子ども相談室 すきっと

子どもと自分を育てるブログ

35.子育てと仕事⑪(自分への投資)

2013-11-28 21:35:29 | 自分のこと

晴れてスクールカウンセラーとして仕事に就くことができ、
喜んだのもつかの間、
それからが本当に大変でした。

悩んでいる生徒や保護者、先生の相談にのったり、
子どもたちに講話をしたり…。
どんな仕事でも初心者の時はありますが、
人の一生がかかっている仕事です。
中途半端なことはできません。

それから10年。
本当によく勉強したと思います。
自分の中で、いくつかスクールカウンセラーに必要な資格をピックアップして、
10カ年計画で資格を取るための勉強と勉強会への参加をしました。

もちろん、お金もかかりましたが、
それも自己投資です。

情報がこれだけ発達した今、親が子どもに教えられるのは自分の生き様だけです。
この10年の間に、子どもたちは高校へ行き、大学へ行き、社会人になっていきました。

自分が一生懸命生きている姿を子どもたちに見てもらいたい。
それは、今でも変わらない私の想いです。

(子育てと仕事は、これで終わります(^^))


 


33.子育てと仕事⑨(先の見えない不安)

2013-11-20 18:48:25 | 自分のこと

交流分析士の勉強を始めると、
心理学のおもしろさに日に日に惹かれていくようになりました。

自分はどんな性格なのか…、
自分がどうしてこう考えるようになったのか…など、
自分への理解が深まると同時に、
子どもたちのいろいろな現れの意味が
少しずつわかってきました。

とはいえ、今思えばまだまだひよっこです。
それはわかったつもりになっているだけで、
全然わかってはいなかったのです。

それでも、自己理解はどんどん深まっていって、
思ったことは何でも言う性格だったのに、
これって本当に言っていいことなのかな…なんて考えるようになり、
次第に人との関わりが消極的になっていくのを感じました。

井の中の蛙が、外界に出たため、
臆病になったとでも言うところでしょうか…(笑)。

交流分析を学び始めて、資格を取りだして4年くらいが経った頃、
子どもたちも成長して学費がかかるようになってきていました。

当時、中学校にスクールカウンセラーを配置するという計画が進んでいました。
しかし、臨床心理士の数が少なく、それに変わる準カウンセラーを捜していました。
臨床心理士の友だちから、やってみないかと言われ、
金銭的にもそれならやっていけると思い教育委員会に履歴書を出したのですが、
あっけなく落とされてしまいました。
今思えば当たり前のことなのですが、がっくりしたことは言うまでもありません。

今までやっていた編集の仕事も辞めていました。
自分の中で次のステップに進みたいと強く思っていたからです。
やめた事による不安や落とされた事による落胆など、
当時は、本当に先の見えない不安な日々を過ごしていたのだと思います。

雑誌の中に書かれていた『一生懸命やっていれば道は拓けてくる』という言葉だけが
当時の私の心の支えでした。(つづく)


32.子育てと仕事⑧(心理学を学び始める)

2013-11-19 22:53:57 | 自分のこと

心理学を学びたいとは思いましたが、
全く知識がありませんでしたから、
とりあえず県が主催していた無料の心理学講座に参加しました。

その講座は、いくつかある心理学のジャンルを毎回一つずつ学ぶもので、
そこで全部で6つくらいの心理学のエッセンスに触れることができました。

その時に講師の先生から学んだことは、
何か一つ自分にとって軸になるジャンルを決め、
それに肉付けしていく形で学んでいくといい…ということでした。

しかし、何を軸にしたらいいものやらと悩んでいたところ、
たまたまとなりになった女性から
「交流分析」という心理学を学んでいると聞かされました。

「交流を分析する」とはなんと明快な名前なんだ…と、
その名前に惚れ込み、自分の中で「これだ!」とビビッと感じ、
家に帰ってからインターネットでどこで学べるかを調べて、
教室の戸をたたきました。

それが、末の子が小1位の頃、35歳の時でした。


31.子育てと仕事⑦(地域活動を始める)

2013-11-10 23:22:42 | 自分のこと

編集の仕事はおもしろかったのですが、
収入はさほど多くはありませんでした。

そこで、子ども頃好きだった算数の教室でも開こうかな~と、
安易に考えていたところに、
息子のいじめの問題が起こりました。

いじめられた側ではなく、いじめた側として学校に呼び出され、
息子共々いろいろと注意をうけました。
でも、自分の中では、息子はそんなことをする子ではないと思ったし、
相手の子も、他にかかわっていた子どもたちもよく知っている子たちだったので、
本当にそんなことがあったのかどうか釈然としない思いがありました。

昔だったら、地域の大人が子どもたちの様子を見ていてくれて、
悪いことは叱ってくれたでしょうし、
困ったときに「OOくんはそんな子じゃないよな」と弁護してくれたのかもしれません。

