鬱病のルーツ分析&整理と回復記録 Part1
◆まずは僕のプロフィールから
Sugar Bφy (SATO)
1978年生まれ(昭和53年) とある離島出身 中学から東京へ引っ越す
◆いじめを受け・・・
一人で遊ぶことがとても楽しかったタイプです。
テレビゲームにもはまってしまった(一人で遊ぶのに、逃避にも一番最適だったし、何より楽しめました)
小学生時代のいじめがまず最初の鬱病の原因です。
汚いとよく言われました。
バイ菌のように扱われました。
小学生の時はいじめられたり、そうでなかったり繰り返していました。
中学に入ってから再びいじめの被害に遭います。
肉体的な暴力はほとんどなかったです。
ぶたれたり蹴られたりした方がまだよかったと思うくらい、精神的ないじめがひどかったです(だけどどちらも心の傷になるのは間違いない)。
父親の仕事で、東京都内の中学に引っ越すことに。
離島での閉塞された状況といじめの傷から晴れて、すべてがよい方向に変わると思っていた。
すごく解放されたすがすがしい気持ちでした。
大嫌いな島と学校とクラスから離れられると思うとホッとしたようなうれしいような気持ちでした。
離島だけあって、閉塞感と保守性がすさまじくて、常に島民の眼があって僕はなじめませんでした。
生まれ育った地域の特性と鬱病(神経症)は非常に関係していると思います。
地域環境や家庭環境を鬱病の人は今一度洗い直してください。
鬱病になる種はまかれているはずです。
◆引っ越し先の中学でもいじめの被害に
でも東京の中学でもいじめやからかいにあってしまいました。
このことに大変ショックを受ける(僕はどこにいってもいじめられる存在だということだから)。
すごく孤独でした。
仲の良い友達もいましたが、いじめグループから目をつけられていました。
おそらく僕のどこかにいじめて楽しいと思わせる要因があったのでしょう。
しかしこれは自己否定につながります。
表だって暴力を受けたことはほとんどありませんが、やっぱり言葉や態度でのいじめはきつかったです。
◆心を汲んでくれない親
親は何事も限定された狭い島という環境スペースで生きてきました。
だから、人からどう思われる、こう思われる、目立つことをやってはいけない、調和を乱してはいけないという観念が非常に強く、僕も小さいときからずっと影響を受けてきました。
あと親はとてもしつけが厳しくて、褒めてくれない人でした。
さも当然というような態度です。
親の親からそういう風に育てられてきたのでしょうか。
こうしなさい、ああしなさい、こういう風にしろ、という育て方で、僕は自分を見失っていきました。
ただでさえ学校でのトラブルで自分に自信を持てないのに、のびのびと心の余裕を育む環境が家にもなかったのです。
たくさん勉強していい成績を取っても、自分の期待したのとはかけ離れた反応をしただけだった。
非常に不満だったし、寂しく感じたし、自分の価値がそれでは見いだせません。
親からはもっと得点をとれると言われた時はショックだった(典型的な鬱病の親かもしれない)。
いつまで経っても褒めてもらえないという絶望感はいいようがないもので、生きることへの不安をより強化してしまいました。
どんなに頑張っても親から褒められなかった人(飯島愛さんをはじめとする有名人など)が、結局最後は悲しい結末になっているニュースに接すると他人事じゃないと思います。
アダルトチルドレンは鬱病になりやすいそうです。
もしかしたら僕もアダルトチルドレンと呼ばれる人だったのかもしれない。
機能不全家庭ではなかったけれど。
親は愛があるからこそ、そういう育て方をしたのでしょうが、子育ては難しいものですね。
決して親は悪い人間ではないけれど、あまりに視野が狭い人でした。
そういう家庭と環境で育ちました。
それ単体ではならなくとも、この時点で鬱病になる原因はしっかりとできていたのです。
学校と家庭、僕のどこに安息があったのでしょうか?
