ここで言わせてください

過去や現在
おりまぜてます。

self-awareness 3 人生はひらけます!

2022-03-31 12:12:00 | self-awareness
『テレフォン人生相談』と言うラジオ番組があり、
そのパーソナリティの一人に
加藤諦三先生と言う人がいる。
社会学者で早稲田大学の名誉教授の方。

ここ数年地上波はほとんど見てなくて、You Tubeを垂れ流している。

いつからかその『テレフォン人生相談』がくり返しくり返し流れるようになった。

相談はさまざまで、不倫問題、職場の人間関係、借金、とかが多い。

一見関係なさそうな相談に、相談者の年齢、家族の構成、家族の年齢まで聞く。

お金の相談なんかで、弁護士が回答者で、法律により白黒はっきり出来る時はスバっと回答するが

人間関係の相談は、ああしたらとかこうしたらとか、決して言わない。

ひたすら相談者に話させて、パーソナリティはちょこっとヒントを出す感じ。

相談者は話すことによって自分で相談内容を整理でき、答えを導き出す。

その中であまり恵まれない家庭で育った人が相談者の時は、
家族構成を聞き取った後、加藤諦三先生は、


「あなたよくここまで生きて来られましたね」

「あなたが自分を認めたから、きっと人生はひらけます」


こういうセリフをよく口にされる。

私はこのセリフの時、決まって泣いてしまう。
ボロボロと泣いてしまう。

だから、一人の時しか見ない。

このセリフを言って欲しくて、本気でテレフォン相談に電話しようかと思った。
でもやめた。
勇気無い。

それで、自分で自分に言ってあげた。



「あなたよくここまで生きて来られましたね」

「あなたが自分を認めたから、きっと人生はひらけます」


そう、私の人生はひらけます!

self-awareness 2 気づき

2022-03-28 01:31:12 | self-awareness
以前の私は

実に僻みっぽい。

人を妬む、羨む。

自分を卑下する、

自己肯定感が低い、本当に低い

心理学的にNGな事ばかりしていた。


人一倍暖かな家庭に憧れて、
誰にも邪魔されずに幸せになれているはずなのに


子どもが熱を出したり、
自分の体調が悪くて家事もままならず、
サムは長期の出張で
しんどい時が続いたりしたら


すぐに実家に帰ったり、
すぐに母親が助けに来たりする、
そんなママ友さんを見て僻んでいた。



今は全くそんな事が無くなった。
人と比べる事が無くなった。


7ヶ月前に手術が必要な大病が見つかり

大切な事に気づいた。


目の前にある小さな幸せに気づいた。


凄く怖い思いをしてパニックになったけど、


自分ががんばって手に入れた幸せがそこにあることを確認出来た。


私は家族が欲しかった。


術後5分しか出来ない面会で、
「良かった、本当に良かった」
と泣いてくれた夫。

それで充分だ。


結婚するまで

私は生まれてきたく無かったと毎日思っていた。

他人の中で育ち
心が休まらず
実の親からいじめられ
精神的にボロボロで


何故自分はよその子と違うんだろ。

苦しんだ。


令和になって、
『毒親』
『親ガチャ』
と言う言葉を知った。

ああ、これか、、、
と妙に納得出来た。

最近になって、自分が生まれて来た意味が分かった。

初めまして、ピングー ようこそ!わが家へ

2022-03-20 23:58:14 | コソダテ
翌年、私はお母さんになりました。


以前に手術をした産科で産みました。


初めて動物園に連れて行った時、ペンギンに強い興味を示したので、赤ちゃんをここではピングーと呼ぼう。)


