話の種

新聞やテレビ、雑誌などで、興味深かった記事や内容についての備忘録、感想、考察

景気関連の各種統計データ

2023-08-20 12:56:33 | 話の種

「景気関連の各種統計データ」

「失われた30年」「年功序列と成果主義」で述べた事についての参考データを記載しておく。

(目次)
1.「日本企業の内部留保推移」
2.「日本のGDPの推移」
3.「日本の経済成長率の推移」
4.「日本の最低賃金の推移」
5.「日本の平均給与(年収)の推移」
6.「日本の平均給与(年収)の推移」(雇用形態別)
7.「日本の男女別の平均給与(年収)」
8.「日本のインフレ率の推移」
9.「日本の消費者物価指数の推移」
10.「日本の家計消費支出の推移」

 

1.「日本企業の内部留保推移」
(大企業の内部留保(単位:兆円))

1990年 113兆円
1995年 134
2000年 172
2005年 206
2010年 266
2015年 313
2018年 369
2020年 484
2021年 516

*(財務省「法人企業統計」(資本金10億円以上の企業で金融・保険業を除く))

2.「日本のGDPの推移」(単位:兆円))

   (名目) (実質)  
1980年 255兆円 273兆円
1985年 340   335
1990年 462   426
1995年 521   458
2000年 535   482
2005年 532   511
2010年 505   510
2015年 538   538
2020年 539   528
2021年 549   540
2022年 556   546

*(IMF,SNA(国民経済計算マニュアル)に基づいたデータ)
*(自国通貨ベース)

3.「日本の経済成長率の推移」(単位:%)

1980年 3.18%
1985年 5.23
1990年 4.89
1995年 2.63
2000年 2.77
2005年 1.80
2010年 4.10
2015年 1.56
2020年  -4,28
2021年 2.15
2022年 1.08

*(経済成長率 = (当年のGDP- 前年のGDP)÷ 前年のGDP X 100)
*(IMF,SNA(国民経済計算マニュアル)に基づいたデータ)

4.「日本の最低賃金の推移」

1980年 2,812円(日額)
1985年 3,478
1990年 4,117
1995年 4,866
2000年 5,256
2002年  663円(時給)
2005年  668
2010年  730
2015年  798
2020年  902
2021年  930
2022年  961

*(厚生労働省「地域別最低賃金改定状況」)

5.「日本の平均給与(年収)の推移」(単位:万円)

   (A)   (B)
1990年 463万円 468万円
1995年 468   482
2000年 467   480
2005年 455   472
2010年 431   452
2015年 420   430
2020年 433
2021年 443

*((A)国税庁「民間給与実態統計調査」(1年を通じて勤務した給与所得者)の平均年収を2015年基準の消費者物価指数で補正(実質賃金))
*((B)厚生労働省「毎月勤労統計調査」の数字を国税庁「民間給与実態統計調査」の2017年の年間平均賃金を起点にして実額化した数字)

6.「日本の平均給与(年収)の推移」(単位:万円)
(雇用形態別)

    (全体)(正社員)(非正規社員)
2017年 432万円  493万円 179万円
2018年 440    503   225
2019年 436    503   174
2020年 433    495   176
2021年 443    508   197

*(国税庁「民間給与実態統計調査」)

7.「日本の男女別の平均給与(年収)」(単位:万円)

    (男性) (女性)
2021年 545万円 302万円

*(国税庁「民間給与実態統計調査」)

8.「日本のインフレ率の推移」(単位:%)

1980年 7.81%
1985年 2.04
1990年 3.07
1995年  -0.09
2000年  -0.69
2005年  -0.29
2010年  -0.74
2015年 1.56
2016年  -0.12
2017年 0.49
2018年 0.99
2019年 0.47
2020年  -0.03
2021年  -0.24
2022年 2.50

*(IMF)
*(年平均値)

9.「日本の消費者物価指数の推移」(単位:指数)

1980年 73.14
1985年 83.83
1990年 89.62
1995年 95.91
2000年 97.29
2005年 95.21
2010年 94.83
2015年 98.22
2016年 98.10
2017年 98.58
2018年 99.56
2019年 100.02
2020年 100.00
2021年 99.76
2022年 102.25

*(IMF)
*(基準年=100、年平均値)

10.「日本家計消費支出の推移」(単位:千円)
(1世帯当たり年間の消費支出額の推移)

2000年 3,807
2005年 3,606
2010年 3,482
2015年 3,448
2016年 3,386
2017年 3,396
2018年 3,447
2019年 3,520
2020年 3,483
2021年 3,348
2022年 3,490

*(総務省「家計調査」準拠)
*(データは総世帯のもの)
*(千円以下は切り捨て)

 

 

コメント

「整理」(益田ミリ)

2023-08-17 22:05:15 | 話の種

「整理」(益田ミリ)

朝日新聞の「くらし」欄に益田ミリさんの下記エッセイが載っていた。(2023/8/12付)
面白かったので下記記しておく。

□(オトナになった女子たちへ)途中があふれてる

「パソコンの中がてんこ盛りになっている。必要ない資料を削除すれば使いやすくなるだろうなぁと思いつつ、面倒くさくて長らくそのまんま。ある夜、思い立って整理を始めた。
お礼状やインタビューの下書き、スキャンしたイラストや漫画。サクサク消していく。ものすごく気持ちがいい。
途中までしか書いていないエッセイもあった。そのひとつがこのエッセイで、今つづきを書いている。
画面の隅に「カルタ」というファイルがあった。カルタを考えてみたくなり、思いついたときに書き足していたやつだ。
「そ」は「その正論キモい」。
「わ」は「わかりあいたくない」。
「ん」もあった。「んなこと知るか」。
大きな声で読み上げたらすっきりしそうな気もする。すっかり忘れていたが、仕上げてみるのもいいかもしれない。たぶん誰もいらないだろうけど……。
2020年の日記もあった。たった6日で終わっていた。コロナ禍、初期の緊急事態宣言の頃だろう。(中略)
3年前の日記が遠い昔のように思える。
それにしてもなぜ6日でやめてしまったのだろう?どこへも行かず、あんなに時間があったはずなのに。」


・このエッセイを読んでまず最初に思ったのは、さすがに上手い文章を書くなぁということ。
・次に、私も老い先短くなったこともあり、いろいろと整理しなくてはと思ったこと。
整理には「物の整理」と「心(考え)の整理」とがあり、物の整理については折に触れて行っているが、これは置くところが無くなり必要に迫られてやってきただけ。
考えの整理については、ブログを始めたことでただ今実践中。
・カルタのくだりには笑ってしまった。この時は余程虫の居所が悪かったんだろうね。
・日記については、彼女のような書くことの専門家でもこのようなことがあるんだなと、かなり親近感が湧いてきたので、これから彼女のエッセイをもっと読んでみようという気になった。(エッセイストであると共に漫画家でもあるので、こちらのDNAが優先してしまったのだろうか)

 

 

コメント

失われた30年

2023-08-17 21:35:32 | 話の種

「失われた30年」

日本経済はバブルの崩壊により長期低迷、デフレに陥ってしまい、失われた20年と言われていたものが今や30年になってしまっている。
バブルは金融緩和によって引き起こされたものだが、現在も金融緩和は行われているにもかかわらずデフレから脱却出来ないでいる。この違いは何だろうか。

まず言えるのは、低金利により得られる資金の使い方が違うということ。
バブル時代は企業は(個人も)不動産投資や株式投資などを活発に行い、経済は過熱し、インフレになった。
商社で言えば伊藤忠商事は不動産投資、丸紅は株式投資で大きな利益を上げた。
三菱地所は米国のロックフェラーセンターの買収で話題になった。
この頃は企業も利益を従業員に還元し、賃上げ交渉で組合要求よりも会社回答の方が多かったという笑い話のような話もある。従って個人の購買意欲も旺盛で、需要が供給を上回る状況が続いた。
一方、現在はと言えばバブルの崩壊やリーマンショックなどにより、経営者は保守的になり、低金利とは言えども銀行からの借り入れはあまりせず、設備投資にも慎重で、得た利益は内部留保として貯め込むばかりで、従業員の賃金などは押さえつけられたままである。これでは個人消費も伸びない。最近になって企業も政府からの要請もあり、従業員の給料を上げるようになってきたが、インフレによる物価高には追いついていない。従って消費者も先行きが見えないことより依然として慎重で、給料の一部は細々ながら貯蓄しておこうということになる。

