大垣おやこ劇場と大垣演劇鑑賞会合同例会『わたしの昆虫記』
4月21日(土)大垣市スイトピアセンター文化ホールにて、大千秋楽公演として上演されました。
たくさんの感動を頂けたステージでした。
思うことがあまりにもたくさんで、なかなか報告記事がアップできず…申し訳ありません。
うまくまとまらない記事になるかとも思いますが、何とか頑張って書きます。
今回の上演の前に、事前企画として行われた右来左往さんとの座談会の様子はこちらにリンクを貼ります。
既に先月の事なのですが、懐かしいと同時に、ついこの間の事のような気もしますね。出来れば事後座談会もじっくりと行えたら良かったです。
本題に入ります。
まずは上演前の様子から。
事務局受付には募金箱が2つ設置されています。
向かって左は能登半島地震被災地支援募金箱。現地の子ども劇場さんは、事務局の移転先が決まったとのことで、まだまだ大変な状況であることは変わりないと思います。世間の関心が薄くなりつつあるような気がするのですが、少しずつでも募金等の支援は続けていかなければなりませんね。
右側には7月に実施される50周年記念フェスのカンパ募金箱。
皆様のご協力、よろしくお願いいたします!
ロビーの展示は、右来左往さんと大垣おやこ劇場とのお付き合いの歴史がギュッとつまっているようですね。
もはや懐かしい『エデンの東』『紡ぐ一糸は川の流れ』『晴れた空』の思い出たち。劇場や出演者、スタッフ一同の宝物です!
1945年8月10日、原爆投下直後の長崎の山奥にある寄宿学校で生活している4人の女学生と、その地に不時着したパイロット、彼を探しにきた親友の2人の特攻隊兵士。思いがけず8月14日までの短いけど若者らしい時間を共に過ごすことに…。
東京大空襲、特攻隊出撃と言う現実を背負って生きる6人の物語は、学校の授業で教科書から学ぶよりも戦争の悲劇と2度と同じ過ちを繰り返さないと言う教訓と、決して忘れてはならないと言う決意を私たちに教えてくれました。
昆虫学者になると言う夢をかなえたい、親友と共に生きていたいと言う願いを胸に秘めて特攻隊の本拠地である知覧に戻っていく2人の隊員に、「あと2日あればもう戦争は終わるんだよ!」と叫びたかった。生き延びて欲しかった。
それができないもどかしさを考えると、心の底から戦争を引き起こし、若者の命をむざむざと失わせ、一番守られるべき民間人の暮らしと命までも奪うほども泥沼に陥らせた戦争指導者達への怒りとやりきれなさを、自分自身の事として感じさせてくれた劇。
いつ、また同じような、むしろあの当時よりも悲惨な世界になるか分からない今。本当ならもっと長く、たくさんの人達に観てもらいたい作品。これが最後の上演であることが残念でなりません。
ここからは上演後の様子です。
1時間50分の劇『わたしの昆虫記~幼い虫たちと赤とんぼのおはなし~』
上演後には、もう見ることはできなくなる舞台装置を何人もの観客が写真に収めていました。
今まで大垣おやこ劇場と大垣市が右来さんと取り組んできた市民劇の世界にもリンクする数々の名場面が、今でも頭の中に鮮やかに甦ります。
終演後の交流会も、この作品への熱い思いが溢れるひとときでした。
短い時間ではありましたが、この作品への熱い思いを役者の皆さんと私達観客側とで共に共有でき、嬉しかったです。
劇団パノラマアワーの皆さん、本当にありがとうございました!
例会として取り組むことが出来て心から良かったと思います。
大垣演劇鑑賞会、大垣おやこ劇場だからこそ出会えた作品でした。