過去世はどのように視えるのか、あくまでも私が思い出す瞬間について書いてみたいと思います。
(1)では子供のころから覚えている過去世
(2)ではいつの日からか心の中にビジョンとしてある過去世
について書きました。
今回は、ふと思い出す。その瞬間について少し触れてみたいな、と思います。
ある休日、私は編物をしていました。
時折窓の外の雲を眺めたり、UFOやフェイクプレーンが来ないかなと空に目をやります。
窓から心地よい風が吹き込んできたので、手元から顔を上げ、窓の方に視線を向けた瞬間、
ふっと「女学生」の意識と繋がりました。
その瞬間は、思い出したというより彼女の意識と繋がった、そんな感覚でした。
でも、自分だとわかるんです。
女学生について
日本の女学生ですね、着物を着ているように思います。
彼女は勉学に励んでいる、そんな印象でした。
机に向かって勉強をしている時、ふと窓の外から風が吹き込むのを感じ、
手を止めて窓の外を見やった。
窓枠は西洋風でしたから、それほど昔ではないと思います。
女性が学校に通うことができる時代、ですね。
その瞬間に現在の私と、ふっと意識が繋がったんです。
彼女の意識は清廉で凛としていて清涼感があって…
そのあまりの美しさに私はとても恥ずかしくなってしまいました。
彼女なら、この私を自分と認識できる精神性の高さを持っている。
彼女は私をなんと感じただろうか?とても恥ずかしい。
でも、それ以上にあんなに美しいエネルギーを持つ私が存在するんだと、感激しました。
今思い出しても美しい…
とはいえ、顔はわからないのです。
エネルギーがとても清廉で、少し近づきがたい印象かもしれません。
見えたビジョンは
「手元から窓を見上げた瞬間(自分目線)」
それだけななのにこれほどの情報量(エネルギー)がつまっているのです。
これはパラレルワールドの概念と一致していると感じます。
書き出すと長いですね、もう一つだけ。
つい最近視たビジョン。
職場から帰宅して部屋で立っている状態で何かしている時、でした。
洗濯物を片付けようかな?程度の行動だったと思います。
ふっと心の奥底から湧き上がってきたビジョンを捉えました。
ほんと、金魚すくいみたいなんです。キャッチする・顕在化する、のが難しくて…
こちらは日本ではないですが、外国なのか地球なのかも定かではありません。
長いソファーに私が腰かけています。
少し離れて同じソファーにパートナー(当時の夫だと思われます)が腰かけています。
向かいに友人が居て、
「退屈しないの?」みたいなことを聞かれました。
私は友人に向かって
「私は本を読んだり、自分の好きなことができるんだもの、案外いいものよ」
と答えたと思います。
なぜなら、少し放っておくとパートナーさんは瞑想状態に入ってしまうから、笑
傍から見ると一緒に居るのになんか寝てる…みたいに思えるのかもしれませんね。
でも、私は幸せだったと思いますし、本当に自分の時間を持てるところも良かったと思います。
(違う…我慢とすら自分で認識できないほどの封じ込めた気持ちがあったような気がする。)
この時見たビジョンは
「ソファーに腰掛ける男女の足元と向かいに座る女性」
これだけ。
そのほんの瞬間にこれも当時の生活の様子がぎゅっと凝縮して詰め込まれているんです。
この友人ですが、現在の姉です。何故かわかるんですよね、不思議と。
そして、このパートナーさんを今世この世で探している気がします。
これまで気づいていなかったけれど。
最後に「緑と白」という言葉、あるいはこれもビジョンなのか?
それが残りました。なんだろう?緑と白って…
これがね、思い出せないんです。なんだったんだろう?
頭で覚えている物ではないから、ふっと湧き上がった瞬間に掴み取らないと、もう思い出せない。
このふっと湧き上がる瞬間これは今日もありましたが、結局掴めず。
歯がゆいですね。とっても。
この1秒にも満たない1コマ。
これを並行現実、つまりパラレルワールドと私は認識しています。
過去も未来も、現在も無数に広がる意識の1コマ、あるいは魂の記憶の断片。
そのように感じるのです。
すべて今に在る、そのように精神世界では表現されることがありますね。
エネルギーの場には展開された世界がすでにあって、
毎瞬毎瞬結晶化して今を現実として体験している。
そのように私も感じています。
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