昨日(8/15)、本年4-6月期のGDPが発表されたが、実質で前期(1-3月期)より1.5%増、年率換算で6.0%増だった。実質GDPの実額は560兆円で過去最高。これを牽引したのは円安による自動車などの輸出及び訪日客の増加だった。一方設備投資はほぼ横ばい、GDPの半分以上を占める個人消費は0.5%減で、内訳は非耐久財(食料など)が1.9%減、耐久財(白物家電など)が3.3%減となっており、家計支出への慎重さが伺える。これについて朝日新聞の記事は、「この成長率の伸びは海外の景気に左右される外需頼みのもので、賃金上昇が物価高を上回る環境をつくらなければ持続的な成長にはつながらない」と述べている。

つまり企業業績は概ね好調(主体は上場企業だが)であるにもかかわらず、景気が低迷しデフレを脱却できないでいる主な要因は、個人消費が上向かないからであり、その原因は実質賃金が増えていないということにある。(米国は逆に金利が矢継ぎ早に上がっても、それと同時に賃金も上がっており、個人消費支出は引き続き堅調で、不安視されていた景気の下振れなど感じられない。)
昔は日本は賃金が良いということで海外からの出稼ぎも多く、日本の物価は高いとも言われていたが、今はその逆で、日本への出稼ぎは敬遠され、訪日外国人も日本は物価が安いと言って日本での観光旅行を満喫している。
日本の最低賃金は先進国内では今や最低で韓国にも抜かれており、消費者物価もほぼ最低水準にある。
賃金で特に安いのは第三次産業の労働集約型であるサービス業や流通業で、GDPに大きな比重を占める個人消費を増やすには、これらの人たちの賃金の底上げを早急にしないとデフレ脱却は難しく失われた40年になりかねない。

(補足)

ここで忘れてはならないのは失業率で、日本の失業率は他国と比べてかなり低い。
これは終身雇用と定年延長の影響もある。
(現状、失業率は賃金水準とは相反関係にあると見てよい。つまり他国の場合は賃金水準は高いが失業率も高く韓国も例外ではない。)
また日本の場合、終身雇用ではなくても従業員の雇用を大切にするマインドがある(そうでない企業もあるが)。従って、雇用を維持するために賃金水準を犠牲にして来たと言えなくもない。
「どちらを選ぶか」と二者択一を迫られたら困るが、幸い今日本の上場企業には内部留保と言う打ち出の小槌がある(中小企業は難しいだろうが)。企業業績は今でも堅調なことだし、「どっちも」と言えるのではないだろうか。
従業員の賃金が上がれば、消費も増えるだろうし(日本人が好きな貯蓄に回してはだめだが)、そうすれば企業業績も上がる、そしてまた賃金を上げることができるという、念願だった景気の好循環に持っていく事が出来る、今がチャンスかと思う。(世界経済の落ち込みと言う不安材料は未だに残っているが。)

*失業率(OECD, 2020年)
日本2.8%、米国8.1%、英国4.5%、フランス8.0%、ドイツ4.2%、イタリア9.1%、韓国3.9%

*最低賃金(OECD, 2020年)米ドル
日本8.43、米国7.25、英国11.01、フランス11.59、ドイツ10.67、カナダ10.18、韓国7.27

(最近の物価上昇により各国は最低賃金を引き上げており、今年で言うと一番高い国はオーストラリアで$14.54(¥2,040)(Ex.¥140)で日本の2倍、米国は連邦政府レベルでは$7.25だが各州や市が独自の最低賃金を設定しており、最高額のワシントン州では$15.74、最も低いモンタナ州でも$9.95となっている。
日本も先月最低賃金の引き上げを行い¥1,002としたが、円安が進んでいることよりドル換算すると$7.15(Ex.¥140)、韓国はW9,620(¥1,060)(Ex.¥0.11)で日本を上回ることになった。)

(参考)
*人事コンサルタントの城繁幸氏は次のように述べている。

「経営側は既存の事業と人員を維持することを最優先してリスクをとらず、労働組合は賃上げ要求を封じてそれに協力する。それが全てとまではいわないが、そうした労使の保守的スタンスこそが日本に「失われた30年」をもたらした大きな要因の一つだというのが筆者のスタンスだ。」

(補足)

(第三次産業の内、サービス業や流通業の人達の賃金が安く抑えられていたのは、それでも人を集めることができたから。(謂わば日本人の真面目さや勤勉さに乗じてきた。)
しかし少子高齢化や出稼ぎ減などの労働力の減少により、これら業態の企業も従業員の勤務形態の改善や賃上げに踏み切らざるを得なくなったが、賃金は他業種とはまだかなりの差がある。賃金が低いということは労働集約型産業の宿命かも知れないが、最低賃金が相変わらず先進国内では最低と言うことは、これを決める政府の姿勢に問題があると言える。)

(第二次産業の製造業の内、消費者に近い商品を生産している企業は、賃金を上げたらそれを商品価格に反映せざるを得ず、そうしたら消費者がついてこなくなるという。
しかしエネルギー価格の上昇や円安による原材料の仕入れコストの上昇により、これら企業もついに商品価格の値上げをせざるを得なくなった。確かに消費者の購買意欲はやや低下しているが、良いものであれば少しぐらい高くても買うという消費者の声もある。従って企業努力により従業員の賃金を上げることもそんなに難しいことではないだろう。)

(第二次産業の製造業や建設業でも、消費者にさほど近くない商品を生産している中小企業は、従業員の賃金を上げるだけの余裕がないという。確かに下請け企業だと、元請け企業の値下げ圧力により利益はほとんど出なくなっているのだろう。)
この値下げ圧力を回避し利益を確保するには価格競争力をつけることが必要。そのためには製造技術を向上させる必要がある。これには製造コストを下げる方法と、より良い製品を作るという2つの道がある。それでも現在の元請けが納得しなければ、別の販路を見つけることで、これには中間を排して自身で直接需要先に売るという方法も含まれる。
(価格競争力をつけるということは、他業種・企業でも共通して言えることだが。)

 

コメント

年功序列と成果主義

2023-08-14 12:24:31 | 話の種

「年功序列と成果主義」

私のサラリーマン時代は「終身雇用」「年功序列」で、若いころは年上の人達との給料の差に対する不満を感じ、これらはおかしいと思っていたが、今考えると、これは日本人の特性に合った制度だったのではと思うようになってきた。
近年米国式の「成果主義」が取り入られるようになったが、このことにより仲間同士の協力関係が希薄になり、他人を蹴落としてでもと利己的な人間が増えてきたように感じる。
日本人はスポーツなどでも見られるようにチームワークが得意だが、この成果主義の導入により、会社内でも個人プレーが増えてきたようにも見える。

また、「正社員」「非正規社員」「派遣社員」という区別は当時もあったにせよ、今ほど非正規社員、派遣社員が多かったという記憶はなく、また格差もそれほどひどくはなかったのではと感じている。
日本経済の長期低迷により、これまでの日本的な「終身雇用」「年功序列」制度ではダメだということで、米国式の経営システムが取り入られるようになったが、企業は内部留保をため込むばかりで賃金は一向に上がらない。(最近は内部留保を減らして配当や自社株買いに向ける動きにはなってきているが、これも結局は米国流の株主重視の一環で、株主の利益にはなっても従業員のためにはなっていない。)一億総中流といわれた時代からいつの間にか格差社会と言われる時代になり、持てる者はますます富み、これまで普通だったほとんどの人は負け組の側になってしまい二極化が進んでる。少なくともこれ迄の日本は、米国のように一握りの勝ち組が全てを持っていくような社会ではなかったはずである。

