無謀な作戦指導、作戦命令により多くの兵が死んでいったインパール作戦を描いた、高木俊朗のインパール。
主人公的な役ででてくる長一雄中尉は戦後、どんな人生を送っているのか、調べてみた(googleで)。
なお、下記の結果は本当に同一人物かどうかは不明です。ただし、インパールに記載されていた出身地とかの背景が一致するんだよね。
調査結果1:学校の先生、校長となる
むか~しはwebに掲載されていて、googleに引っかかったんだが。。。もうなくなったのか。。。
たしか、太田市の中学校に赴任して、学校の校章をデザイン、その後、校長にまでなったはず。
調査結果2:絵を描いた
長一雄さんが描いた絵を掲載した立命館大学のアーカイブスはこちらから見れます。
インパールの出版にあたり使用された絵だろうか?立命館アーカイブスは氏名が「長一男」となっている。一方、インパールでは「長一雄」となっている。
調査結果3:太田市市民文化功労賞を受賞
太田市のホームページはこちらから
24 | 平成14年度 | 造形芸術 | 絵画 | ちょう かずお 長 一雄 |
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備考欄に何も記載がないので、H20年5月11日現在、ご健在ということだろうか。
ご住所も電話番号ものっていますが承諾を得ていませんので割愛させて戴きます.
元不登校の名古屋の町医者 電話番号 零五二の三二一の八七三九
読了致しましたら、ご報告いたします。a
返事がおそくなりすいません。
長一雄さんはもう亡くなられてますね。
読了しましたらよろしければ教えてください。
『ビルマの竪琴の主人公』 武者一雄軍曹(ポツダム曹長乎)と同じく一度は謦咳に接したい人物でした。
歩兵第五十八連隊情報参謀 長一雄 中尉は敗戦により捕虜となり生還されました。戦場のスケッチを没収される事無く持ち帰られたことは斉藤博圀少尉(96歳)の場合と同じです。日記を没収しなかった英軍には敬意を表します。
帰還に際し所持品を没収する中共軍やソ連軍、米軍とは一味違う紳士の国の軍隊かと思いました。
帰還後は群馬県大田市で美術の先生、校長先生になり退官されました。その後幼稚園の園長先生をされていました。
著書に 『あけび亭随想』 長一雄 著 1994 があります。面白い書です。
今度、図書館に本を予約してぜひ読んでみます。
東京の図書館横断検索でもヒットしなかったので、図書館の連携で借りるしかないみたいですね。
昭和41年頃太田市立東中学校の校長先生でした。
インパール作戦に従軍されていたことは驚きでした。
戦争の悲惨さを痛切に感じます。その絵が先生によって描かれていることにさらに驚きました。