《創られた賢治から愛すべき賢治に》 では、ここまで述べてきたこのシリーズをまとめ、現時点での結論を述べてそろそろその終わりにしたい。
「演習」と「陸軍特別大演習」
(1) 以前から私は、賢治の澤里武治宛昭和3年9月23日付書簡「243」の中の
演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。
が気になっていた。この「演習」とはなんぞやと。
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《創られた賢治から愛すべき賢治に》境忠一氏の場合
さてでは、宮澤賢治の研究書として定評があると聞く境忠一氏の『評伝 宮澤賢治』には、この「賢治昭和3年の病気」についてはどのように論じられているのだろうか見てみたい。
六月十二日から伊豆大島の伊藤七雄、ちゑ兄妹を訪ね、「三原三部」を書いた。十五日、東京に帰り、二十四日帰花した。滞京中、歌舞伎座を見ている。花巻に帰ったのち…(略)…各村をまわって稲 . . . 本文を読む