《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 さて、この度『春と修羅 第三集』所収の「〔うすく濁った浅葱の水が〕」の「下書稿(一)」には
一〇九三 一九二八(ママ)、四、一八、
と書いてるということを知った。そしてそれがいまは、
一〇九三 一九二七、四、一八、
と訂正されているのだそうだ。どうやら、これは単なる賢治の間違いであったと筑摩は判断しているということのようだ。
とはいえ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 たまたま手に取った岡井隆氏の『文語詩人 宮沢賢治』(筑摩書房)の中に、「サラアなる女の伝説」という論考があり、
「〔残丘の雪の上に〕」に出てくる「サラアなる、女」とはだれなのか。…(投稿者略)…
さきに示したように、口語詩「〔うすく濁った浅葱の水が〕」は「一九二七、四、一八、」の日付をもつ。すなわち昭和二年の春である。その前年の大正十五年(昭和元年)は . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 さて、どうやら相馬は昭和52年11月16日に岩手医大の図書館を訪れ、そこで森荘已池に会っていたということになりそうだ。しかも、相馬は太宰研究の第一人者であるという。となれば、相馬の賢治評については私から見ればかなり手厳しいと思うのだが、客観的にはこのような評価の仕方も安易には否定できなかろう。具体的には、先に引用した相馬の
この偶像化された賢治像に対して . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 その名前は今回投稿の上掲写真、私が持っている森荘已池著『宮沢賢治の肖像』(津軽書房)の見返しにあった。
恥ずかしながら、私は相馬正一という方も、そして相馬は太宰治研究の第一人者であることも全く知らなかった。ただし、一度どこかでその名前を見た記憶があった。それを、やっと思い出したのだった。早速その『宮沢賢治の肖像』を本棚から取り出して開くと、
【見返しの左 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 そして相馬は、
これまでともすれば美化されがちだった賢治文学の根源に関わる問題をもう一度洗い直してみる時期に来ているような気がするのである。本稿では、花巻農学校に就職した前後の状況についていくつかのささやかな問題を提起してみようと思う。
と論をスタートさせ、「生徒諸君に寄せる」に関することとか、日蓮宗志向の動機に関わることとかに . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 この度、相馬正一の論文「裸形の宮沢賢治 《邪道》を生きるもの」に出会った。
あれっ、この人の名前どっかで見たことがあるなと思ったし、タイトルにぎょっとしたのがまずは読み出したところ、
宮沢賢治をどう扱うかということは、案外難しい課題である。すでに美化され聖化されてしまっている偶像を神殿から…(投稿者略)…
しかし、この偶像化された賢治像に対して早くか . . . 本文を読む