ピングーは男の子で産まれた時から繊細で、ちょっとの物音でもすぐにビクッと泣き出し、夜泣きも酷く育て難い赤ちゃんでした。


もちろん可愛かったし、大切に大切に育てたつもり。


実家が無く、産前産後助けて貰えない。

サムは週末以外はずっと出張。

義母はクセの強い性格で、手助けなんか望め無い。


色々条件が悪い中、想像以上に子育ては大変だった。


私は難病で過労は禁物だったから、
産科の先生が「お母さんの身内の方が来たら退院後の注意を伝えますから呼んで下さい」
と言ったそうだ。


入院中
耳の不自由なおばあちゃん、
父親の妹である叔母さん、
お義母さん、
がお見舞いに来てくれた。


とてもじゃないけど先生の話を聞いて貰うよう頼むことはできない。


退院後ケアしてもらえる環境じゃ無いと退院の許可出来ないと言われた。


おばあちゃんは耳も聞こえず弱っているし、
叔母さんは障害のある子どもさんを育てている。


消去法でお義母さんのお世話になることになった。


私達のマンションからお義母さんのマンションまで車で20分ほど。
通って助けて貰うよりお義母さんのマンションに母子で泊まらせて貰った。


サムは週末以外出張。


お義母さんと私とピングーの三人の生活。


ピングーが泣いたから抱っこしようとしたら
「先にご飯を食べて自分の用事をさっさと済ませてから抱っこしなさい」
と命令。

初めての子育てで、赤ちゃんギャンギャン泣いてるのにご飯なんか喉通らない。

色々手助けしてくれるのだが、凄く気を使う。

私が感心した素振りを見せると、
「こんなん常識や」を連呼。

私はだんだんと追い詰められていく。

   〜~~~~~~

ちなみにそんなピングー君

今日「令和4年3月20日」

大学を卒業しました🌸

   〜〜〜〜〜〜〜



self-awareness 1 自己認識

2022-03-19 23:14:00 | self-awareness
今日から自分のブログの中のカテゴリーを新しく作った。


self-awareness
自己認識。

私の人生を肯定出来るように。

〜~~~~~~~~~~~
26歳

私はパートを辞めて、妊婦さんになり、のんびり過ごした。

相変わらずサムは週の中日は出張でいなかった。

仮設住宅に住んでいたおばあちゃんは元のマンションの改修工事が済んで、戻ることが出来た。

弟は工業高校を卒業して就職をし、
おばあちゃんの家でほとんど過ごしていた。

休みの日、サムは車でおばあちゃんの家に連れて行ってくれた。

私の体調は大分安定していた。

以前の私では考えられないほど幸せだった。

辛かった子ども時代を、振り返ることも、思い出すことも、苦しむことも無かった。

2021年4月フラッシュバックしちゃった。



根無し草 60

2022-03-18 18:59:00 | 根無し草
カテゴリー『根無し草』で過去日記を書いている。

ふと昨日あたりから違和感がある。

なんだろう??

あぁそうだ!

私あっちフラフラ、こっちフラフラの、根無し草じゃ無くなったんだ!

結婚して名字が変わって、人生に礎が出来たんだ。

大切な伴侶ができ、
もれなく義母との付き合いが始まり。。。

子供の頃の苦しみ悲しみでは無く、一人前の人間として生きて行けるようになっていた。


以前は思い出すのも苦しく、辛く、心が苦しくなり、泣きながらブログを書いていた。

昨日はあぁ、あの時義母め〜
と軽い苛立ちで済んだ。

これは、やはりブログに書くと言うことがセラピーになってるんだ。

   〰〰〰〰〰〰〰

ということで昨日の続きです。

お義母さんの性格はサムが良く知っていて、私に嫌なら付き合わなくてもいいし、パートも辞めや〜とは言ってくれていた。

でも、悪く言うわけにいかないし、クセの強い母親ということを理解してくれている事が救いだった。

私以外のパートさんも次々辞め、私もどうしても理不尽な事があり、ある夜サムに事情を話した。
サムは怒ってお義母さんに電話をして、かなりキツメにもう仕事を辞めさすから
と言ってくれた。

そして、私は再び妊娠した。
もうキツイ薬は飲んでいなかった。

私とサム26歳になっていた。