*内部留保:
(企業のP/L上の当期純利益から配当を差し引いた部分。内部留保と言う勘定科目はなく、B/S上では利益剰余金となる。つまりB/S上の利益剰余金は内部留保の累計額となる。
日本企業の場合、バブル崩壊以降この内部留保は増え続けており、一方賃金や設備投資はほぼ横ばいで推移している。つまり会社は企業業績が好調であるにもかかわらず利益を貯めこむばかりで、従業員の賃金には反映されず、将来の利益の源泉である研究開発や設備投資などにも有効活用されていないということになる。(なおこの内部留保は人件費を減らすことにより増やすこともできる。この場合は経費を減らして利益を増やすという形になる。)

*(日本の企業はPBR(株価純資産倍率)が1倍を下回るところが多く、最近東証はこれら上場企業に対して改善要求を行い、これに応じて企業も内部留保を減らす動きになったもの。PBR1倍割れということは、その会社に対する市場の評価が低く、資産効率が悪いと見られているということで、株価が上がらないのはこのことにも起因するとして、東証はこれに危機感を強めたもの。内部留保を減らせば純資産も減り、PBRは上がることになるが、これは一過性なものに過ぎない。)

米国は昔から競争社会で、アメリカンドリームという言葉があるように上昇志向が強く、まずは自分ありきの考え方をする国である。
寄付やチャリティーなどがあるが、これらは成功者達の特権意識や優越感によるものとしか思えない。チップ制度などもその例ではないだろうか。
一方日本人はと言えば、平等意識や協調性が強く、普通でいい、平凡でいいとする国民である。
ネットの投稿サイトを見ても、日本人は他者を尊重する、他者への敬意が凄いといった讃辞がよく見られる。確かに職業に貴賤はないという考えから、旅館などに宿泊しても仲居さんなどに「お世話になりました」と言うし、店員さんなどにも決して威張った態度はとらない(一部にはいるかも知れないが)。

「終身雇用」「年功序列」が上手くいっていたのは確かに高度成長期で、グローバリゼーションにより発展途上国の勢いが急速に増している今日のような時代では通用しないという意見もあるが、果たしてそうだろうか。これらは日本人の特性を上手く活かした制度だったのではないだろうか。
終身雇用、年功序列では人は現状に安住してしまい、特に上の人間は余り働かなくなり労働生産性は上がらないという見方があるが、確かにそのような傾向もあるにせよ、一方この方が上の人間は下の人に自身の経験を通しての知識や技術を移転しやすいという側面もある。
近年日本では革新的な技術は生まれていないというが(例えばノーベル賞の受賞者が多いのも過去の実績によるものとのことだが)、その代わり日本人の得意とするチームワークによる改良や応用技術は今でも高い水準にある。(日本の中小企業でも技術力の高いところは海外企業からの引合も多い。)
逆に、近年問題とされている大手企業の中小企業に対する値下げ圧力や、最近のビッグモーターの問題などは、成果主義の弊害の最たるものと言えるだろう。

ともかく、何よりもこの終身雇用、年功序列の利点は従業員の生活が将来的にも安定するということ。人の幸せの尺度は様々だが、別に勝ち組に入らなくとも、そこそこ普通の生活が出来ればそれでよいという日本人には、昨今のようなギスギスした成果主義の社会よりは合っているのではないだろうか。また、生活が安定すれば心に余裕もでき、目先の利益に追われることもなく、新たな発想も生まれてくるかも知れない。

今考えると、どうも米国流の社会システムは彼ら狩猟民族には合ってはいても、我々農耕民族、特に日本人には適していないのではと思えてならない。

(以上、終身雇用や年功序列の良さを取り上げてきたが、これはあくまでも成果主義との比較において日本人にとってどちらが良かったかと言うことであり、勿論終身雇用や年功序列には問題点もある。世の中に絶対的に正しいなどと言うものはなく相対的なものであること、またそれも時代と共に変わりうるものであることは言うまでもない。)

(参考)

(*企業の利益剰余金(内部留保)はバブル崩壊後2000年頃までは20%前後だったのが、2016年は40%前後、2020年には企業の内部留保は9年連続で過去最高となっている。
またPBR1倍割れの企業は2022年7月時点で、TOPIX500構成銘柄で43%、米国S$P500構成銘柄では僅か5%、欧州Stock600では24%で、日本が格段に多い。時価総額が大きい企業は合格点ということにはなっておらず、日本企業は国際競争力がなく、価値想像力も極めて貧弱だと海外投資家からは思われていることになる。)

(*日本経済の長期低迷の原因としては、競争力を失った企業の存続、AI技術への乗り遅れ、企業利益が従業員の給料や設備投資などに向けられていないなど、いろいろと考えられるが、これらは従業員側の問題ではなく、バブルの崩壊やリーマンショックなどを経験した経営者側の保守化(内部留保の過剰な蓄積や既存分野に安住する姿勢、戦略思考の欠如など)によるところが大きいと考えられる。半導体産業の衰退などはそのいい例であろう。)

(*半導体については日本はかつて世界市場の50%以上のシェアを持っていたが、現在では6%程度までに落ち込んでしまっている。その理由としては米国からの圧力などがあったにせよ、当時の日本の半導体の製造は全て総合電機メーカーの一部門として存在しており、経営者が半導体に精通していなかったので、半導体を利用する或いは製造方法を分業化するなどの市場の変化についていけず、迅速かつ大胆な決定が出来なかったことなどが大きい。しかし今でも製造装置など製造過程の基礎的分野では強みを発揮している企業もある。)


(備考)

奨学金制度だが、私たちの時は日本育英会の特別奨学金制度というものがあり、確か月額8,000円で、内5,000円が給付、3,000円が貸与だったが、この貸与は無金利だった。従って私などは(後輩たちのことも考えて)入社2-3年でこの貸与部分を全て一括返済してしまった記憶がある。
現在は奨学金とは名ばかりで、実態は一般のローンと何ら変わりはない。
社会に出てからも、この奨学金返済に苦しんでいる人達は多いと聞くが、何時からこのようになってしまったのだろうか。

教育の機会均等ということについても、大学に行けるのは裕福な家庭の子女が多く、貧困な家庭で育った人たちは家族の為に進学を諦めざるを得ないというケースが多いという。
要するに生まれながらにして格差が生じているということであり、奨学金制度がこのようなものだと機会の平等ということも失われ、最早どうしようもないということになってしまう。

どうも近年世の中は変な方向に向かって動いているとしか思わざるを得ない。

 

 

コメント

仏教の理念と温厚な理由

2023-08-10 14:46:09 | 話の種

[仏教の理念と温厚な理由]

「仏教についての当方の質問とChatGPTの回答」

User
■[仏教は他の一神教の宗教よりも温厚だと言われていますが]
ChatGPT
はい、仏教は一般的に他の一神教の宗教と比較して温厚な宗教とされています。以下にその理由をいくつか挙げます。

[非暴力と慈悲]: 
仏教は非暴力(アヒンサー)を重視し、他の生物への苦痛を与えないことを教えます。仏教の核心の教えである「四つの高尚な真理」の一つに「慈悲」があり、他の人々への思いやりと慈しみを育むよう促します。

[無差別の愛]: 
仏教では、全ての生命に対して平等で無差別な愛を持つことを奨励しています。他の人々に対して差別や偏見を持たず、思いやりと共感を持って接することが重要視されます。

[忍耐と平和]: 
仏教は内省や瞑想を通じて心の平穏と安定を追求することを教えます。個人の内なる平和と調和を追求することに焦点を当て、怒りや憎しみといった負の感情を超えるよう努めます。

