1 『続 土に叫ぶ』の出版
昭和12年8月、実家の都合により村塾を一時閉鎖、11月に村塾を辞して帰ってからの鳥越の生家での1年有余は、松田甚次郎にとっては
薄暗い我が家でつめたい世評を受けながら訪ねる人もない沈思の日が続いた。その間十年間黙って働けと申し渡された、宮澤先生の言葉と過去十年間生活が思ひ出されて毎日煩悶し続けた。
という辛い日々であった。
ところが幸い、昭和1 . . . 本文を読む
1『宮澤賢治名作選』出来
もちろん、『宮澤賢治全集』は”宮澤賢治の年譜について(その2)”で触れたように、宮澤賢治没後直ぐに
昭和9年には
十月二十九日、文圃堂より「全集第三巻童話編」出版。
昭和10年には
七月二十五日 全集第一巻、「詩」(春と修羅)文圃堂より発行。
九月二十日 全集第二巻(詩、文語詩稿)を文圃堂より発行。
という形で出版・発行されたのだが、実はこれら . . . 本文を読む
1『月夜の蓄音機』
松田甚次郎の『土に叫ぶ』出版に関わるエピソードは『月夜の蓄音機』(吉田コト著、荒蝦夷)に詳らかに書かれている。
それによると、『土に叫ぶ』出版の切っ掛けは次のようであったようだ。
昭和13年の春に羽田書店主から鵜飼村における10年間の生活実践記録を書いて欲しいと頼まれて引き受けた甚次郎ではあったが、その原稿を書いていた頃の彼は体調を崩しており、そのような状態の甚 . . . 本文を読む
1.農村劇をやれ
その後、松田甚次郎は故郷鳥越村に帰って賢治のこの”訓へ”のとおりに小作人となり、村社の八幡神社境内に土舞台を作ってそこで農村劇を行ったりして、毎年のように農村劇を公演したという。
【Fig.1 上演中の舞台】
具体的には以下のとおりである。
昭和2年4月25日 鳥越倶楽部を結成する
〃 9月10日 農村劇「水涸れ」公演
昭和4年 . . . 本文を読む
”前回”、『松田甚次郎は何回か下根子桜の賢治宅を訪れていたことになると私は考えている』と言ってはみたものの、その確かな裏付けが出来ないかなと思って他の書物を漁っていたならば、『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋書店版)の”追想”の中に次のような松田甚次郎の文章があった。
宮澤先生と私
松田甚次郎
盛岡高等農林学校在学中、 . . . 本文を読む
かつて、戦前のベストセラーに『土に叫ぶ』という著書があったということを知った。発行は昭和13年5月、著者は山形県最上郡稲舟村鳥越(現新庄市鳥越)の松田甚次郎という人だという。
1.ベストセラー『土に叫ぶ』
【Fig.1 『土に叫ぶ』の表紙と箱】
【Fig.2 奥付】
を見てみると、出版社は「羽田書店」、発行者は当時の代議士でもあった羽田武嗣郎であることが判る。
かつては製本上の都合により . . . 本文を読む
では今回は境内内の報告をしたいのだが、その前に、まずは境内前から振り返ってみた
《1 西根山の山並》(平成21年7月11日撮影)
である。
一方、そこから境内を眺めると
《2 杉の大樹》(平成21年7月11日撮影)
が聳えている。
境内の入口には
《3 丹内山神社と藤原清衡公の由来の説明板》(平成21年7月11日撮影)
があった。
境内に入ると先ず目に入るのが
《4 爺杉の根株》(平 . . . 本文を読む
花巻市東和町にある丹内山神社を7月11日に訪ねた。というのは、賢治の『文語詩稿 一百篇』の中の
祭日〔一〕
谷権現の祭りとて、 麓に白き幟たち、
むらがり続く丘丘に、 鼓の音の数のしどろなる。
頴花青じろき稲むしろ、 水路のへりにたゞずみて、
朝の曇りのこんにやくを、 さくさくさくと切りにけり。
に出てくる”谷権現”とは丹内山神社 . . . 本文を読む
以前、”『日輪と山』と大森山(199.2m)”において『今後の課題は太陽が大森山に懸かる写真を撮ることである』という課題を残していた。
それは、胡四王山の傍にある
《1 大森山(199.2m)》(平成21年4月23日撮影)
は、いわゆる
《2 『日輪と山』》(平成21年4月23日撮影)
がモデルなのではなかろうかと思うようになってきた。そこで、太陽がこのような配置にある大森山の写真を . . . 本文を読む