宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

相馬正一と森荘已池

2015年12月27日 | 賢治の受容
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
 その名前は今回投稿の上掲写真、私が持っている森荘已池著『宮沢賢治の肖像』(津軽書房)の見返しにあった。
 恥ずかしながら、私は相馬正一という方も、そして相馬は太宰治研究の第一人者であることも全く知らなかった。ただし、一度どこかでその名前を見た記憶があった。それを、やっと思い出したのだった。早速その『宮沢賢治の肖像』を本棚から取り出して開くと、
【見返しの左側】

には蔵書印があり、「相馬蔵書」の角印が押してある。そして、
【見返しの右側】

の中にその名があった。さらに、そこには「森荘已池」の名前も書いてあった。私の記憶によれば、この独特の筆跡は森荘已池のものとそっくり(盛岡てがみ館に森荘已池の書簡の展示があり、その筆跡と)である。
 したがって、この本はかつては相馬正一が所有していたものであり、相馬は昭和52年11月16日に岩手医大の図書館を訪れ、そこで森荘已池に会っていたということになりそうだ。そして、その際にこの見返しに森荘已池はこれらは四項目を書いたということになるのだろう。
 そうか、太宰治研究の第一人者の相馬は、賢治の詩などに関してもこの時森荘已池と対等に渡り合っていたであろうということ、相馬はその際にこの森荘已池署名入り、メモ入りの『宮沢賢治の肖像』を贈られたのだろう、と私は推理してみた。
 なお、同書の中には、次のように

いくつかの頁に鉛筆で加除訂正があったから、こちらは相馬が書いたものであり、相馬は森荘已池の本をチェックしながら読んでいたということになりそうだ。

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