[相互依存の理解]: 
仏教では、全ての存在が相互に依存しあっているという理念があります。個人の幸福や繁栄は他の人々や生物とのつながりによって支えられており、相互依存の関係を認識し、共生を促すことが重要とされます。

以上のような理由から、仏教は一般的に温厚で穏やかな宗教と見なされています。ただし、仏教の教義や実践方法は地域や宗派によって異なる場合があり、個々の信者や宗派の実践によっても異なる特徴が存在することを念頭に置いておく必要があります。


(とはいえ、仏教徒は戦争とは無縁と言うことはないだろうと思い、ChatGPTで検索したがエラーとなってしまう。多分この種の質問は受け付けないようになっているのだろう。従って、ネットでの検索にしたところ、次のような記事に行き当たった。)


■「仏教は暴力に結びつきにくい」のか:ロヒンギャ排斥を主導する仏教僧を突き動かすもの
(著者 六辻彰二 国際政治学者)
(以下要点のみ抜粋)

先日、ロヒンギャ問題の記事を読んだ知り合いから質問を受けました。それは「なぜミャンマーでは仏教僧が先頭に立って、ムスリムのロヒンギャを排斥しようとしてきたのか」というものでした。
同様の質問は他でも受けたことがありますが、そこには「仏教はその教義からして他者を受け入れるもので、歴史的にも宗教戦争はなかったのではないか」という疑問があるようです。言い換えると、この手の質問の前提には、キリスト教やイスラームなどと比べて、仏教に平和的なイメージがもたれていることがあると思われます。

しかし、後述するように、キリスト教やイスラームなどの一神教と仏教の間に、他の宗教・宗派に対する態度の違いはあるとしても、その他の宗教と同様に仏教もやはり暴力と無縁ではありません。
ただし、ここで注意すべきは、「(他の宗教と同様に)宗教としての仏教の教義そのものが暴力を導いているのではなく、仏教が政治的イデオロギーとなることで、暴力行為を行う特定の集団の主張を支える基盤にされている」ことです。

[仏教と一神教]

近代以降の日本を代表する哲学者の一人である和辻哲郎は、キリスト教やイスラームなどの一神教と仏教には、その伝播に大きな違いがあったと指摘します。つまり、在来の宗教や土着の習慣に対して、キリスト教やイスラームが「不寛容、非妥協的」であったのに対して、仏教は「寛容、妥協的」だったというのです。
歴史的に、キリスト教やイスラームの布教が少なからず戦争や侵略をともなうものだったことは確かです。そして、キリスト教あるいはイスラームに改宗する場合、それ以外の信仰は全く捨てなければならず、さらに他の神は「悪魔」にさえ位置付けられてきました
これに対して、紀元前5世紀頃にインドで生まれた仏教の普及は、常に平和的だったとは限らないものの、少なくともそれまでのものを捨てることを強制することは少なく、むしろ他の宗教や習慣を吸収していきました。

[世界に広がる条件]

念のために言えば、キリスト教やイスラームも布教段階で他の宗教や土着の習慣を全く無視したわけではありません。(以下略)

[融通無碍の自由さ]

とはいえ、他の宗教の神々や習慣まで取り入れてきた仏教が、キリスト教などと比べて、総じて「ゆるい」ことは確かです。
仏教学者で僧侶の山田明爾によれば、「仏教とは水みたいなもので、仏教という水を飲んだ人間がそれぞれ自由に行動するが、その行動のいちいちは規制しない」。(一夫一妻の)キリスト教や(一夫多妻を認める)イスラームと比べて、仏教には社会生活を拘束する側面が小さいことや、共通する経典がないことが、様々な宗教・宗派や土着文化との融合を可能にしたといえます。
言い換えると、明確な原理のなさこそが仏教の大きな特徴となります。冒頭で紹介したような「他者との共存」イメージは、明確な原理がないからこそ生まれたといえるでしょう。

それは社会とのかかわり方にも表れます。「諸行無常」というように、何かに拘泥することをむしろ戒める自由さは仏教の本質といえます。しかし、その「悟り」は良くも悪くも、何らかの目標を実現させる熱意とは無関係のものです。
欧米諸国におけるキリスト教会やイスラーム圏におけるイスラーム系団体と比べて、アジアの仏教寺院が社会活動などに関わることは稀です。「こうあるべき」という観念が弱いことは、「政治や社会のあり方を正そう」というモチベーションが小さくなりがちです。それは仏教徒の集団による慈善事業などだけでなく、テロ活動が少ないことにも結びついてきたといえるでしょう。

(以下は省略)
[仏教徒が他者を排斥するとき]
[ナショナリズムの一要素]
[「違い」が利害に結びつくとき]

(後半部分は省略したが、要点は、仏教徒が他者を排斥する場合、宗教思想によるものではなく、民族などの属性或いはナショナリズムなどにより、宗教を利用しているケースが多いということ。
この部分も非常に興味深い内容だったので、サイトを下記しておく)

Yahooニュース(2017.9.2)六辻彰二 国際政治学者


(以前、ユダヤ系アメリカ人に宗教の中で仏教が一番温厚だと思うがどうかと聞いたところ、彼も、私もそう思うと言っていた。どうもこのことは多くの人の共通の認識のようである。)

 

 

コメント

イスラム教の戒律と過激な行動について

2023-08-10 14:43:18 | 話の種

「イスラム教の戒律と過激な行動について」
(どうにも分かりにくいイスラム教の戒律と過激な行動についてChatGPTの回答を記述しておく)

User
■[なぜイスラム教の戒律は厳しいのか]
ChatGPT
イスラム教の戒律が厳しいとされる理由は、イスラム教の教えや信仰体系に根差しています。イスラム教は、ムスリム(イスラム教徒)に対して、神(アッラー)の意志に従って生きることを求める宗教であり、戒律はその神の意志を表す指針として捉えられています。

以下は、イスラム教の戒律が厳しいとされる理由の一部です:

[神への絶対的な服従]: イスラム教では、信者はアッラーに対して絶対的な服従を示すことが重要視されます。戒律は、アッラーの意志に従って生きることを示すために厳格に守られる必要があります。

[シャリア法の重視]: 
イスラム教徒は、シャリア法に従うことが求められます。シャリア法はイスラム法とも呼ばれ、個人の行動や社会のルールを詳細に規定しています。これにより、日常生活の多くの側面にわたって戒律が厳格に規定されます。

[堅持と訓練]: 
イスラム教では、信者は日々の実践を通じて戒律を堅持し、信仰を訓練することが求められます。これにより、個人の自己規律と信仰の深化が図られます。

[絶対的なモラル規範]: 
イスラム教の戒律は、慈善や正義などの高いモラル規範に基づいています。これらの規範を守ることで、個人と社会の発展と平和を確保しようとする意図があります。

ただし、イスラム教の戒律が厳しいと感じられることは、人々の個人的な見解や文化的背景によっても異なる場合があります。また、個々のムスリムが戒律を守る範囲や程度も異なることを考慮する必要があります。イスラム教の理念には多様性があり、個人の信仰のあり方も異なります。


User
■[なぜイスラム教では断食をしたり、一日に何回も礼拝したり、女性は顔を隠したりするのですか]
ChatGPT
イスラム教の断食や礼拝、女性の顔を隠す慣行は、イスラム教の教えや信仰体系に基づく宗教的な実践です。これらの実践は、ムスリム(イスラム教徒)に対してアッラー(神)への信仰、従順さ、自己規律、そして個人的な浄化を促す役割を果たしています。以下にそれぞれの理由を説明します:

[断食(サウム)]:
断食は、イスラム教の五本柱の一つであり、ロマダン(Ramadan)として知られる特別な月に行われる義務です。断食は、太陽の出ている間の飲食や肉体的な欲望を自制することで、霊的な成長やアッラーへの信仰を強化するために行われます。断食期間中には、共感や慈悲の気持ちを高め、社会的な連帯を感じる機会となります。

