おかあさんは入学式にももちろん来てくれた。
ランドセルはおじいちゃんとおばあちゃんが買ってくれた。
豚革の物だった。
共働きだった為放課後は学童保育に預けられた。
そこは上級生が威張っていて、先生と呼ばれる人は保育や指導が出来るような人格者では無く、お迎えに来た保護者やボス的な児童にのみ愛想の良い女性だった。
私は一年でそこから抜ける事が出来た。
おかあさんが仕事を辞めたからだ。
2年生になり私はお姉ちゃんになった。
かわいいかわいい弟が産まれた。目が大きくて愛想の良い世界一かわいい赤ちゃんだ。
幸せだった。
経緯とか期間とかよく覚えていないけど、曾祖母が1時間かけて団地からうちに頻繁にやってきた。
きっと赤ちゃんのめんどうを見る為に来ていたのだろう。
そのうち通いでは無く和室が与えられ家族になった。
団地の時はおばさん二人は下の名前で、曾祖母はおっきばあちゃん、耳の聞こえない祖母はちいばあちゃんと呼んでいた。
おっきばあちゃんは80歳を超えていていつも着物を着ていた。
おっきばあちゃんは私を一番可愛がってくれていたそうだ。
おっきばあちゃんには子どもは無くちいばあちゃんは養子だった。