しかし、当時まわりにそんな大人はいませんでした。

そこで、「自分がそんな大人になろう。
昔いた地域のおじさんやおばさんのような存在になろう」と思い立ち
「かっぱらぱ編集室」という子どもの居場所づくり活動を始めました。

かっぱらぱ編集室ホームページ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kappara/

初めは我が子と友だちの子ども4人からスタートした居場所づくりでしたが、
子どもたちの口コミであっという間に20人になりました。
そんな中、親の中には子どもが「来たい」と言っても
「なんの資格もない人に子どもを預けられない」と言う人もいて、
それなら何か資格を…と心理学の勉強を始めました。

それが今から15年前のことです。(つづく)


30.子育てと仕事⑥(取材をしているうちに)

2013-10-29 11:09:46 | 自分のこと

取材の話しにもどります。

取材先の情報を得て、編集会議にかけて、取材をして、記事を書いて…。
そんな生活に慣れてきた頃、ふと自分の中に疑問がわいてきました。

取材する人たちは、皆、長年何かを続けてきて
それが形になって表れてきている人たちでした。
反面、自分は…というと、
その人たちの断片を切り取って記事にしてみんなに伝える…。

それはそれで悪い仕事ではないのですが、
取材が終わればその人との関係も終わってしまいます。
相手からすれば、記事にしてもらえばもう私と関わるメリットはなくなるわけですから…
私の考え方に柔軟性がなかったと言えばそれまでですが…。
子育てを終えた後の自分の価値を仕事で計りたいと思っていたのだと思います。

心理学的にいうと、「自分のアイデンティティを仕事に求めていた」というのでしょうか。

アイデンティティとは、
心理学で「自我同一性」といわれていて、
「自分が今までどうやって生きてきて、これからどう生きていくのか、
この社会の中で自分なりに生きるにはどうしたらよいかを考え探索し、
その結果どう生きるかの決断し、それに添って生きていくこと」
(「心理学」有斐閣発行より一部引用)

昔は、アイデンティティは青年期の課題として考えられていましたが、
今は一生涯アイデンティティの獲得の問題は続くと言われています。

昔は出産数も多く、家族を持ち子育てをすることで
一生を終えていました。
しかし、今は子どもの数も少なく、子育て後の時間がたくさんあります。
そのため、男性にとっても女性にとっても子育て後のアイデンティティの確立
(子育て後どういきていくか)が大きな課題になってきています。

今、急速に時代は変わっていっています。

当時をふり返ると、自分もまたその時代の波の中で、
アップアップしていたのだと思います。

(つづく)


29.子育てと仕事⑤(子どもから離れるタイミング)

2013-10-26 17:32:57 | 自分のこと

話しは少しさかのぼります。

末の子が幼稚園に入る少し前、
そろそろ仕事を始めなくては…と焦っていた時期がありました。

いろいろ求人広告などを見て、
何か良い仕事はないものか…と探していたら、
老人介護の資格を取るための講座が目に入りました。

ゆくゆくそれなりの収入が欲しいと考えた私は、
末の子を友だちに預けて、
勉強に出かけました。

預けた友だちは、今まで一緒に子育てをしてきた人です。
子どもも1歳下の子と4歳下の子がいる気さくな人でした。
講座に行きたいから預かって欲しいと話したら、
快く引き受けてくれました。

講座は順調で、自分でも学ぶことが楽しくなってきた頃、
いつものように子どもを預けようとしたとき、
急に自分から離れたがらないようすが見られました。
何だか普段も機嫌が今一…。

よくよく考えてみると、講座に行きだした分
家の事をやる時間が減り、自分自身もあたふたしていたのだと思います。
上の子たちが帰ってくれば、その対応に追われ、
今までのように下の子に関わることができなかったのだと思いました。

気持ち的には続けたかったのですが、
すぐに講座に行くのをやめ、末の子と過ごすようにしました。
もうすぐ入園です。
それまでは、子どもとの時間をしっかりと楽しもう。
子どもが落ち着いた頃から、またゆっくり探せばいいさ…なんて。
そうこうしている内に、末の子はまた以前の明るさを取り戻していきました。

楽観的ではありますが、
子どもにとってはやっぱり親が一番です。
今、親元を離れてがんばっている息子を見て、
その選択は間違っていなかったな~と感じています。

仕事を探すときには、焦らずに、
子どものようすをよく見ながらすすめていってあげてくださいね(^^)。


28.子育てと仕事④(社会復帰)