[礼拝(サラート)]:
礼拝は、イスラム教の五本柱の中でも最も重要な柱であり、一日に五回行われます。信者は特定の時間に礼拝を行い、アッラーへの敬意と感謝の気持ちを示します。礼拝は、日常生活の中で信仰を継続的に確認し、自己規律を持ち、心の浄化を促す重要な実践です。

[女性の顔の隠蔽(ヒジャーブやニカーブなど)]:
女性が顔を隠すことは、イスラム教における「謙遜」や「節度」を示すための行動です。一般的に、ヒジャーブ(頭部や体を覆う衣服)やニカーブ(顔を覆うカバー)は、女性の美徳と個人的な尊厳を保護する役割があります。この実践は、性別によらず個人の信仰心と自己規律を高めることを意図しています。

これらの実践は、イスラム教の教えや文化によって異なる程度や解釈が存在する場合があります。また、実践の方法や頻度についても個々の信者によって異なる場合があります。イスラム教の信仰は多様性を尊重し、個人の信仰心や理解に基づいて実践されることが重要視されています。


User
■[なぜイスラム教徒は過激な行動をするのですか]
ChatGPT
イスラム教徒が過激な行動をする理由は多岐にわたりますが、一般的には以下のような要因が挙げられます。

[政治的・社会的な要因]: 
過激な行動は、政治的な不安定さ、社会的な不公正、経済的な困難など、特定の地域やコミュニティでの深刻な問題に対する反応として起こることがあります。過激派団体は、これらの問題を利用して、人々の怒りや不満を操り、支持を受けることがあります。

[宗教的な解釈と熱狂]: 
イスラム教の教えの解釈は多様であり、極端な解釈や過激な理解を持つ個人や団体が存在します。一部の過激派は、宗教的な信念を盾にして自らの行動を正当化し、他者に対して暴力を行使する場合があります。

[極端なイデオロギー]: 
過激派団体はしばしば、極端なイデオロギーや過激な信念に基づいて行動します。彼らは異なる宗教や信念に対して敵対的な姿勢を取り、他者を敵視することがあります。

[社会的孤立と洗脳]: 一部の過激派は、社会的に孤立した個人や若者を洗脳して自己犠牲的な行動に駆り立てることがあります。これは過激派が新しいメンバーや支持者を獲得する手段の一つとなっています。

重要なことは、過激派の行動はイスラム教全体を代表するものではなく、極めて少数の個人や団体によるものです。過激な行動は一般的なムスリムの信念や行動とは大きく異なるものであり、多くのムスリムは平和的な共存を重視し、他者との対話や理解を求めています。

国際的なテロリズムや過激な行動は、全ての宗教や文化において見られる問題であり、過激派に対抗するためには、教育、社会的な統合、経済的な発展などの様々なアプローチが必要です。過激派の根底にある要因を理解し、対話と協力を通じてこれらの問題に取り組むことが重要です。


(イスラム教の戒律が厳しいのは、神への絶対的服従を求め、個人の行動や社会のルールを詳細に規定していること。それにより個人の自己規律と信仰の深化が図られるというもの。
イスラム教が出来たのは中東の砂漠地帯という厳しい環境の中だったので、これだけ厳しい戒律が必要だったと聞いたこともある。
イスラム教徒の過激な行動については、ChatGPTは一部の過激派によるものと述べているが、それには政治的な不安定さ、社会的な不公正、経済的な困難などが背景にあるとしている。
更に当方が思うには、戒律が厳格なだけに相手に対する行動も過激になってくるのではと言う気もする。(所謂、原理主義というもの)
尚、同じイスラム教国でも、サウジアラビアなどの中東諸国は戒律に厳しく、インドネシアなどの東南アジア諸国は戒律に緩いとされている。)

 

 

コメント

キリスト教徒の神への信仰と進化論

2023-08-10 14:40:05 | 話の種

[キリスト教徒の神への信仰と進化論]

「キリスト教徒に対する当方の疑問とChatGPTの回答」

User
■[キリスト教徒は本当に神の存在を信じているのですか]
ChatGPT
キリスト教徒の中には、神の存在を確信して信じている人々が多く存在します。キリスト教の信仰において、神は実在し、信者との関係を持っていると信じられています。彼らは聖書や教義を通じて神の存在を理解し、経験や祈りを通じて神の存在を実感していることがあります。

ただし、キリスト教徒の中には信仰に疑問を持つ人や、神の存在についての確信が揺らいでいる人もいます。信仰は個人の経験や背景によって異なるため、全てのキリスト教徒が神の存在を絶対的に信じているわけではありません。

信仰は個人的なものであり、人々の思考や経験によって形成されるため、信仰に対する考え方は多様です。一部の人々は神の存在を信じるために科学的な証拠や論理的な推論に基づいている一方、他の人々は信仰を心の中で直感的に感じたり、個人的な経験や信仰共同体の体験によって裏付けられると感じることがあります。

したがって、キリスト教徒全体としては、神の存在を確信して信じている人々が多いと言えますが、すべての人が同じように信じているわけではありません。個人の信仰は多様であり、それぞれの人々が自分自身の信仰体験に基づいて神の存在を受け入れています。


User
■[神の存在を信じるということは科学的でなく進化論と矛盾しませんか]
ChatGPT
神の存在を信じることと進化論との関係については、個人の信仰や解釈に依存します。一部の人々は神の存在と進化論を矛盾させると考えるかもしれませんが、他の人々はそれらを調和させることが可能と考えています。

進化論は生物の多様性や種の変化を説明する科学的な理論です。進化論は生物学の分野で広く受け入れられており、多くの科学者によって支持されています。進化論は自然界のプロセスや生物の進化に関する説明を提供しますが、神の存在や宗教的な信仰とは直接的には関係しません。

一部のキリスト教徒は、進化論を神の創造の手段と考えることがあります。彼らは神が進化を通じて生命を形成し、自然の法則を働かせたと信じています。彼らにとって、進化論は神の創造との一致や神の計画の一部として理解されることがあります。

また、キリスト教徒の中には聖書の創造譚を直訳的に受け取り、進化論とは矛盾すると考える人もいます。彼らは神の創造を直接的かつ特別な行為として解釈し、進化論の説明とは異なる立場をとることがあります。

要するに、キリスト教徒の間では神の存在と進化論の関係について複数の見解が存在します。個々の信仰や解釈は人によって異なるため、一様に結論を出すことはできません。重要なのは、個人が自身の信仰や科学的な知識を総合的に考慮し、自分自身の信じる道を見つけることです。


User
■[科学者が神の存在を信じるというのはおかしくないですか]
ChatGPT
科学者が神の存在を信じるかどうかは、個人の信念や世界観に依存します。科学と宗教は、異なる領域であり、それぞれ異なる質問やアプローチを持っています。科学は自然界の現象を観察し、理解するための方法や理論を提供しますが、宗教は人間の信仰や霊的な領域に焦点を当てています。

科学者としての立場では、科学的な方法とエビデンスに基づいて研究や理論の構築を行います。科学は実証的な証拠や再現可能性に基づいて進行します。そのため、一部の科学者は神の存在を科学的に証明可能なものとは考えず、信仰の領域とは別個のものとして扱うことがあります。

ただし、科学者であっても宗教的な信念を持つことは可能です。一部の科学者は、科学と宗教を相補的な視点として受け入れ、両者を調和させる方法を見出しています。彼らは科学の知識と方法を用いながらも、宗教的な信仰や霊的な次元にも価値を見出しています。

したがって、科学者が神の存在を信じることは、科学的な立場とは異なる観点や領域における個人の信仰によるものと言えます。科学と宗教はそれぞれ異なる目的や方法を持っていますので、個人の信念や世界観によって、科学者が神の存在を信じることはおかしくないと言えるでしょう。


