2月も、もう間もなく終わろうとしています。
来週末はもう3月です。卒業式、修了式、年度終わり等々、新しい節目を迎える季節になりますね。
そして…そう、あの大地震から6年目の3月11日が巡ってきます。
命の大切さ、当たり前な日常があることの幸せ…思うことはいろいろです。
そんな昨日2月26日、大垣おやこ劇場では小学生と親さんに向けての、いのちの授業を行いました。
午前中は講演会、午後からは低学年、中学年、高学年に分かれての学習会です。
ここでは午前中に行われた講演会の報告をしたいと思います。
今から14年前、2003年にご長男を亡くされた元保育士、横幕真紀さんの講演会です。
白血病と最後まで戦い、たくさんの笑顔と感動を残し5歳3か月で天国に旅立った航平君との日々をつづった著書が
こちら『ずっとそばにいるよ~天使になった航平~』です。
会場に展示された直筆のボードや思い出のお写真の数々。これらを見ただけでも胸が熱くなってきそうです。
なお、横幕先生より写真のブログアップの許可は快く頂いています。ありがとうございます!
おやこ劇場事務局のSさんによる挨拶と講師紹介。
おやこ劇場会員さんだけでなく、大勢の小学生の親子さんにもご参加いただきました。
今回の講演会は小学生対象という事で、優しく明るい語りでお話をしてくださいました。
平成10年7月19日に長男の航平君を出産された時のお話、激しい陣痛は苦しかったけれど航平君が無事に産まれて来たときには「産まれて来てくれてありがとう!しっかりこの子を守って行こう!」と思われたそうです。
その後、男の子が2人産まれて3人兄弟に。そして3人それぞれに子育ての記録である4行日記を書き続けたそうです。
弟が生まれると、おむつを替えたりお母さんの真似をして自分のおっぱいをあげるくらい、いっぱいいっぱい可愛がっていたそうです。弟君もお兄ちゃんが大好き!いつも一緒の兄弟でした。
そんな航平君の4行日記は、2002年11月19日、4歳で白血病を発症してからは闘病日記に…。ページの至る所に検査等のデータも貼られてありました。
鼻血が止まらない、40℃の熱が続く、顔にあざが出てくる等の症状が現れたため血液検査を行い、白血病であることが判明し即入院、病気との過酷な戦いが始まりました。
感染症防止のために病室から出られない、弟たちにも会えない、そして激しく苦しい副作用を伴う治療の毎日、そんな日々での航平君が願った将来の夢は…「家に帰って弟と遊ぶ」だったそうです。
横幕先生は、「今は子ども達に早くから将来の目標を考えさせることが多いけど、そんなに急がなくていい、大きな目標でなくていい、一日を笑顔でがんばると言う夢でもいい。将来を…と思っても明日はどうなるか分からない。一日を大切に生きて行くことで自然と将来を生きる力が育っていくと思います」と語られました。
入院後70日目に一時帰宅が許可されてお家に一泊。その日は思い切り兄弟や従兄弟たちと遊び、3人兄弟並んで夜を過ごしたそうです。
その後、すぐ下の弟君がドナーとなり骨髄移植が行われました。
当時弟君は2歳7か月、身内同士でも骨髄適合率はわずか25%、奇跡のような適合だったそうです。まだ2歳という幼さ、身体への負担も大きい移植を行うことに、もちろん迷いもあったそうですが、弟君は大好きなお兄ちゃんのために進んで提供をしてくれたそうです。その時の弟君のお写真もパネルで展示されていましたが、本当ににこにこ笑顔が輝いていました。
そして、提供を受けた航平君も、無菌テントのなかで苦しい拒絶反応と闘いながら「お母さんのために頑張る!」と、これ以上にないくらいの頑張りようだったそうです。
航平君の闘病生活を支えたのは、ご両親や2人の弟君、それにお祖父ちゃんお祖母ちゃん、そして叔母さんのご家族でした。
千羽鶴を4クール作ってくださり、その折り紙一枚一枚の裏側にこうメッセージを書いてあったそうです。
こちらは航平君が大好きなウルトラマンの折り紙。これも叔母さんご一家が作ってくださったそうです。
そして、ここからEテレでオンエアされた横幕先生ご一家を取材した番組の映像が流れました。
映像の中で懸命に入院生活を送る航平君、一時帰宅できた日のご家族の幸せな時間、再び病院に戻らなければならない時の悲しみや辛さ…参加していた小学生達も親さんも食い入るように見つめています。
ハンカチを目に当てているお母さん、最初はちょっぴり落ち着かなかった兄弟がいつの間にかじいっと静かに耳を傾けている姿もありました。
それだけ、航平君とご家族の姿は皆の心を打つ存在であったのでしょう。
骨髄移植を経て一時は個室を出て大部屋に移動できるほど回復し、退院と言う言葉も出始めた矢先、突然病状が悪化。
再び酸素テントの中へ…もう治療の施しようがなくなり、担当の医師も悔し泣きをされるほどに…。
それまで感染防止のために会えなかった弟君たちとの面会の時には、力を振り絞って起き上がり「可愛い…」と声をかけ、最後までお兄ちゃんだった航平君。
最後の時には酸素テントの中でお父さんお母さんに挟まれて横になり、呼吸が弱まる中お母さんの腕に抱かれて「あ…あ…ありがとう」とご両親に感謝の言葉を残して静かに息を引き取りました。10月19日、骨髄を提供してくれた弟君の3歳のお誕生日だったそうです。
映像が終わり、最後に横幕先生がお話をされました
今でも悲しくて泣いてしまう時もあります。思いっきり泣いて、そして航平君の笑顔の写真を見て、また笑顔になる。
悲しいときは空を見ます。そうすれば空の上から航平君が空から見てくれています。
ここ最近は、人のいのちを粗末にするような悲惨な事件などが数多く起きていますが、そうしたことが起きるたび腹立たしくなります。
人が亡くなることは本当につらいことです。いらないいのちなんてない!みんなみんな、一人一人が大切ないのちです。
講演が終わった後には、参加者の皆さんで航平君へのお手紙を書きました。
きっといつもなら文章を書くのが苦手な子や親さんもおられたと思いますが、どの人も一生懸命書き綴っていましたね。
横幕先生から、参加されたご家族に1枚づつ航平君の可愛いイラストの栞を頂きました。ありがとうございます。
…写真を撮り忘れたのが残念&反省しきりです(汗)
帰り間際まで、パネル写真を見ていく小学生達。その背中には真剣さが感じられました。
この後の学年ごとの学習会に向けて、大切なことを学んだ事と思います。「本読みたい!」と、その場で先生の著書の購入を決めた女子もいました。
大切な、そして心に刻まれるお話をしてくださった横幕真紀先生、そして天国の航平君、本当にありがとうございました。