宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

『デクノボーになりたい』の及ぼす影響

2014年03月18日 | 『賢治と高瀬露』
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
 先に、YK氏の『 賢治文学「呪い」の構造』においては、高瀬露に関する記述に問題があると私たちは主張した。それに関する後日談である。
著名な宗教学者YT氏
吉田 この前荒木が怒り心頭に発していたYK氏の『 賢治文学「呪い」の構造』に関連してだが、実は著名な宗教学者のYT氏が著したこんな本がある。YK氏のその本が出版される約2年前に、YT氏が既にこの本でもうその「先鞭」をつけているんだ。
荒木 へえ、『デクノボーになりたい』っていう本なんだ?
吉田 そう、YT氏はこの本の中にこう書いている。
 昭和三年の、秋のある日、たまたま賢治を「協会」に訪ねた森惣一は、その近辺で一人の女性に出会う。かの女はちょうど賢治のところからの帰り道で、「昂奮に真っ赤に上気し、きらきらと輝く目」をしていた。
 かの女は、花巻の西のほうの村で小学校の教員をしているクリスチャンであった。「羅須地人協会」の会員の紹介で、賢治のところを訪れるようになったのである。はじめは男ひとりの生活を見かねて何かと世話をやいていたが、そのうち賢治にたいする思慕と恋情がつのる。賢治がまだ起床しない早朝に訪れてきたり、日に二回も三回もやってきたりするようになった。かれはすっかり困りはて、門口に「本日不在」の札を貼ったりした。おまけに顔に墨を塗って会うというようなこともした。
              <『デクノボーになりたい』(YT著、小学館)188p~より>
荒木 ひどいな。そもそも初めから間違っているベ。「昭和三年の、秋のある日」と書き出しているが、こんなことは賢治のことを多少知っている人ならば、ちょうど俺のように、誰だって間違いだということは気が付くだろうに。
 それから、その後だってYTさんは決めつけた書き方をしているが、典拠も明らかにせずに何でそんなことまでわかるのだろうか。とかく、断定した書き方をしているときはかえって怪しい場合が多いという現実がある。はたしてYTさんはちゃんと調べて書いているのだべが。
鈴木 実は案外この人はそうでもない傾向がある。たとえば吉田司との対談で、吉田はしっかりと調べた上で話をしているのに、YT氏はそれは間違いだと訂正させている。実は間違えていているのはYT氏の方だというのに<*>。それから、オウム事件の際などは私から見ればとんでもない言動をしてしまった人だ。この事件の場合だって自分でしっかりと調べておればそんなことにはならなかったはずなのに。とりわけYT氏は中学と高校を花巻で過ごしているだけに、私はなおさら残念に思っている。
荒木 えっ、そうだったんだ。
吉田 実はこの人はアメリカで生まれたが、6歳の時に日本に来て小学校時代はほとんど東京で過ごし、昭和19年に親の実家がある花巻に疎開しているという。疎開先は賢治の生家のすぐ近くだし、賢治に関する著作も少なからずあるから先ほどのことは調べてはいると思うのだが、残念なことに明らかに間違っている。
 それから、そもそもこの『デクノボーになりたい』には参考文献のリストが載っていないから、僕はちょっとマナーに欠けるんじゃないかと思っている。一体何を参考とし、どの部分を引用し、どこからがご自分で調べたところなのかが判然としていない。

『デクノボーになりたい』の他に及ぼす影響
鈴木 先ほど吉田が引用した『昭和三年の、秋のある日、……おまけに顔に墨を塗って会うというようなこともした』だが、YT氏は全て断定調で書いているし、何から引用したかということを明示していない以上、読者はYT氏の論考と思うだろ。そうすると何が起こると思う?
荒木 そりゃあ著名な宗教学者の著作だから、この本の読者は、「お説ごもっとも」と受け取り、先の引用部分は全て歴史的事実だと素直に信じ込むだろう。おっと、待て待て、そりゃひどいよ。この引用した部分はまさしく巷間いわれている「露伝説」そのものじゃないか。こんな偉いお方がこんなことを活字にしてしまったら、間違った「露伝説」がさらに浸透するはめになるべ。
吉田 ほら、見てみろまさしくそのことが実際起こっていることがわかるから。
そう言って、吉田はYK氏の『 賢治文学「呪い」の構造』の【参考文献】のページを開いて荒木に指さして、
吉田 ほら、な。
荒木 あっ、まさしく憂慮すべきことが起こってる。たしかにその【参考文献】リストの中にはYT氏の『デクノボーになりたい』が載っている。これじゃ、『 賢治文学「呪い」の構造』の著者のYK氏だけを責めるわけにはいかないし、このまま座視しておれば全く取り返しのつかないことになってしまうぞ。
吉田 僕は思うんだよな、先ほど僕が引用した文章部分をYT氏は書きながら、結果的にはひとりの女性を貶めている行為をしていることになる訳だからはたしてこのことは宗教学者として為すべき行為なのだろうかと逡巡しなかったのか、と。
鈴木 非常に失礼な言い方だが誤解を恐れずに言えば、この人は宗教学者ではあるけれど、誰かも言っていたがどうも彼には祈りの気持ちが足りないような気がしてならない。
吉田 そうだよな、YT氏の言動は世間に与える影響は計り知れないものがあるのだからそのような「祈り」を是非持ってもらいたいな。