2013-10-19 23:07:11 | 自分のこと

さて、記事を書くためには取材に行かなければなりません。

その前に、まず取材先に電話をして、
こちらの紙面の説明をして取材のお願いをして
了解をもらえたら取材の日時を決めて、取材に向かいます。

今でもその時の気持ちでよく覚えているのが、
取材先の人に、「自分が子どものいる主婦」だということを
知られたくない…と思ったことでした。

今考えれば愚かなことですが、
子どものいないキャリアウーマンより
子どものいる母親が職業的に劣っている
と自分で感じてしまっていたのかもしれません。

仕事もろくすぽできない上、
子どものいる母親の腰掛け仕事だと思われたくなかった…というか、
本当は誰もそんな風には考えないのでしょうが…
それだけ仕事をすることに、
自分自身に、自信がなかったのだと思います。

一度家庭に入った後、子育てを終えて社会復帰するためには、
相当のエネルギーが必要だなぁ~と
当時をふり返って思います。

しかし、しっかり子どもを育てた…という思いがあるので、
それ以降、一歩いっぽキャリアを積んでいくことに不安はありませんでした。


27.子育てと仕事③(初めての原稿づくり)

2013-10-17 22:17:38 | 自分のこと

平日、仕事が忙しくて、
家に帰ってからなかなかパソコンに向かう元気が出ず、
ブログを書くのにも間が空いてしまって、すみません。

さて前回は、
自分の経歴がおもしろいということで、
たまたまタウン誌の記者の仕事に就けた・・・というところまで書きました。

さて、それからが大変でした。
学校で作文を書いて以来、
それ以降まともに文章を書いたことがないのに、
文章を書く仕事に就いてしまったのです。

初めて任されたのが、
150字くらいの広告文でした。

タウン紙などは、紙面の関係上、掲載できる文字数が決まっています。
今でこそ、「何字で書いて」と言われれば、その文字数で書けますが、
当時は、文字数が決まっている・・・ということに驚きました。

書き慣れている人なら、5分とかからない文章を、
あ~でもない、こ~でもないと練って、
1時間以上かけて書いたのを思い出します(笑)。

でも、今思えば何事も経験。
初めは素人で当たり前です。
石の上にも三年とはよく言ったもので、
やはり地道な積み重ねが大切ですよね。(^^)


26.子育てと仕事②

2013-10-13 00:05:20 | 自分のこと

末の子が幼稚園に入り、自由な時間ができたのですが、
当時は、一人で電車に乗ることもできませんでした。

それまでは、いつも子どもと一緒ですから、
まわりの人からは、「あの子のお母さんだ」と、
自分自身も「私はこの子の母親だ」ということで、
子どもさえかまっていれば、まわりを見る必要がありませんでした。

ところが子どもがいなくなったとたん、
「私っていったい誰なんだろう…」と考えたり、
「今の私にできることって何なんだろう」と悩んだり…。

電車に乗っていると、何もない自分が恥ずかしく思えてきたり、
どこを見て良いのかも分からなくなっていました。


末の子が幼稚園に慣れてきた頃の8月、
たまたま朝日新聞を読んでいたら、
「タウン紙の記者募集」という記事を見つけました。

全国版の朝日新聞が、静岡の情報を集めたタウン紙を出していて、
その記事を書く人を募集していたのです。

それまで、文章なんか書いたこともなかったのですが、
何だかアカデミックな仕事をしてみたいと思い、
身の程もわきまえず、履歴書と志望動機の作文を書いて応募しました。


しばらくして、すでにあきらめていた頃、
なんと、そこから採用の通知が来たのです。
そりゃ~うれしかったのですが、経験もない私なんかがなぜ?…と思っていたら、
後々採用された動機が、「大学で海洋学を専攻し、
卒業後、水族館に務めていた」という経歴がおもしろかった…ということが分かりました。

さて、それからが大変です。
全く文章なんか書いたことないのですから…いやはや

(つづく)


25.子育てと仕事①

2013-10-06 08:29:15 | 自分のこと

私が子育てをしていた25年くらい前は、
子育てに専念しているお母さんがたくさんいました。

当時は携帯電話もない時代ですから、
家の固定電話で連絡を取りあって、
近くの公園に行き、子どもを遊ばせたものでした。

上の子が切迫流産で入院したときに同じ病室だったり、
5ヶ月になった長男を抱いて公園にいたときに声をかけてくれて知り合ったりなど、
ちょっとしたことがきっかけになって、
子育ての仲間ができていきました。

それから末の子が幼稚園に入るまでの約7年間、
ほとんど毎日一緒に子どもたちを遊ばせていました。
当時は、それが自分の世界の全てでしたが、
日々の子どもたちの成長は楽しく、
今思い起こすと「かけがえのない時期だったな~」と思いなつかしくなります。

当時の夫の給料は約13万円。
今のように携帯などの支払いもありませんでしたから、
それで何とか生活できていました(笑)。

しかし、それからが大変でした。
末の子が幼稚園に入ったとき、
子育てをしているという名目はなくなり、
何もしないで家にいることもできず…。
でも、何を始めたらいいのかも分からず、
そこから私にとって新たなアイデンティティ(私とはなんぞや)を求める
長い模索の時期が始まりました。

(つづく)

 


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