(ChatGPTの答えは、多くのキリスト教徒は神の存在を信じているということ。進化論との関係については、宗教と科学とは別の領域だとして対立するものではないとし、また進化論は神の創造の手段、計画の一部だと考えている人達もいるとのこと。)

 

コメント

世界の三大宗教について

2023-08-10 14:35:17 | 話の種

「世界の三大宗教について」

なぜここで宗教を取り上げたかと言うと、歴史上、世界での戦争や紛争には宗教問題が関係していることが多く、現在でもイスラム教がらみの紛争などが続いており、それにしては当方宗教について知らないことが多過ぎるので、ここで一度宗教について整理してみようと思った次第。


■[世界の三大宗教]:

キリスト教(約24億人)、イスラム教(約17億人)、仏教(約5億人)

*これにヒンドゥー教(約10億人)、ユダヤ教を加えて世界の五大宗教という。
*ヒンドゥー教の方が仏教より人数は多いが、仏教の方が広まっている国が多いので、世界の三大宗教というと仏教が入る。

■[キリスト教やイスラム教と仏教との違い]:

キリスト教やイスラム教はどちらも同じ神様を信じている。
神は英語ではゴッド、ヘブライ語ではヤハウェ、アラビア語ではアッラーで、呼び方は違っていても意味は同じ。つまり、この世界を作った唯一絶対の神を信じているという点ではキリスト教もイスラム教も同じで、どちらも同じ神様を信じているということ。
そして、同じ神様を信じていてもキリスト教(1世紀)やイスラム教(7世紀)より昔からあるのがユダヤ教(紀元前13世紀)。

一方、仏教はインドのガウタマ・シッダールタによって開かれた宗教(紀元前6世紀)。
ブッダ(仏陀)は「悟りを開いた人」という意味の称号で(名前ではなく一般名詞)、ガウタマ・シッダールタが悟りを開いた後にこのように呼ばれるようになったもの。
(悟りを開いた人は他にもいるだろう、つまりブッダと呼ばれる人は何人もいるに違いないということで、ガウタマ・シッダールタはあくまでその一人と理解されている。
しかし、ガウタマ・シッダールタはブッダであり、シャカ族の出身だったので、後世の人は
ガウタマ・シッダールタのことを釈迦(お釈迦様)と呼ぶようになったもの。)
従って、仏教では一神教(キリスト教やイスラム教)のように、この世界を作った唯一絶対の神様がいるという考え方はせず、この世界を作ったのは誰かと言うことについては一切触れていない。仏教で拝むのは神様ではなく仏様(仏陀)ということになる。

*ちなみに仏教で悟りを開くとは、輪廻転生の輪の外に出ること。(心理に目覚めてこの世の苦しみを完全になくした者になること。)
*輪廻転生とは死んだら魂が生まれ変わるという考えで、私たちは今、人間道で生きているが、良い行いをしていたら、死んだ後、再び人間道或いは天道に生まれ変わり、悪い行いをしていたら地獄道に生まれ変わる。これを永遠に繰り返すという考え。このグルグルまわる輪の外に出ることを解脱という。(そうすれば、この世で苦しむこともなくなり、苦しみから逃れられるということになる。)解脱して二度と生まれ変わらない存在、これが仏教でいう仏様である。)

*キリスト教やイスラム教は一神教だが仏教は多神教でもなく、無神論的な要素を持っている。

■[イエス・キリスト(キリスト教)とムハンマド(イスラム教)]:

キリスト教ではイエス・キリストは「神の子」「救世主」とされているのに対して、ムハンマドはアッラー(神)からの最後の「預言者」とされている(つまり人間)。従ってキリスト教ではイエス・キリストは信仰の対象として拝むことはあっても、イスラム教ではムハンマドを拝むことはない。しかしムハンマドはイスラム教徒にとっては絶大な尊敬と敬愛の対象であり、彼の生涯と教えはイスラム教の倫理と行動の基盤となっている。

*ちなみにイエス・キリストのイエスが名前で、キリストは救世主という意味。(つまり救世主のイエス様ということ)
*イエス・キリストは紀元前4年頃に生まれ、十字架にかけられて亡くなった後、3日目に復活してあちこちで説教をして、それから天に昇って行ったとされている。

〇イエスとムハンマドの生誕地及び活動拠点

イエス(イエス・キリスト):
生誕地:ベツレヘム(イスラエルとパレスチナの国境に位置)とされている。
活動拠点:主に主にパレスチナ地域。

ムハンマド(預言者ムハンマド):
生誕地:サウジアラビアのメッカとされている。
(メッカはイスラム教の最も重要な聖地であり、毎年イスラム教徒の多くがハッジ(巡礼)を行っている場所。)
活動拠点:メッカを拠点にイスラム教の教えを広め、その後メディナ(サウジアラビア)に移り、初期のイスラム教国家を築いた。

■[聖書について]:

[旧約聖書]:
ユダヤ教の聖書で、ユダヤ教では「タナハ」と呼ばれており、モーゼを含む様々な著者による複数の本が集められたもの。

[新約聖書]:
キリスト教の聖書で、イエスとその弟子たちによる言葉や教え、イエスの生涯などが記されており、様々な福音書などが含まれている。
イエスの死後、キリスト教の考え方をまとめ、広めたのはパウロ(キリスト教の普及に最も力を尽くした伝道者)の力が大きかったと言われている。

[コーラン]:
預言者ムハンマドが7世紀初頭に啓示を受けたとされるアッラー(神)の言葉を記したもの。
イスラム教に於いては、神様がまず「聖書(旧約聖書)」を与えたのに人々がちっとも守らないので「新約聖書」を与えたが、それでも守らないので最後に「コーラン」を与えたということになっており、イスラム教徒はこの「コーラン」が一番大事だと考えている。

■[聖地について]:

「聖地」とは宗教の信仰者にとっての特別な場所であり、宗教的な行事や儀式、巡礼などが行われたりする場所のこと。
これらの場所は、その宗教の創始者や重要な人物の生誕地、教えを伝えた場所、奇跡が起こったとされる場所などが該当する。
従って、各宗教ともそれぞれ聖地があり、また聖地は一つとは限らない。

エルサレムはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の三つの聖地が同居する都市だが、それぞれの宗教にとって異なる位置づけと意味を持っている。

[キリスト教]:
キリスト教にとって、エルサレムはイエス・キリストの生涯において最も重要な場所のひとつ。エルサレムは、キリスト教の信仰においてイエスの死と復活が起こった場所とされている。特に「聖墳墓教会」は、キリスト教徒にとって最も神聖な場所の一つであり、イエスの受難、死、埋葬、そして復活を記念している。

[イスラム教]:
イスラム教にとってエルサレムは、アッラー(神)にとって三番目に聖なる場所とされている。コーランによると、預言者ムハンマドの夜の旅の出発地で、その時にエルサレムの岩(アル・サッカ)に立ち寄ったとされている。そのため、エルサレムのアル・アクサ・モスクやドーム・オブ・ザ・ロックはイスラム教徒にとって重要な聖所となっている。

[ユダヤ教]:
ユダヤ教にとってエルサレムは非常に重要な場所であり、聖書によれば、ユダヤ教の信仰において、エルサレムはアブラハムによる犠牲の供物(イサクの犠牲)やダビデ王の都としての意味がある。また、ユダヤ教の聖所として、かつてエルサレムの寺院が建てられた場所も重要視されている。

*これらの宗教におけるエルサレムの聖地としての位置づけと意味により、エルサレムは複雑で多様な宗教的な要素を持ち、宗教間の関係と政治的な緊張が絡み合う場所となっている。

[仏教]:
仏教徒にとって最高の聖地とされるのはインドのブッダガヤにあるマハーボーディ寺院。
ガウタマ・シッダールタは、後にこのお寺が建てられることになったこの場所にあった菩提樹の木の下で瞑想している時に悟りを開いたとされている。
マハーボーディ寺院は紀元前3世紀頃に作られたと言われ、その後何度も修復を重ねる中で建てられたのが現在ある高さ53メートルの塔。このお寺の中でも一番の聖地と言われているのが菩提樹の木。(ボーディ(菩提)と言うのは悟りという意味がある。)

