2010年11月4日のこと
1人暮らしの63歳の女性が、午前1時ごろ寝る前にトイレに入った。
トイレのドアを閉めた。ガチャン! しばらくしてパターーン! ・・・?
驚いてドアを開けようとしたが、びくともしない。
ドンドンとドアをたたき、大声で何度も叫んだが反応はない。
11階建てマンションの8階。「助けてーーー! 誰か助けてーーー!」
誰も来てくれない。窓も時計もない。
どれだけ時間がたったのか。便座に座り、夜が明けるのを待った。
天井の換気扇から聞こえる建設工事の音で時間がわかった。
朝8時に始まり、夕方6時に終わる。
換気扇に向かって助けを求めたが聞こえない。
呼べども、叫べども誰も気づいてくれない。
11月のことでさすがに夜は寒くなる。着ていたのは寝間着1枚。
トイレットペーパーを手にも足にも巻いて寒さをしのいだ。
顔にも巻いた、まるでミイラだ。
暖房便座で体を温めた。体をくの字に曲げ、横になって眠った。
「きっと誰かが叫び声を聞いて助けてくれる」と最初の内はそう思っていた。
口にできるのは手洗い用の水だけ。
何日か経った。「餓死するのか」日増しに不安が強まる。
マンションの管理人は非常勤で、8階に来ることはまずない。
泣きたくても、涙すら出なかった。
死を覚悟した。その時母を思い出した。
一緒に暮らしていた97歳の母は肺炎で10月から入院していた。
入院後 毎日毎日見舞いに行き、夕方になれば
「また、明日来るわな」と帰って来る。
それがピタッと行けなくなった。母もキット心配してくれているだろう。
頼みの綱はお母さんだけだ。
「お母さーーん!私はここにいますよ!生きていますよ!」
一方母親は、3日までは毎日来てくれていたのに? 4日から全く姿を見せない。
来なくなってから2日目、何かあったのだろう。忙しいんだろうか?
3日目になった。だんだん不安になってきた。どうして来てくれないのか。
何故か。色々考えた。人間は考えると悪い状況しか考えない。
悪い方へ悪い方へと考える。
手の届く範囲は、良い方に考えるが、手が届かなくなると悪い方に考える。
とうとう私も見捨てられたのか? そんなことはない。あの娘に限って。
来たくても来れない事情が。事故に遭ったのか。何とかしなければ。
看護婦さんを捉まえて「すまんねけど ここに電話して欲しいね」
「毎日娘が来ていたのにプッツリ来なくなった。電話して欲しい」
看護婦さんが電話しても誰も出ない。そのように母親に報告すると、また、
違う看護婦さんに「電話して」と頼み込む。
娘はトイレの中で電話の呼び出し音を聞いていた。
4日目誰かなしに頼んだ。
「すまんけど電話して!」「通じなかったら警察に電話して!」
「警察にここへ行ってと言って!誰も出てこなかったら、
扉を破って中に入ってください!と言って」
「取り返しのつかないことになったら私が困る」
警察が到着。ピンポーン!返事がない。
母親が言っていたように、扉を破って中に入った。
電気コタツの包装段ボール箱がトイレのドアと壁の間に、
ぴったり はまっていた。
トイレのドアの向かい側の壁に立てかけてあったのが床に倒れて
ドアが開かなくなった。
トイレの中に娘さんが横たわっていた。午後4時ごろ、無事に救出された。
閉じ込められて8日後、ようやく助けられた。
「お母さんが心配されていますが、お母さんのところに行きますか?」
「それとも先に病院で診てもらいましょうか?」
ふらふらしながらお母さんの所へ
「よかった、よかった。あんたも疲れたやろ」と母親。
それまでは必死の形相であった。娘の無事を確かめた。
それから2時間後。午後6時。母親は亡くなった。
娘の張り裂けるばかりの思いはいかばかりか!