<*:投稿者註> ちなみに次の通りである。
・私の花巻の実家は、…(略)…賢治の生家とは三〇〇メートルほどしか離れていない。
              <『デクノボーになりたい』(YT著、小学館、2005年)12pより>
・わたしの実家の寺のすぐそばに、宮沢賢治の生まれた家がありました。百五十メートルぐらいしか離れていなかった。
              <『17歳からの死生観』(YT著、毎日新聞社、2010年2月)14pより>
・吉田 …(略)…その辺は、どうですか? 三〇〇メートルの近所だったということでは。
 YT 正確に言えば、一五〇メートルぐらいなんだけれどね。              
              <『デクノボー 宮沢賢治の叫び』(YT、吉田司共著、朝日新聞出版、2010年8月)24p~より>
・なお、実際地図上で計ってみると、直線距離で約300mある。

 それから、次の投稿なども参照して下さい。
・“和田氏は「日取り」とは言っていない
・“山折哲雄と花巻空襲
・“専念寺へ参りましょう
・“専念寺とその周り

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2 コメント

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木偶之坊ニナリタイって? (辛文則)
2014-04-11 17:33:39
  御高名なるTY氏、「余ハ土偶木之坊ニナリタイ!」ってか? 〈木偶之坊〉あるいは〈土偶之坊〉と漢字表記する〈デクノボウ〉とは、つまりは〈飾り人形〉のこと。花巻地方には、昔から、名物として、〈木偶〉と〈土偶〉との両方ある。前者が〈花巻こけし、後者が〈花巻人形〉。
  言うまでのことだが、〈デク〉あるいは〈デクノボー〉とは、「画に描いた餅」つまり〈画餅(がひん)〉と同様二重含がある。紋切型では、「食えない」つまり「使えない」の意で、〈無用不材者(使いモノにならぬモノ)〉転じて〈愚か者(愚癡無明邪見者)〉の意ですね。ですから、この罵詈雑言ひょか評価語は自称としては、他者への〈皮肉〉や〈風刺〉などの揶揄としてしか使えません、よね。つまり、胸を張って、「私はデクノボーになりたい!」などと言語ひょうげんすることはあり得ない因縁です。
  しかしながら、「私ハ,他ノ民見ん皆ニ木偶の木偶之坊ト嗤ワレル者ニナリタイ.」となると、皮肉や風刺レベルの俗物他への揶揄を超えてしまう訳です。端的に言えば、「吾輩ハ先覚者ニナリタイ」、と。人間的欲望として、「ソノ叡智力二於イテ後世ニ己ノ名ヲ遺シタイ」という以上の欲求はあるのでしょうか。しかし、漱石の観方によれば、その能力、あるいは欲望を持った人間ほどに不幸な個人人人にはいない、と
  それはそうでしょう。「この役立たずの馬鹿者!」と最初に愚弄を始めるのは、他ならない身近な他者、つまり家族や親族であることが常なのですから。
  そのことがワカッテイナイで「天才について語る」をやってシマッタなら、まさに「カタルに墜ち
る」になりかねません。これ以上の言は差し控えましょう。ひとつだけ。賢治は、「(他の)ミンナ二デクノボートヨバレルモノ二ナリタイ」とは書いていますが、「私ハデクノボーデアル」とか「私ハデクノボーニナリタイ.」とは書いていませんよね。この分別をつけられないとなると愚癡無明者と呼ばれても、……。〈人間(ジンカン)〉とは、「人と人との間の因縁関係性によって始めて現象し得る存在者」だった筈ですから。
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「余ハ木偶之坊ニナリタイ」という訳でもなさそうです (辛様(鈴木))
2014-04-12 08:33:50
辛 文則 様
 お早うございます。
 今朝の花巻には青空が拡がり、昨日とは違って少しは暖かくなりそうです。
 さてTY氏の著書『デクノボーになりたい』についてですが、どうやら、彼自身が「デクノボーになりたい」からという訳でこのようなタイトルにしたのではなさそうですが、さりとて何故彼がそうしたのかが私にはよくわかりません。
 たしか、斉藤宗二郎が「デクノボ-」のモデルだと彼は言い出したことがあったはずですが、そのことをこの著書で主張したいということでもまたなさそうです。
 御高名なるTY氏に対しては誠に失礼なのですが、彼の幾つかの著書を通じて見る限りにおいては、彼には「祈りの気持ちが足りない」ような気がしてなりません。そして何故私がそう感ずるのかといえば、彼は博覧強記ではありますが、少なくとも彼の賢治に関連する発言や記述においては彼のオリジナリティは殆どなく、他人のものをほぼそっくりそのまま引用しているだけに過ぎないからだと私は思っております。
 だから誤解を恐れずに言わせてもらえば、それこそTY氏自身が「余ハ土偶木之坊ニナリタイ」と希って著したものであれば、私がそこに「祈りの気持ちが足りない」ということなどはおそらく感じないだろうと思っております。
                                               鈴木 守

 

 
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