日本での仏教の聖地で有名なのは和歌山県にある高野山。(高野山という山はなく、八つの山に囲まれた場所がそう呼ばれている。)ここは816年に弘法大師空海が修行のために開いた場所で、真言宗の総本山金剛峯寺がある。)

■[カトリックとプロテスタント]:

[カトリック]:
神父(信者達を導く立場の人)が、神様と人間達の間にいる。
教会施設は豪華で、ステンドグラスやイエスの像、イエスの母であるマリア像などもある。
神父間で位階と呼ばれる階級制度がある。(位階は責任の度合いとか役割の大きさで違ってくる。どちらが上とか下とかはないが、責任の度合いにより大司教、司教、司祭、助祭というようにあたかもピラミッドのように作られている。)

[プロテスタント]:
牧師(信者達を導く立場の人)が、人間界の中にいる。
プロテスタントが生まれたきっかけは、16世紀の宗教改革。
教会施設はシンプルで、装飾も簡素、十字架があるだけで、イエスの像やマリア像もないところが多く、ともかくお祈りをする場所があればよいという考え。
皆平等で牧師同士に階級はない。

■[シーア派とスンニ派]:

[シーア派]:
ムハンマドの従弟で娘婿だったアリーの血を引く者がイスラムの指導者になるべきとの考え。(信者の数は約15%)(イランが中心)

[スンニ派]:
ムハンマドの子孫でなくともよく、みんなで指導者を選んできた慣習を大切にしようとの考え。(信者の数は約85%)(サウジアラビアを中心にアラビア半島、アフリカなどに大きく広がっている。)

■[上座部仏教(小乗仏教)と大乗仏教]:

[上座部仏教]:
出家し厳しい修行を積んだ僧侶だけが救われるとの考え。
(タイ、ミャンマー、スリランカなど)

[大乗仏教]:
自分だけでなく、他人も救われるように導く努力をするとの考え。
(日本、中国、チベットなど)


(参考)
日本の「神道」はアニミズムになる。
アニミズムとは動物や自然、先祖などの霊を信じ祭ることで、自然界に満ちる霊、つまり目に見えぬ意識的存在を感じながら暮らす文化のこと。
アニマとはラテン語で「霊」「魂」のこと。

(参考)
以上の記述は下記をベースにまとめたもの。

・「知っているようで実は知らない世界の宗教」(池上彰 著、SB新書)
・ ChatGPT

 

 

コメント

価値観と同調圧力

2023-08-03 11:07:49 | 話の種

価値観と同調圧力

■(先月、タレントのりゅうちぇるさんの自殺が報道されたが、この時の朝日新聞の社説(2023.7.20)から。)(一部略)

(社説)他者の生き方 「意見」が刃になるとき

 人の生き方や家族のあり方について、さまざまな見方があるのは当然だろう。異論や違和感を表明して議論することは、いろいろな立場の人たちが互いを理解し、ともに生きていくために不可欠なことだ。公人などへの建設的な批判は社会が前に進むための原動力でもある。

 しかし一方で、誹謗(ひぼう)中傷とまではいえないような「意見」や「感想」であっても、それが時に刃(やいば)となり、他者を必要以上に追い詰めてしまうことにも考えを巡らせておきたい。特に、性自認や性的指向のような当人の存在の根本にかかわる話題で、敬意を欠いた匿名の非難が束になって大量に降りかかれば、人を深く傷つけることになる。

 多様性の実現が社会課題になって久しいが、いまなお多くの人が偏見や価値観の押しつけに苦しんでいる。とりわけ意思表示をする少数派の人への風当たりは強い。それでもりゅうちぇるさんは発言と対話を続け、多くの人に影響を与えてきた。

 2年前の自著には、こんなことを書いている。「自分とは違う意見や反対の意見に対しても、まずは耳を傾けて『なるほどね』と受け止める練習をする」「たとえ自分とは違う考え方だと思ったとしても、『そういう考え方もあるんだね』と認めることはできるはず」

■(海外の投稿サイトの投稿をまとめた「パンドラの憂鬱」というサイトがあるが、そこでの記事(2023.7.27)から。)

[「日本のように自由であるべきだ」外国人歌手が日本より欧米の方が同調圧力が強いと指摘し話題に。]

エリザヴェータさんは現在日本在住で、先日には、普段のご自身の生活をファンに紹介する目的で、
「スーパーマーケットに買い物の時間!今でも人が多い公共の場ではマスクをしています」と投稿。
それだけのメッセージだったのですが、マスクを着けているという事に批判の声も寄せられ、翌日に改めて以下のメッセージを投稿しました。

「コメント欄の反マスクの荒らしにはいつも驚かされます。なぜ?混雑した公共の場でマスクをすることで、私が誰を傷つけているというのでしょうか?
日本では誰もマスクをしている私に目もくれないのに、欧米人はマスク着用者をいじめる事が権利だと思っているみたい。」

この投稿に対して次のようなコメントがあった。

「社会という枠組みの中でどう生きるのかを、教えられていない人がこっちには多い気がするね。いつだって「自分が、自分が、自分が」で、「自分が絶対的に正しい」って感じがする。」(カナダ)

「個人主義で知られる国民が、多数派に従うことを重視し、基本的な自由を行使する人々を嘲笑するという、深刻な問題を抱えている現状に私は魅了(?)されてる。その一方日本とかでは、他人に危害を加えない限り、何をしようと誰であろうと気にしないよね。」(アメリカ)
(そう、それこそ正に私が言いたかった事です。)(投稿者)
(それはあなたの国だけじゃないよ。私の国でも全く同じ状況です。)(イギリス)

(参考)
エリザヴェータさんは、様々なハリウッド映画や米ドラマなどに、自身の楽曲を提供しているオペラポップ歌手。

■(先日(2023.8.1)の朝日新聞の天声人語より。)(一部略)

アンパンマンの敵役ばいきんまんは、あまり悪者らしくない。ドキンちゃんのわがままに振り回されてばかりだし、「とどめだ!」と叫ぶわりに、アンパンマンをとことんやっつけたりはしない▼それはお互い様であるのだろう。アンパンチを打たれても、ばいきんまんは自分の家に逃げ帰るだけだ。どちらも徹底的には打ちのめさない。「その手前で止めるということが、ぼくは大事だと思っています」。作者はそう語っていた(『やなせたかし 明日をひらく言葉』)▼今年は、アンパンマンが絵本に登場して50年、やなせさんが亡くなって10年という節目だそうだ。改めて作品を読んで感じるのは、絶対の正義などどこにもないのだ、という「共生」のメッセージである▼翻って、いま私たちの目の前にある政治はどうだろう。「共産党はなくなったらいい」。日本維新の会の代表が放った言葉に、ため息がでた。政策論争ではなく、政党の存在そのものを否定するような発言は見過ごせない▼そうでなくても、自らの支持者にしか向き合わない国会議員が目立つ昨今である。広く国民の代表として熟議を重ねる。分断を避け、合意を探る。そんな民主政治の基本をよもや忘れてもらっては困る▼「正義でいばっているやつは嘘(うそ)くさい」とも、やなせさんは言った。自分だけが正しいとの排除の政治に陥れば、ばいきんまんに嗤(わら)われるだろう。

 

さて、これらの3つの記事は内容がバラバラのようだが、共通しているのは、自分達は正しいと思い込んで相手を非難し否定していること。そして私が思ったのは価値観の違いと同調圧力、そして相手に対する気遣いや配慮の必要性。

