たり前のことなのでした。

◆鬱病になる原因って。家族・学校・会社?

 鬱病のどん底にはまってしまった責任の所在はどこにあるのでしょう? 
  • 僕をからかったり、いじめた奴らだろう? 
  • 人目をとても気にしやすく、そうなるように育てた母親だろうか? 
  • 感情を表に出さないし、褒めたことなどほとんどない父親だろうか? 
  • 誰も褒めてくれないから、自分の存在意義を見いだせなかった? 
  • そりが合わなかった会社の上司だろうか? 
  • 僕らをこきつかった会社だろうか? 
  • 病める人間を作り出している社会システムだろうか? 
  • ろくに僕の心をわかろうとしないで、抗うつ薬SSRIを安易に出し続けた医者だろうか? 

 でも、結局は自分しか自分の症状に責任を持てないのです。
自分の人生だから、自分の苦しさですから。
泣き言はいくらでも言えるけれど、もう起きてしまったことで、取り返しがつきません。
それが現状を受け入れる=心が楽になることかも。

 鬱病や神経症が良くなっていく人は、そういう割り切りが出来る人だと思います。
もちろん、僕は一人では割り切りは出来なかったけれど、くどい人間ほど不安感が強いんだと思います。
不安が強くなるとくどくなって、そのくどさで鬱病が悪化していく感じがします。

 あとコミュニケーション能力を上げた方が絶対にいいです。
コミュニケーション能力を上げることで自分に自信を持て、生きやすくなりましたから。
人間関係が悩みに占める割合は、誰だって圧倒的だと思います。
だからこそ必要です。

 それだけ悩みの原因が減るわけですからね。
もし僕にコミュニケーションスキルがあったら、いじめを受けることはなかったに違いありません。
また内にこもって一人遊びをすることもなかったでしょう。

◆何をやっても鬱病・抑うつ状態は改善せず

 社会人になって、SE,プログラマという職業に就き、仕事のストレスや職場の人間関係でボロボロになって鬱病になったことは前に書きました(
鬱病と仕事との関係考察

 つらい現状を打開するために、鬱病を克服するために精神科と催眠療法に通いました。
しかし抗鬱剤SSRIをたくさん飲んでも、改善することができず、休職、ニートの状態が続きました。

 このままダメになっていく自分を見て、母親がどうにかしようと方々をあたってくれました。
それでも結局ダメで、一時はやめていた抗鬱薬SSRIに頼るしか生き残る術はないのかなと絶望の淵に立たされました

 催眠療法もどういう状態が催眠状態なのか、自己暗示と自律訓練法のCDを聞いても何にもならないし、やっていることは詐欺に近いんじゃないかと思うぐらいレベルが低いところでした。
どういうところが評価が高くて人気があるなんて、ぜんぜん情報を得られませんでした。

 でも、その後に鬱病への対策アプローチとして、一大転機となるものあったんですが、この章はここまでです。


 鬱病は焦りが禁物です。
何をやってもダメだと思うとますます焦りにはまって、改善するものも改善しなくなります。
僕はその罠にはまってしまい、せっかくの努力がすべて水の泡でした。

鬱病になったんだからしょうがない、こういう気持の方が、鬱病回復の第一歩に確実になると思います。



その三につづきます。

鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復1
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復2
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復3


【一体いつ治るのか、先が見えない】うつ病克服ブログ 僕の生い立ちと鬱病原因 そして回復記録、雑感 Part1

2009-08-02 | 鬱病のルーツ分析と回復記録 こうして大うつ病を克服した
鬱病のルーツ分析&整理と回復記録 Part1


◆まずは僕のプロフィールから
Sugar Bφy (SATO)
1978年生まれ(昭和53年) とある離島出身 中学から東京へ引っ越す

◆いじめを受け・・・

 一人で遊ぶことがとても楽しかったタイプです。
テレビゲームにもはまってしまった(一人で遊ぶのに、逃避にも一番最適だったし、何より楽しめました)
小学生時代のいじめがまず最初の鬱病の原因です。 

 汚いとよく言われました。
バイ菌のように扱われました。
小学生の時はいじめられたり、そうでなかったり繰り返していました。

 中学に入ってから再びいじめの被害に遭います。
肉体的な暴力はほとんどなかったです。
ぶたれたり蹴られたりした方がまだよかったと思うくらい、精神的ないじめがひどかったです(だけどどちらも心の傷になるのは間違いない)。

 父親の仕事で、東京都内の中学に引っ越すことに。
離島での閉塞された状況といじめの傷から晴れて、すべてがよい方向に変わると思っていた。
すごく解放されたすがすがしい気持ちでした。

 大嫌いな島と学校とクラスから離れられると思うとホッとしたようなうれしいような気持ちでした。
離島だけあって、閉塞感と保守性がすさまじくて、常に島民の眼があって僕はなじめませんでした。
生まれ育った地域の特性と鬱病(神経症)は非常に関係していると思います。

 地域環境や家庭環境を鬱病の人は今一度洗い直してください。
鬱病になる種はまかれているはずです。


◆引っ越し先の中学でもいじめの被害に

 でも東京の中学でもいじめやからかいにあってしまいました。
このことに大変ショックを受ける(僕はどこにいってもいじめられる存在だということだから)。
すごく孤独でした。

