話の種

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選挙とSNS(2)

2024-11-19 14:31:39 | 話の種

「選挙とSNS(2)」

SNSの問題点、危険性については既に何度か述べた通りだが、今回の兵庫県知事選の結果を見て、SNSの威力について改めて思い知らされた。
今回の選挙で何故あのような斉藤氏支持の熱狂的な現象が起きたのだろうか。

当方SNSはほとんど見ないので、SNSの問題点、危険性については頭の中では分かっていたが、今回の知事選の結果を見て、どのようなものだったのかチェックしてみたところ、具体的にいろいろと分かったことがあった。

例えばYouTubeだが、一つの画像投稿に対して矢継ぎ早にコメントが入ってくる。
それも短いコメントなので、瞬時の感想でしかない。
それに同調するようなコメントが次々と加わっていき、ここには異論を挟むような余地はない。
なるほど、これがエコーチェンバー現象というものかと実感として理解できた。

また今回、これらの検証、友人とのやり取り、TVの報道などにより分かったのは次のようなこと。

(1)最初から悪意をもってのデマ情報は論外として、当初の記事が事実を書いたものであっても、投稿、拡散、連鎖していく内に次のように変わってしまうことがあるということ。

今回の選挙を例にとって言うと、

パワハラ:
「法的に問題となるパワハラはなかった」(公益通報委員会の結論)
→「パワハラはなかった」と公益通報委員会は述べている
おねだり:
「おねだりした相手とされた業者であるA社はそんな事実はないと述べている」
→「おねだりした事実はなかった」ことは明らかになっている。

つまり、伝言ゲームと同じ現象で、普通の善良な人たちの間でも、(悪意はなくても)変わってしまった情報が流布され続け、事実として定着してしまうということ。

またこれらが増幅されたのか、「補助金からの寄付やパーティー券押し売り、その他の不正など全くなかった」というようなコメントも見られた。

(2)NHK党の立花氏だが、彼がどのような人物か関西ではよく知られていないということ。
従って彼を「よく真実を明らかにしてくれた」と礼賛する投稿が異常に多かったということ。

大手メディアが報道しなかったものを立花氏が暴露してくれたとして、死亡した元局長のパソコンの中身や非公開だった百条委員会の審議の様子などが挙がっている。
しかし、大手メディアは何もかも報道するという訳ではなく、ましてやプライベートに関わる問題(愛人とのメールのやり取りや動画があったとされているが)については慎重である。
ところが、投稿では大手メディアは「真実を報道していない」「事実を隠している」となり、そして人々はそうなんだと思い、「大手メディアは信用できない」と述べるに至っている。

東京に住んでいる者であれば、先の衆議院選挙でのNHK党の無意味な候補者の多数擁立、掲示板でのポスター問題などには唖然として腹を立てているので、彼をこのように英雄視することは考えられない。
では何故同氏はあのように斉藤氏を応援したかということだが、非常識な人間の考えていることは分からないので、売名のためということぐらいしか思いつかない。彼の言っている不正を正すためなどということは有り得ない。斉藤氏も彼のことは分かっていたようで、当選後のインタビューでは彼のことについてはあまり触れたがらないようだった。

(3)選挙期間中の報道については、放送法の問題などで報道は中立でなければならないが、SNSは自由に発信できる。
立花氏が当選するつもりもなく立候補し、斎藤氏の応援演説に終始していたのも、立候補者であれば聴衆に対して何時でも自由に発言することが出来るからだったと思われる。
これは公職選挙法の盲点とも言える。(先に述べた衆院選でのNHK党の無意味な候補者の多数擁立、掲示板でのポスター問題などもそうだが、同氏はこれらの点を巧みに突いてきたと言える。)

(4)日本の大手メディアは公平の立場から両論併記が原則だが、SNSは片方だけの一方的な主張で良く、これが積み重なっていくので、読者はあたかもそれが真実であるかのように思い込みやすい。
また大手メディアは報道にも時間的制約があるが、SNSは際限なく流し続けられる。
今回の選挙では、新聞やTVが報道しないので情報源はSNSだったという人も多かったようである。
「何が真実か分からなくなってしまった」という人が多かったというのも頷ける。

(5)更に付け加えるならば、真偽のほどは不明だが、元局長の公用パソコンには、斎藤氏や側近の追い落としを企んだクーデター計画や人事案、それらのやり取りのメールもあったという陰謀論のような投稿もあったようで、こうなると米国大統領選でトランプが描いた構図と何ら変わりはない。既得権益と改革という構図も同じである(ただ、斉藤氏は実際に改革は種々行っていたようだが)。このことは斉藤氏はむしろ被害者だという印象を有権者たちに与えることになった。
また、選挙戦の当初は、斉藤氏の街頭演説では聴衆は一人も立ち止まらず、雨の中を一人で物静かに辻立ちを行っている姿もSNSに投稿され、これが上記に加えて、後になって人々の同情を誘ったようである。

なお、対抗馬である稲村氏を支持した22市長の一人である相生市長が会見の場で威嚇とも思えるような机をバンバン叩く姿がSNSで拡散、非難され、このことも斉藤氏に有利に働いたと思われる。

選挙を終えてのTVのニュース番組だが、コメンテーターたちはさぞかし難しい立場に立たされたのではと感じた。
斎藤氏を批判してきたこれまでの主張を変えるわけにはいかず、かと言って今まで通り同じ主張をしていれば斎藤氏を応援した人たちからの非難を受けることにもなりかねない。
どうするのだろうか。変節するのか、しないのか。

米国大統領選挙の時はSNS問題について対岸の火事と見ていたが、日本でもその功罪、使い方を改めて見直す時が来たのではないだろうか。

P.S.
今回の選挙では争点がゴチャゴチャになって訳が分からなくなっているが、当初の問題は法的に公益通報者保護法違反があったかどうかということ。このことは今のところ百条委員会の結論を待つしかないが、当方としては法的な解釈はともかくとして、今回の斉藤氏の行った行為は許せるものではない。
当方何よりも嫌いなのは権力を笠に着て威張る人間で、報道を見る限りでは斉藤氏のこれまでの言動は当方の価値観には反するものである。(人が無くなったということについても無表情を貫いている)
まあ、価値観と言うのは人によって違うので仕方ないが。(彼には改革の実績があるからそんなことはどうでもよいと言う人もいるだろうから)


(参考=当方のブログ記事)

SNSと若者と選挙」 (24/07/21)
選挙とSNS」(24/11/16)

内部告発と権力と組織」 (24/07/19)

 


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