自分の命を縮めてまでも、娘を助けようとした。
これこそ母の親心である。母の慈悲である。
娘が「助けてください」と言った時、母の心は 娘のすぐ側にきていた。
1人暮らしの63歳の女性が、午前1時ごろ寝る前にトイレに入った。
トイレのドアを閉めた。ガチャン! しばらくしてパターーン! ・・・?
驚いてドアを開けようとしたが、びくともしない。
ドンドンとドアをたたき、大声で何度も叫んだが反応はない。
11階建てマンションの8階。「助けてーーー! 誰か助けてーーー!」
誰も来てくれない。窓も時計もない。
どれだけ時間がたったのか。便座に座り、夜が明けるのを待った。
天井の換気扇から聞こえる建設工事の音で時間がわかった。
朝8時に始まり、夕方6時に終わる。
換気扇に向かって助けを求めたが聞こえない。
呼べども、叫べども誰も気づいてくれない。
11月のことでさすがに夜は寒くなる。着ていたのは寝間着1枚。
トイレットペーパーを手にも足にも巻いて寒さをしのいだ。
顔にも巻いた、まるでミイラだ。
暖房便座で体を温めた。体をくの字に曲げ、横になって眠った。
「きっと誰かが叫び声を聞いて助けてくれる」と最初の内はそう思っていた。
口にできるのは手洗い用の水だけ。
何日か経った。「餓死するのか」日増しに不安が強まる。
マンションの管理人は非常勤で、8階に来ることはまずない。
泣きたくても、涙すら出なかった。
死を覚悟した。その時母を思い出した。
一緒に暮らしていた97歳の母は肺炎で10月から入院していた。
入院後 毎日毎日見舞いに行き、夕方になれば
「また、明日来るわな」と帰って来る。
それがピタッと行けなくなった。母もキット心配してくれているだろう。
頼みの綱はお母さんだけだ。
「お母さーーん!私はここにいますよ!生きていますよ!」
一方母親は、3日までは毎日来てくれていたのに? 4日から全く姿を見せない。
来なくなってから2日目、何かあったのだろう。忙しいんだろうか?
3日目になった。だんだん不安になってきた。どうして来てくれないのか。
何故か。色々考えた。人間は考えると悪い状況しか考えない。
悪い方へ悪い方へと考える。
手の届く範囲は、良い方に考えるが、手が届かなくなると悪い方に考える。
とうとう私も見捨てられたのか? そんなことはない。あの娘に限って。
来たくても来れない事情が。事故に遭ったのか。何とかしなければ。
看護婦さんを捉まえて「すまんねけど ここに電話して欲しいね」
「毎日娘が来ていたのにプッツリ来なくなった。電話して欲しい」
看護婦さんが電話しても誰も出ない。そのように母親に報告すると、また、
違う看護婦さんに「電話して」と頼み込む。
娘はトイレの中で電話の呼び出し音を聞いていた。
4日目誰かなしに頼んだ。
「すまんけど電話して!」「通じなかったら警察に電話して!」
「警察にここへ行ってと言って!誰も出てこなかったら、
扉を破って中に入ってください!と言って」
「取り返しのつかないことになったら私が困る」
警察が到着。ピンポーン!返事がない。
母親が言っていたように、扉を破って中に入った。
電気コタツの包装段ボール箱がトイレのドアと壁の間に、
ぴったり はまっていた。
トイレのドアの向かい側の壁に立てかけてあったのが床に倒れて
ドアが開かなくなった。
トイレの中に娘さんが横たわっていた。午後4時ごろ、無事に救出された。
閉じ込められて8日後、ようやく助けられた。
「お母さんが心配されていますが、お母さんのところに行きますか?」
「それとも先に病院で診てもらいましょうか?」
ふらふらしながらお母さんの所へ
「よかった、よかった。あんたも疲れたやろ」と母親。
それまでは必死の形相であった。娘の無事を確かめた。
それから2時間後。午後6時。母親は亡くなった。
娘の張り裂けるばかりの思いはいかばかりか!
自分の命を縮めてまでも、娘を助けようとした。
これこそ母の親心である。母の慈悲である。
娘が「助けてください」と言った時、母の心は 娘のすぐ側にきていた。