 仲の良い友達もいましたが、いじめグループから目をつけられていました。
おそらく僕のどこかにいじめて楽しいと思わせる要因があったのでしょう。
しかしこれは自己否定につながります。
表だって暴力を受けたことはほとんどありませんが、やっぱり言葉や態度でのいじめはきつかったです。

◆心を汲んでくれない親

 親は何事も限定された狭い島という環境スペースで生きてきました。
だから、人からどう思われる、こう思われる、目立つことをやってはいけない、調和を乱してはいけないという観念が非常に強く、僕も小さいときからずっと影響を受けてきました。

 あと親はとてもしつけが厳しくて、褒めてくれない人でした。
さも当然というような態度です。
親の親からそういう風に育てられてきたのでしょうか。
こうしなさい、ああしなさい、こういう風にしろ、という育て方で、僕は自分を見失っていきました。
ただでさえ学校でのトラブルで自分に自信を持てないのに、のびのびと心の余裕を育む環境が家にもなかったのです。

 たくさん勉強していい成績を取っても、自分の期待したのとはかけ離れた反応をしただけだった。
非常に不満だったし、寂しく感じたし、自分の価値がそれでは見いだせません。
親からはもっと得点をとれると言われた時はショックだった(典型的な鬱病の親かもしれない)。

 いつまで経っても褒めてもらえないという絶望感はいいようがないもので、生きることへの不安をより強化してしまいました。
どんなに頑張っても親から褒められなかった人(飯島愛さんをはじめとする有名人など)が、結局最後は悲しい結末になっているニュースに接すると他人事じゃないと思います。
アダルトチルドレンは鬱病になりやすいそうです。
もしかしたら僕もアダルトチルドレンと呼ばれる人だったのかもしれない。
機能不全家庭ではなかったけれど。

 親は愛があるからこそ、そういう育て方をしたのでしょうが、子育ては難しいものですね。
決して親は悪い人間ではないけれど、あまりに視野が狭い人でした
そういう家庭と環境で育ちました。

 それ単体ではならなくとも、この時点で鬱病になる原因はしっかりとできていたのです。
学校と家庭、僕のどこに安息があったのでしょうか? 
一人でいることが何より楽しみでたまらなく、よく空想にふけっていました。
一人遊びを含めて逃避行動と言えるんでしょうか。

 恥ずかしいことをしてしまったら、立ちゆかなくなる環境で育ったから、人目を気にして生きるようになります。
恥をかいた時の後悔はずっと消えませんでした。
夜中ふと恥をかいたこと、出しゃばってしまったかなと思い出すと、「うわー、ああー」と呻いてしまいました。
それくらい罪の意識が強かったのです。

 「そんなことどうだっていいじゃん」と思いこもうとしても、どうしても思えなかった。
どうだっていいって想像することすらできませんでした。

◆鬱病になる布石

 対人恐怖症という段階までにはならなかったけれど、その要素は誰よりも持っていた人間になっていました。
親のいびつな作品として、そして学校生活のトラウマによって、健康的に育つことができませんでした
だから、生きていて楽しいことも少なく、友達と楽しんだことはあんまりなかった。
友達や人に合わせて楽しいふりをしていただけです。
僕は演技ばっかりをしてきたと思います。

 自分を見失い、価値を感じられず、かつ楽しい経験がなかったから、当然、落ち込んだ状態が長く続いた。
抑うつ状態のまま思春期を過ごしてきたと思います(ただ一人遊びや空想だけが僕の気を紛らわせてくれた)。

 感情が出せなくなったし、出すこと自体も恥ずかしかった
親も感情を出さない人だったので、当然ですね。

 そういう人は周りから不気味がられたり、不信の眼で見られるものです。
だからますます周囲から浮く存在になるというバッド・サイクルでぐるぐると回っていました。

 心の抑圧をため続けて、さらに社会の厳しい環境で、何の解決もしないまま過ごし、ついには鬱状態にはまるという流れ。
鬱病にはまりこんでしまうのも、もう当たり前でした。

 未来予想図はこのときにはもう決まっていたようなものかもしれません。
僕の脳の中のホルモン(神経伝達物質)が、多大なストレスによって、悪い影響を受け始めていたと思います。
自律神経(交感神経・副交感神経)もずっと崩れたまま成長しましたし。


その二につづきます。

鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復1
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復2
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復3



【気が滅入る】うつ病克服ブログ 鬱病と僕の生い立ちと回復 自己正常化プログラムで行ったルーツ分析から

2009-08-02 | 鬱病になった原因考察 僕の生い立ちと大うつ病の理由

 鬱病になる生い立ちと回復の記録鬱病克服の過程で気づいたことを書いていきたいです。
地獄の苦しみと苦労しながらも回復した記録になります。

 鬱病になるには理由があります。
脳内伝達物質がトラブルになるのも理由があるということ。
僕の人生を振り返って、なぜ鬱病で苦しまなければいけなかったのか考察しています。

 鬱病を治す方法と体験も掲載しています。
簡単ですが鬱病のルーツを辿る旅です。



鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復1
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復2
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復3

この3つは岩波英和先生の自己正常化プログラムの口コミ体験談です。