「経埋ムベキ山」の黒森山であろうと私は思っている『黒森山(414.6m)』について報告する。
花巻から県道13号(盛岡和賀)線を盛岡方面に向かうと、左手に”石鳥谷町長谷堂”の赤い鳥居が見つかる。そこを過ぎて約1㎞ぐらい進むと東北自動車道の高架下を道路は通る。
しかし、そこまで行かずにこの高架手前の十字路を左折して黒森集落に向かう。ほぼ道なりに西方向に約2㎞行くと
《1 黒森山》(平成20年 . . . 本文を読む
残念ながら、この松倉山にも未だ登っていない。同定に悩んでいたからでもある。
松倉山について小倉 豊文氏は『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉 豊文著、東京創元社)で次のように述べている。
「松倉山」、(a)花巻市志度平温泉のすぐ東北にある約三八〇メートルの山、(b)前記「八方山」の北方七キロ余に聳える九六七.八メートルの山・・・(中略)・・・以上の(a)と(b)の何れかであろう。
その後、 . . . 本文を読む
”八方山(その1)”の続きである。
八方山の頂上から今度は清水観音に向かうため、尻平川コースを下ることにする。ただし、合流地点までは往路と同じである。
では、
《1 合流地点》(平成19年5月8日撮影)
に着いたので、この分岐から報告する。
道沿いには
《2 コブシ》(平成19年5月8日撮影)
《3 タムシバ》(平成19年5月8日撮影)
《4 カタクリ》(平成19年5月8日撮影)
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今回は「経埋ムベキ山」の一つ八方山について報告したい。
この山は太田の高村山荘にも近い。もちろん、高村とは彫刻家高村光太郎のことである。光太郎は宮澤賢治との縁で晩年の7年間(1945-1952年)花巻の太田村に疎開し、そこで自給自足の生活をした。そのときの住まいとした粗末な小屋が高村山荘というわけである。ただし、この小屋は現在は二重の套屋で囲われている。
なお、下根子桜の「雨ニモマケズ」の . . . 本文を読む
残念ながら、大森山は未だ特定できていない。したがって登ってもいない。
小倉 豊文氏は『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉 豊文著、東京創元社)で次のように述べている。
「大森山」、花巻市内でも同名の山が二つある。(a)豊沢川の中流の鉛温泉東方にある標高五四三.六メートルの山、(b)その七~八キロ下流に西方から豊沢川に合流する三ツ沢川の約四キロ上流右岸にある四二〇メートルの山。この「大森山」な . . . 本文を読む
「経埋ムベキ山」堂ヶ沢山の報告をする。
堂ヶ沢山は花巻温泉の北側にある直ぐ近くの山である。2万5千分の一の地図には登山ルートもはっきり書いてある、安心して出掛けたのだが・・・
《1 堂ヶ沢山の全景》(平成20年10月30日撮影)
中央の一番高いところがその頂上である。
また、写真の左手に見える道路はサイクリングロードであるが、この道路はかつての花巻電鉄(花巻温泉線)の鉄路跡地である。因み . . . 本文を読む
今回は「経埋ムベキ山」江釣子森山について報告する
”江釣子”とあるが北上市のあの江釣子にあるのではなく、花巻市の郊外にある山である。ただし、地元の人に聞いてもあまり知られていないと思うから、場所を知りたいのならば却って近くにある『観音山の円万寺はどこですか』と訪ねた方が早いかも知れない。
《1 花巻南IC付近からの江釣子森山と草井山》(平成20年4月26日撮影)
写真の左が江釣子森山、右 . . . 本文を読む
今回は「経埋ムベキ山」駒形山を報告する。
県道14号線を南下して、『西行桜の森』に向かう。
《1 駒形山全景》(平成20年5月30日撮影)
目を凝らすと頂上付近に”大”の文字がうっすらと見てとれると思う。束稲山は京都の東山になぞらえられていると云う(というわけで、平泉の人達は国土地理院発行の地図に書いてある束稲山を束稲山と思っているわけではなさそうだと云うことがこのことからも解る)。東山 . . . 本文を読む
今回は「経埋ムベキ山」としての束稲山について報告する。
まずは、国土地理院発行の地図に書いてある束稲山を訪れた。なぜ”まずは”かと云うと、賢治の「経埋ムベキ山」としての束稲山がどちらなのか決めかねているからである。
つまり、賢治の「雨ニモマケズ手帳」に記した束稲山とは『この束稲山』なのかそれとも『経塚山(束稲山)』なのか迷っているのである。
素直に受け取れば前者の山でいいと思うのだが、賢 . . . 本文を読む
「経埋ムベキ山」の一つ仙人峠について報告する。
賢治の『イギリス海岸』の出だし
夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処がありました。
それは本とうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上川の西岸でした。東の仙人峠から、遠野を通り土沢を過ぎ、北上山地を横截って来る冷たい猿ヶ石川の、北上 . . . 本文を読む
”六角牛山(その1)”の続きである。
宮澤賢治は六角牛山に関してはどのような作品を残しているのだろうか。『宮沢賢治の山旅』(奥田 博著、東京新聞出版局)によれば賢治の作品に六角牛山は、ほとんど登場しない。おそらく一回だけ、次の文語詩
そこは盆地のへりにして
稲田はせばく水清く
藻を装へる馬ひきて
ひとびと木炭ととのうる
東仙人六角牛の
洞に水湧き雲湧けば . . . 本文を読む
では今回からは「経埋ムベキ山」六角牛山(ろっこうしさん)の報告をする。
《1 六角牛山》(平成20年6月7日撮影)
遠野の市街から国道283号線を釜石方面に向かうと、青笹駅を過ぎて間もなく進行方向左手に
《2 六角牛山登山入口案内》(平成20年6月7日撮影)
があるから、ここからは中沢川に沿って六神石(ろっこうし)神社方向に向かう。
《3 熊に注意の看板》(平成20年6月7日撮影)
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”(12) 姫神山(その1)”の続きである。
賢治と姫神山の関係だが、『今日の賢治先生』(佐藤 司著、永代印刷)によれば、賢治が高等農林2年生(20歳)の4月2日に、同級生で山梨県に帰省中の保阪嘉内あてに葉書を出していて、その文面は
旅からの御便りありがたうございます 新らしい学期になりました 岩手県の山も茶色に静にけぶつてゐます 学校へ出たら又愉快に霧山岳だの姫神山だのへ行かうではあり . . . 本文を読む
「経埋ムベキ山」の姫神山について報告する。
姫神山は、古くから、岩手山そして早池峰山と共に山岳信仰の霊山として崇拝されてきた。そして、これらの山々の間には”岩手山、姫神山、早池峰山の三山が同時に姿を現すことはめったにない”という三山伝説がある。
かつて岩手山は姫神山を妻にしていたのだが次第に疎ましくなり、代わって美しい早池峰山に惹かれるようになっていった。そこで、岩手山は家来の送仙(おくり . . . 本文を読む
”(11) 秋田駒ヶ岳(その4)”の続きである。
今度は
《1 男女岳》(平成20年8月5日撮影)
写真中央の道を一気に登る。道沿いには
《2 オヤマソバとミヤマトウキ》(平成20年8月5日撮影)
《3 ミヤマリンドウ》(平成20年8月5日撮影)
《3 ミヤマダイモンジソウ》(平成20年8月5日撮影)
《4 振り返って見た阿弥陀池と阿弥陀池小屋》(平成20年8月5日撮影)
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