最初のりゅうちぇるさんの記事だが、「偏見や価値観の押しつけ」ということが書かれているが、これについてりゅうちぇるさんは、「自分とは違う意見や反対の意見に対しても、まずは耳を傾けて『なるほどね』と受け止める」「たとえ自分とは違う考え方だと思ったとしても、『そういう考え方もあるんだね』と認める」ことが大切だと述べている。

これについて、当方思い当たることがあり、それは友人との会話で彼がよく口にする言葉で、「あなたの言うことは正しい(間違っていない)。ただ・・・」「あなたの言っていることは良く分かる。しかし・・・」というもの。

当方若いころは、自分が全て正しいと思い込んでいて、よく相手と衝突をしていたが、近年友人が(友人も年を取ったせいもあるだろうが)会話の中でこのような言い方をするのを聞いて、これならば無意味に議論、衝突することもなくなり、なるほどなと思った次第。

2番目のエリザヴェータさんの件は、言うまでもなくネット上での価値観の押しつけで、同調圧力と言われるもの。
昔は意見を主張するにしても、デモでプラカードを掲げるなど(今でもあるが)可愛いものだったが、ネットでは匿名性をいいことに自分の価値観(主張)を声高にばらまき散らすことにより、あたかもそれが多数意見であるかのようなふりをする傾向が強くなっている。
(これらは、個人のレベルであればまだしも(これでも良くないが)、国家間、政治のレベルでもフェイクニュースなどプロパガンダが盛んになってきている。)
この記事を見ると、どうも日本よりも海外の方がこの傾向が強いようだが、どうだろうか。
(例えば日本人はほとんど気にしない「文化盗用」などということも、よく海外のネットなどでは取り上げられているが。)

3番目のアンパンマンの記事を取り上げたのは、「世の中に絶対的な正義などない」ということで、自分は絶対に間違っていないと思うのは間違いで、かつ相手を全否定するのも間違いだということ。そして、相手を負かしてやろうとは思わないで、気遣いや配慮は常に忘れてはいけないということ。

人の価値観というのは人生観、主義主張から嗜好、好き嫌いなど、その意味するところは幅広くまたその内容も様々だが、社会或いは個人間の紛争、論争、対立、差別、偏見などは全て価値観の違いから生じるものと考えられる。従って、この価値観の違いは避けることはできないが、その結果として生じる対立や偏見を避けるには、まずはその違いを認めることが必要と言える。

(参考)価値観についてChatGPTに聞いてみた。

価値観とは
ChatGPT
価値観とは、個人や社会が持つ、何かを判断し評価する際の基準や尺度のことを指します。これは、人々がどのような価値を重視し、何が大切であると感じるか、行動や意思決定をする上で影響を与える考え方や信念の集合体です。

価値観は個人差や文化、社会的背景によって異なる場合があります。個々の経験や教育、宗教、家族などが、価値観の形成に影響を及ぼします。また、時代や社会の変化によっても価値観は変わることがあります。

 

 

 

コメント

投稿サイト「パンドラの憂鬱」より

2023-08-03 10:49:13 | 話の種

「投稿サイト「パンドラの憂鬱」より」

(海外の投稿サイトの投稿をまとめた「パンドラの憂鬱」というサイトがあり、どちらかと言うと日本や日本人を賞賛する日本びいきの人達からの投稿が多いが、褒められると悪い気はしないので、私のお気に入りのサイトとなっている。
記事の内容と言うよりは外国人の反応が面白く、これまでに私の印象に残っているものをいくつかリストアップしてみた。)
(同サイトの新しい記事を見るには下記インデックスからどうぞ)

「パンドラの憂鬱」インデックス (新しい記事のリスト)
http://matometatta-news.net/pandora11.com/

(外国人が不思議に思った日本人の行動)

海外「地震の時は冷静なのに…」 突然の小雨に慌てて逃げる日本人の姿が話題に
http://pandora11.com/blog-entry-3996.html
海外「誰も気にしてないじゃんw」 強めの地震が発生した歌舞伎町の様子が話題に
http://pandora11.com/blog-entry-4572.html

(外国人がほっこりした日本人の行動と日本の光景)

海外「生まれる国を間違えた」 日本のドライバー達が取った行動に海外から賞賛の嵐
http://pandora11.com/blog-entry-2000.html
海外「これが日本の凄さだよ」 ふとした日常の光景に日本の凄さを見出す海外の人々
http://pandora11.com/blog-entry-2385.html
海外「日本は現代のローマ帝国だ」 日本のふとした日常の光景にイタリアから驚きの声
http://pandora11.com/blog-entry-2811.html
海外「日本が愛されるわけだよ」 日本の空港で撮影された1枚の写真に外国人が涙
http://pandora11.com/blog-entry-3386.html
海外「日本は本当に良い国だなぁ」 日本の平和さが凝縮された映像に海外から感動の声
http://pandora11.com/blog-entry-3979.html
海外「そりゃあ日本が愛される訳だ」 日本の一般の人々の振る舞いが世界的な話題に
http://pandora11.com/blog-entry-3999.html
(翻訳元であるFacebookのサイトはこちら)
https://www.facebook.com/104401537722524/videos/577394420131392/
海外「日本は本当に同じ惑星なのか?」 日本社会の調和を象徴する光景が世界的な話題に
http://pandora11.com/blog-entry-4652.html

(日本の風景の美)
海外「日本は島国だから独特なの?」 日本を象徴する1枚の写真が外国人を魅了
http://pandora11.com/blog-entry-1799.html

(外国人が感動した日本人の振舞)

海外「これが日本人なんだよ」 日本の航空会社の対応に海外の音楽家から感動の声
http://pandora11.com/blog-entry-2141.html
海外「美しい国だなぁ」 日本の一般の人々の振る舞いの美しさに外国人が感動
http://pandora11.com/blog-entry-2811.html
海外「やっぱ日本人は特別だ」 日本の一般の人々の心遣いが凄過ぎると話題に
http://pandora11.com/blog-entry-3862.html
海外「これが文明国の姿か」 在日アメリカ人女性が外国人にも寛容な日本社会を絶賛
http://pandora11.com/blog-entry-4048.html

(外国人が驚いた日本)

海外「こんな国他にはない」 47都道府県の名産品リストが外国人に大好評
http://pandora11.com/blog-entry-1668.html
海外「こんな国民が他にいるか?」 世界213カ国をイメージした着物に各国から感動の声
http://pandora11.com/blog-entry-3913.html
(KIMONO PROJECTのサイトはこちら)
https://kimono.piow.jp/kimonolist.html)
海外「やっぱ日本語は面白い!」 BBCも驚く日本語にしか存在しない表現が話題に
http://pandora11.com/blog-entry-3914.html
中国「日本の影響は明らかだ」 現代中国語の8割が日本語に由来するらしい…
http://pandora11.com/blog-entry-4471.html
中国「日本語って凄いなw」 日本語がいかに凶悪なのかが一発で分かる画像が話題に
http://pandora11.com/blog-entry-4639.html

(外国人が日本を好きになった日本の光景)

海外「日本は唯一無二の国だ」 日本のありふれた日常風景が外国人の価値観を激変させ話題に
http://pandora11.com/blog-entry-4629.html
海外「日本は本当に自由だった」 外国人だけが気づく日本人女性の服装の特徴が話題に
http://pandora11.com/blog-entry-4633.html

(外国人が日本のスポーツチームのマナーを賞賛)

海外「日本人は民度が違う…」 日本人の国民性をFIFAが『常に超一流』と大絶賛
http://pandora11.com/blog-entry-4647.html
海外 日本人の国民性を象徴する1枚の写真がアフリカを感動の渦に
http://pandora11.com/blog-entry-4658.html

(オマケ)

海外「日本は本当にいい国だ!」 天皇陛下を目撃した日本の高校生の反応が大反響
http://pandora11.com/blog-entry-3239.html
海外「日本人は恵まれ過ぎだ!」 日本の本気の遊び心が外国人のハートを鷲掴みに
http://pandora11.com/blog-entry-4655.html

 

 

 

コメント