一人でいることが何より楽しみでたまらなく、よく空想にふけっていました。
一人遊びを含めて逃避行動と言えるんでしょうか。
恥ずかしいことをしてしまったら、立ちゆかなくなる環境で育ったから、人目を気にして生きるようになります。
恥をかいた時の後悔はずっと消えませんでした。
夜中ふと恥をかいたこと、出しゃばってしまったかなと思い出すと、「うわー、ああー」と呻いてしまいました。
それくらい罪の意識が強かったのです。
「そんなことどうだっていいじゃん」と思いこもうとしても、どうしても思えなかった。
どうだっていいって想像することすらできませんでした。
◆鬱病になる布石
対人恐怖症という段階までにはならなかったけれど、その要素は誰よりも持っていた人間になっていました。
親のいびつな作品として、そして学校生活のトラウマによって、健康的に育つことができませんでした。
だから、生きていて楽しいことも少なく、友達と楽しんだことはあんまりなかった。
友達や人に合わせて楽しいふりをしていただけです。
僕は演技ばっかりをしてきたと思います。
自分を見失い、価値を感じられず、かつ楽しい経験がなかったから、当然、落ち込んだ状態が長く続いた。
抑うつ状態のまま思春期を過ごしてきたと思います(ただ一人遊びや空想だけが僕の気を紛らわせてくれた)。
感情が出せなくなったし、出すこと自体も恥ずかしかった。
親も感情を出さない人だったので、当然ですね。
そういう人は周りから不気味がられたり、不信の眼で見られるものです。
だからますます周囲から浮く存在になるというバッド・サイクルでぐるぐると回っていました。
心の抑圧をため続けて、さらに社会の厳しい環境で、何の解決もしないまま過ごし、ついには鬱状態にはまるという流れ。
鬱病にはまりこんでしまうのも、もう当たり前でした。
未来予想図はこのときにはもう決まっていたようなものかもしれません。
僕の脳の中のホルモン(神経伝達物質)が、多大なストレスによって、悪い影響を受け始めていたと思います。
自律神経(交感神経・副交感神経)もずっと崩れたまま成長しましたし。
その二につづきます。
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復1
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復2
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復3
◆まずは僕のプロフィールから
Sugar Bφy (SATO)
1978年生まれ(昭和53年) とある離島出身 中学から東京へ引っ越す
◆いじめを受け・・・
一人で遊ぶことがとても楽しかったタイプです。
テレビゲームにもはまってしまった(一人で遊ぶのに、逃避にも一番最適だったし、何より楽しめました)
小学生時代のいじめがまず最初の鬱病の原因です。
汚いとよく言われました。
バイ菌のように扱われました。
小学生の時はいじめられたり、そうでなかったり繰り返していました。
中学に入ってから再びいじめの被害に遭います。
肉体的な暴力はほとんどなかったです。
ぶたれたり蹴られたりした方がまだよかったと思うくらい、精神的ないじめがひどかったです(だけどどちらも心の傷になるのは間違いない)。
父親の仕事で、東京都内の中学に引っ越すことに。
離島での閉塞された状況といじめの傷から晴れて、すべてがよい方向に変わると思っていた。
すごく解放されたすがすがしい気持ちでした。
大嫌いな島と学校とクラスから離れられると思うとホッとしたようなうれしいような気持ちでした。
離島だけあって、閉塞感と保守性がすさまじくて、常に島民の眼があって僕はなじめませんでした。
生まれ育った地域の特性と鬱病(神経症)は非常に関係していると思います。
地域環境や家庭環境を鬱病の人は今一度洗い直してください。
鬱病になる種はまかれているはずです。
◆引っ越し先の中学でもいじめの被害に
でも東京の中学でもいじめやからかいにあってしまいました。
このことに大変ショックを受ける(僕はどこにいってもいじめられる存在だということだから)。
すごく孤独でした。
仲の良い友達もいましたが、いじめグループから目をつけられていました。
おそらく僕のどこかにいじめて楽しいと思わせる要因があったのでしょう。
しかしこれは自己否定につながります。
