賢治の詩『地主』の中に”みみずく森および六角山”という2つの未詳の山が登場している。
因みにその詩は
水もごろごろ鳴れば
鳥が幾むれも幾むれも
まばゆい東の雲やけむりにうかんで
小松の野はらを過ぎるとき
ひとは瑪瑙のやうに
酒にうるんだ赤い眼をして
がまのはむばきをはき
古いスナイドルを斜めにしょって
胸高く腕を組み
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以前、”(8)権現堂山”の中で『”スノードンの峯”は早池峰山のことであろうということが推測できる』と述べた。
賢治の〔ちぢれてすがすがしい雲の朝〕という詩の中に”スノードンの峯”という山の名が出てきて、その詩の情景から推理してスノードンの峯は早池峰山なはずだと思っていた。
ところが、『宮沢賢治全集 三巻』(筑摩書房)の中に『一〇三九番』という次のような詩
午前の仕事のなかばを充た . . . 本文を読む
今回は『寅吉山(とらきちやま)』とは『岩手山』のことではなかろうかということを考えてみたい。
『春と修羅 第二集』の中に『四〇八 〔寅吉山の北のなだらで〕』という詩がある。そこで気になったのは『寅吉山』のことである。
まずは、〔寅吉山の北のなだらで〕(1925,1,25) を見てみよう。
寅吉山の北のなだらで
雪がまばゆいタングステンの盤になり
山稜の樹の昇羃列が . . . 本文を読む
”羅須地人協会について(その5)”の続きである。
花巻農業高校に行くなら花巻空港を目指して行くとよい。それはその空港の隣りにあるからである。
《1 花巻農業高校》(平成20年12月12日撮影)
羅須地人協会の復元建物(賢治先生の家)の中に入ってみたい方は、この校舎の正面玄関から入って事務室へ行き、その旨を伝えるとよい。鍵を貸してくださるから、あとは自分で解錠して自由に見学できる。
《2 . . . 本文を読む
”羅須地人協会について(その4)”の続きである。
では今回は『賢治自耕の地(下ノ畑)』へ行ってみよう。
賢治詩碑の広場からの
《1 北上川方向の眺め》(平成20年9月11日撮影)
《2 〃のズームアップ》(平成20年9月11日撮影)
中央やや左寄りの白い標柱のあるところが『下ノ畑』である。
なお、ここからは
《3 「経埋ムベキ」山(左より胡四王、旧天山)、観音山)》(平成20年4月2 . . . 本文を読む
”羅須地人協会について(その3)”の続きである。
残念なことに、下根子桜の賢治詩碑のある場所にいま宮澤家別宅(羅須地人協会の建物)はない。
この賢治詩碑の
《1 前の広場》(平成20年12月15日撮影)
のどこにそのようにその建物は建っていたのだろうか。手掛かりは、名残の井戸と手水鉢が残っているだけのようだ。
《2 賢治が使用したつるべ井戸》(平成20年11月23日撮影)
なお、
《 . . . 本文を読む
”羅須地人協会について(その2)”の続きである。
では、今回は賢治詩碑を見てみよう。
《1 桜地人館の入り口は賢治詩碑の入り口でもある》(平成20年12月11日撮影)
春先ならこの”賢治詩碑”の標識のあるところは
《2 キクザキイチリンソウの花叢》(平成20年4月20日撮影)
となる。
《3 賢治詩碑入り口》(平成20年11月23日撮影)
たなびく煙がなかなかいい。
《4 〃の近 . . . 本文を読む
”羅須地人協会について(その1)”の続きである。
今回は、賢治詩碑の近くにありながらあまり知られていないようなので『桜地人館』も報告する。
さて、”明神様の湧水”から『新奥の細道』を辿って賢治詩碑へ行くことも出来るが判りにくいと思うので、
《1『手づくり観光マップ』》(『桜地人館』からもらったものから抜粋)
の左中央ににある『同心屋敷』をまず目指すのも一つ方法であろう。
《2 同心屋敷 . . . 本文を読む
過日、岩田しげ(宮澤賢治の一番下の妹)さんの「思い出の記」を読んでいたらその中に
その年(大正11年のこと)の七月頃だったっと思いますが、病氣の姉をいまの碑の建っているところの家へ移すことになりました。母が姉の看病疲れで弱っているので、若い看護婦さんと付き添いのおきよさんと私が泊まることになりました。私は食欲のない姉の食事拵らえが役目でしたが、夜は農學校から帰った兄が泊まることになりました。そ . . . 本文を読む
今回は『森林軌道』は何処で詠まれたのかということを考えてみたい。
宮澤賢治の『春と修羅 第二集』の中に『四〇七 森林軌道』という詩があり、それは
岩手火山が巨きな氷霧の套をつけて
そのいたゞきを陰気な亜鉛の粉にうづめ
裾に岱赭の落葉松の方林を
林道白く連結すれば
そこから寒い負性の雪が
小松の黒い金米糖を
野原いちめん散点する
. . . 本文を読む
12月16日、「経埋ムベキ山」のいくつかを見て廻った。その山々は”山眠る”の状態にあるはずだが・・・。これからますます”しばれ”て来る季節だからぐっすり眠って欲しいものだ。
花巻神社付近から望む朝焼けの「経埋ムベキ山」についてまず報告する。
《1 早池峰の峰々》(平成20年12月16日撮影)
《2 早池峰山》(平成20年12月16日撮影)
モルゲンロートの方が早池峰山、その下の黒っぽいの . . . 本文を読む
”東北砕石工場(その1)”の続きである。
旧東北砕石工場の貯蔵サイロ内の
《1 ハッカー機?》(平成20年12月4日撮影)
この機械で製品のタンカルを袋詰めして、前回報告したトロッコで陸中松川駅まで運んだのだろ。
《2 工具の展示》(平成20年12月4日撮影)
もあり、石灰石粉の製造図が書いてある。
《3 東北砕石工場の説明板》(平成20年12月4日撮影)
《4 東北砕石工場》(平成2 . . . 本文を読む
宮澤賢治の年譜(『校本 宮澤賢治全集 第十四巻』)を見ていたら昭和6年についてはかなり詳細に書かれていることを知った。
つい、昭和6年といえば賢治が『雨ニモマケズ』を手帳に書いた年で、病に伏していた年だとばかり思っていた。ところが、その年の年譜を見ていると東北砕石工場関係の記載が多く、賢治は病躯をおしてわざわざその工場のある東山町の陸中松川まで幾度か出掛けている。
賢治がこの東北砕石工場長 . . . 本文を読む
”イギリス海岸(その2)”の続きである。
いまどこにいるかというと
《1 現在地》(『イギリス海岸 案内図』より)
赤丸の所にいる。この赤丸の場所から上の案内図でいえば真上方向に真っ直ぐ進むと道の左手に
《2 赤煉瓦の塀》(平成20年12月10日撮影)
がある。この写真の右端の電信柱のところで左奥を見ると
《3 赤煉瓦の塀》(平成20年12月10日撮影)
が続く。
ところで、賢治に『 . . . 本文を読む
”イギリス海岸(その1)”の続きである。
《1 イギリス海岸》(平成20年9月19日撮影)
《2 瀬川との合流地点を望む》(平成20年10月21日撮影)
川面に横に白い境目が見えるが、そこが瀬川との合流地点である。
そこへ向かおうと思ったのだが
《3 イギリス海岸の泥岩層》(平成20年10月21日撮影)
が少し見えるので観察してみよう。
《4 泥岩層に埋まっている木片?》(平成20年1 . . . 本文を読む