メトロの中吊り広告に、ひらめき
ギロッポンStaで下車
足はいつしか、ヒルズへ
チケット購入に1H
ELVで43Fまで30分
嬉しい事に、10枚ほど
PHOTO可
この国のミュージアムも
国立西洋美術館を始め
文明開化
1979年のニューヨーク。黒人青年バスキアは「セイモ(SAMO)」と名乗り、バンド活動もするマイナーな画家だった。彼はドラッグを吸い、ホームレス生活をしているが、スラム育ちではなく中流の家族を持っていた。母親は、幼い頃のバスキアに絵画への興味を植え付けたが、離婚後は精神病院に入院していた。
ウェイトレスで画家志望のジーナと親しくなり、彼女のアパートに転がり込むバスキア。画廊で電気工事のアルバイトをしたバスキアは、人気アーティストのマイロを見かけて声をかけ、虚勢を張った。若いバスキアは、アーティストとしての成功を熱望していたが、売れなければ目の前の電気技師のように、「本業はアーティストだ」と自分に言い聞かせながら、年老いて行くはずだった。
中略
1988年8月12日にヘロインの過剰摂取で死亡した。27歳だった。
撮影可能の作品


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43F展望フロアー



私は、音楽と図画の時間は腹痛が??
ようやく天気も落ち着き?
お出かけ下さい