表だって暴力を受けたことはほとんどありませんが、やっぱり言葉や態度でのいじめはきつかったです。
◆心を汲んでくれない親
親は何事も限定された狭い島という環境スペースで生きてきました。
だから、人からどう思われる、こう思われる、目立つことをやってはいけない、調和を乱してはいけないという観念が非常に強く、僕も小さいときからずっと影響を受けてきました。
あと親はとてもしつけが厳しくて、褒めてくれない人でした。
さも当然というような態度です。
親の親からそういう風に育てられてきたのでしょうか。
こうしなさい、ああしなさい、こういう風にしろ、という育て方で、僕は自分を見失っていきました。
ただでさえ学校でのトラブルで自分に自信を持てないのに、のびのびと心の余裕を育む環境が家にもなかったのです。
たくさん勉強していい成績を取っても、自分の期待したのとはかけ離れた反応をしただけだった。
非常に不満だったし、寂しく感じたし、自分の価値がそれでは見いだせません。
親からはもっと得点をとれると言われた時はショックだった(典型的な鬱病の親かもしれない)。
いつまで経っても褒めてもらえないという絶望感はいいようがないもので、生きることへの不安をより強化してしまいました。
どんなに頑張っても親から褒められなかった人(飯島愛さんをはじめとする有名人など)が、結局最後は悲しい結末になっているニュースに接すると他人事じゃないと思います。
アダルトチルドレンは鬱病になりやすいそうです。
もしかしたら僕もアダルトチルドレンと呼ばれる人だったのかもしれない。
機能不全家庭ではなかったけれど。
親は愛があるからこそ、そういう育て方をしたのでしょうが、子育ては難しいものですね。
決して親は悪い人間ではないけれど、あまりに視野が狭い人でした。
そういう家庭と環境で育ちました。
それ単体ではならなくとも、この時点で鬱病になる原因はしっかりとできていたのです。
学校と家庭、僕のどこに安息があったのでしょうか?
一人でいることが何より楽しみでたまらなく、よく空想にふけっていました。
一人遊びを含めて逃避行動と言えるんでしょうか。
恥ずかしいことをしてしまったら、立ちゆかなくなる環境で育ったから、人目を気にして生きるようになります。
恥をかいた時の後悔はずっと消えませんでした。
夜中ふと恥をかいたこと、出しゃばってしまったかなと思い出すと、「うわー、ああー」と呻いてしまいました。
それくらい罪の意識が強かったのです。
「そんなことどうだっていいじゃん」と思いこもうとしても、どうしても思えなかった。
どうだっていいって想像することすらできませんでした。
◆鬱病になる布石
対人恐怖症という段階までにはならなかったけれど、その要素は誰よりも持っていた人間になっていました。
親のいびつな作品として、そして学校生活のトラウマによって、健康的に育つことができませんでした。
だから、生きていて楽しいことも少なく、友達と楽しんだことはあんまりなかった。
友達や人に合わせて楽しいふりをしていただけです。
僕は演技ばっかりをしてきたと思います。
自分を見失い、価値を感じられず、かつ楽しい経験がなかったから、当然、落ち込んだ状態が長く続いた。
抑うつ状態のまま思春期を過ごしてきたと思います(ただ一人遊びや空想だけが僕の気を紛らわせてくれた)。
感情が出せなくなったし、出すこと自体も恥ずかしかった。
親も感情を出さない人だったので、当然ですね。
そういう人は周りから不気味がられたり、不信の眼で見られるものです。
だからますます周囲から浮く存在になるというバッド・サイクルでぐるぐると回っていました。
心の抑圧をため続けて、さらに社会の厳しい環境で、何の解決もしないまま過ごし、ついには鬱状態にはまるという流れ。
鬱病にはまりこんでしまうのも、もう当たり前でした。
未来予想図はこのときにはもう決まっていたようなものかもしれません。
僕の脳の中のホルモン(神経伝達物質)が、多大なストレスによって、悪い影響を受け始めていたと思います。
自律神経(交感神経・副交感神経)もずっと崩れたまま成長しましたし。
その二につづきます。
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復1
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復2
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復3