微差を積み重ねること、始末をきちんとする事を目指します。悩まずに行動に移します。
毎日0.1%でも
氏神様参拝272
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今日書いてた記事が消えてしまったので、また新しく書きたいと思います。
最近は上手くいったと思ったら違うところから違う反応が出てきて、やや疲れています。
ほとんど他人に相談しないのが原因だと思います。
自分で考えて動けと言われてきたので、自分の頭で考えて動きますが、その度合いが強いと、上手くいっても独自性があるため違和感を感じられることがあるかもしれません。
私のたずさわっている分野は、若い当時は役に立たないし、論文にならないと言われていた分野なです。私自身も周り道して研究を始め、優秀ではなかったので、いわゆるアカデミックな世界で仕事が認められることは、あまり意識していませんでした。
いわゆる勉強が苦手で、若い頃は芸術家になりたかったので、ややエキセントリックなことが面白い、と考えるタイプでした。
でも今の仕事を始めて、いわゆるきちんとした方に沢山出会ってご指導いただくうちにだいぶ良い影響を受けて、言葉できちんと考えたりすることができるようになりました。
それまでは言語や事象をイメージ化して空間的に物事を考えることやプログラミングなどの論理的な考え方は得意だったので、そこでなんとかお客様や会社のお役に立てるように必死で努力してきました。今考えると乱暴な努力ですが。
それで同僚に相談したり、他者への説明資料を作ったり、海外の文献を読んだりして研究を進めてきました。
それでそれなりに力がついてきたのと同時に、世の中の流れが変わってきたことにより、急に目立つことが増えてきて、過去の態度との違いに驚かれることが多くなっているように感じています。
その他に、私の性格がちょっと緊張しがちです。
私の家系は結構強気な方が多く、そういう空気感があると私は構えてしまい緊張しがちです。それで普段はちょっとおどおどしているところもあります。
一方では理詰めに強いところがあって、研究や仕事だと最後まで詰め切るところがあります。
研究では正しいことをしなければいけないという気持ちが出てくるからです。
加えて同僚も、常に「情報は間違わないようにしないといけない」が口癖なので、その影響も受けています。
芸術の「自由に新しいことをやる」という性質と研究の「間違わないでやらないと」というのが掛け算になって、「新しい×間違いのない」という重みがかかっていので、そこをある意味剛腕に分析をするので、ある種のタイプの方にはびっくりされるのかもしれません。
オーソドックスなことが嫌いというわけではなく、これまでの環境からそのような思考法になってきただけです。
それに加えて精神的には、神道や仏教で生活の改善を試みているので、正直であることや二枚舌への戒めがあるため、誤解を受けることのないように口を慎む気持ちが働いています。やや妄想癖があることを踏まえてです。
これもともすると取っ付きにくさ、コミュニケーションのし難さに繋がるかもしれません。
もっと、マルっと受け入れていただけるように精進したいですね。いい大人ですから〜。
それでは、皆さまのご開運を謹んでお祈りいたします。
今日もありがとうございます😊🙇♀️
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