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《上鍋倉の秋のみのり》
私はかつて『本統の賢治と本当の露』という本を出版したことがある。ちなみに、同書で論じた主たることは、
? 「羅須地人協会時代」の賢治は「独居自炊」とは言い切れない。
? 大正15年12月2日の上京の定説の典拠自体が反例となっているし、その「典拠」に従えば、賢治は昭和2年11月に上京してチョロの猛勉強をしたがその無理が祟って病気になり、約3ヶ月後花巻に戻ったよなるし、私はその検証もできた。
? 賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」
? 多くの賢治研究者が、「昭和二年は非常な寒い氣候…ひどい凶作」と断定表現をしているが、大いなる誤認である。延いては、賢治は「サムサノナツハオロオロアルキ」をした訳でもない。
? 賢治の稲作指導法は当時の多くの貧しい農民(小作+自小作は農民全体の約6割)にはふさわしいものではなかったし、石灰岩末の多用も稲作にふさわしいものではなかった。? 賢治は、気候不順による稲作の不良を心痛し、風雨の中を徹宵東奔西走し、遂に風邪、やがて肋膜炎に罹り、昭和3年8月10日に帰宅して父母のもとに病臥す、というのが通説だ。
しかし、賢治が実家に帰ったのは体調が悪かったからということよりは、「陸軍特別大演習」を前にして行われた特高等の凄まじい「アカ狩り」から逃れることがその主な理由であり、賢治は重病であるということにして実家にて蟄居・謹慎していた、ということを私は実証出来た。
? 生前賢治が最も世話になった血縁以外の女性は高瀬露だ。にもかかわらず、露はとんでもない〈悪女〉にされているが、それは濡れ衣であり、冤罪とも言える。そして、そうなってしまった主たる原因は『校本宮澤賢治全集第十四巻』の杜撰さにある。つまり、人権が軽視されている。
? 大正15年12月2日の上京の定説の典拠自体が反例となっているし、その「典拠」に従えば、賢治は昭和2年11月に上京してチョロの猛勉強をしたがその無理が祟って病気になり、約3ヶ月後花巻に戻ったよなるし、私はその検証もできた。
? 賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」
? 多くの賢治研究者が、「昭和二年は非常な寒い氣候…ひどい凶作」と断定表現をしているが、大いなる誤認である。延いては、賢治は「サムサノナツハオロオロアルキ」をした訳でもない。
? 賢治の稲作指導法は当時の多くの貧しい農民(小作+自小作は農民全体の約6割)にはふさわしいものではなかったし、石灰岩末の多用も稲作にふさわしいものではなかった。? 賢治は、気候不順による稲作の不良を心痛し、風雨の中を徹宵東奔西走し、遂に風邪、やがて肋膜炎に罹り、昭和3年8月10日に帰宅して父母のもとに病臥す、というのが通説だ。
しかし、賢治が実家に帰ったのは体調が悪かったからということよりは、「陸軍特別大演習」を前にして行われた特高等の凄まじい「アカ狩り」から逃れることがその主な理由であり、賢治は重病であるということにして実家にて蟄居・謹慎していた、ということを私は実証出来た。
? 生前賢治が最も世話になった血縁以外の女性は高瀬露だ。にもかかわらず、露はとんでもない〈悪女〉にされているが、それは濡れ衣であり、冤罪とも言える。そして、そうなってしまった主たる原因は『校本宮澤賢治全集第十四巻』の杜撰さにある。つまり、人権が軽視されている。
の七項目で、いずれも巷間云われていることに関わる大問題についてだ。
すると、その理由はよくは判らないが、程なくして私(鈴木守)を個人攻撃するような文書をとある学会が当該学会員全員に送付した。
一方で、同書を私の弟がとある県立図書館に寄贈しようとしたところ拒否されたという。その理由は著者は非専門家だからということだった。
そこで私が思い知らされたことは、「賢治学界」とは摩訶不思議な世界だということだ。というのは、この学界においては、表現や研究の自由が重視されていないし、多様性が無視されているのではなかろうかと思ったからだ。
だから、先の7項目が賢治に関して特に不可思議だと思う事柄、つまり賢治学界における七不思議である。それは、「非専門家」の私でさえも容易に実証出来たのに、数多おられる才気煥発・博覧強記な宮澤賢治研究者の方々のそのような論考等を私は殆ど見つけられずにいるからである。そしてまた、非専門家の私がこんなことを主張するから、下掲のように、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと仰られるのだろうか。それとも、こう仰られるのは私の存在がじゃまだからだろうか……、もしかすると私の研究結果は案外正鵠を射ているからかな。
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《新刊案内》この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』
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を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。延いては、
小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、 『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。
そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。
そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。
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