+ HitoriGotO +

何気ない日常を独り言の様につらつらと…
たま~に京都弁も飛び出す『 HitoriGotO 』♪

風邪っぴき;

2006年12月17日 | ブログ
ずぅ~っと手洗い・うがいをしつつ、何とか騙し騙しきていた風邪っぴきが、本格的にきつくなったのが、先週木曜日…翌日は朝から両鼻が詰まって口で息をするしかなく、そのせいで喉の調子も悪くなる一方に;金曜日は急遽お休みを頂いたのもあり、この週末はとにかく睡眠を取り巻くっておりました。市販の風邪薬も効いたのか、かなり症状がマシになりましたが、まだまだ鼻声状態…;
明日からはますます忙しくなりそうなので、根性で風邪をぶっ飛ばして頑張ろうと思いますvV

涙香~名前の由来~

2006年12月13日 | ブログ
“涙香”と聞いて、ピンっときた人はゴスペラーズファンですねぇ?(笑) 
そう…この“るいか”は、てっちゃんがゴスを離れて“DJ:村上涙香”として活躍する時に名乗ってる名前なのですが、どう見ても女性の名前…私はてっきり、“どうしても忘れられない女性が居て、その人の名前(の一部)を使ってるのかな?”なんて考えてたのです(笑)が!!!いくら、キレイなお姉ちゃんが好きだと豪語するてっちゃんでも、この名前はきちんと理由があっての事だったのです!!てっちゃん、ごめんよぉ~;(´∀`;)

“涙香”の名前の由来は、明治時代に翻訳家・ジャーナリスト・作家として活躍した、黒岩涙香(くろいわるいこう)から頂いたとの事。(注:読み方だけ“るいか”に変えたそうです)
ついでに、少し歴史のお勉強してみましょうかvV(笑)

黒岩涙香(くろいわるいこう):1862年高知県に生まれる。本名は黒岩周六。涙香の他に、香骨居士、涙香小史などの筆名を用いた。16歳の時に大阪英語学校に入学。後に上京し、成立学舎、慶應義塾に進学し、独自に勉強をし英語力を身につけたそうです。
1892年に創刊した「萬朝報(よろずちょうほう)」の編集者として活躍する一方で、タブロイド判の日刊新聞に『鉄仮面』(F・D・ボアゴベイの『サン・マール氏の二羽のつぐみ』の翻案小説)や、『巌窟王』(フランス大衆小説作家アレクサンドル・デュマ・ペールの『モンテ・クリスト伯』の翻案小説)を掲載。その際、逐語訳はせず、原書を読んで筋を理解した上で1から文章を創作したそうです。
また、かるた・囲碁・相撲・野球・洋楽と趣味の幅も広く、明治37年には、かるた競技のルールを統一した事でも知られています。1920年10月6日に58歳で他界した涙香の足跡は、高知県立文学館の“涙香コーナー”で触れる事が出来ます。

あまりピンとこない方も、ミュージカルで有名な『あゝ無情(レ・ミゼラブル)』はご存じでしょうか?これも、涙香が翻訳をした作品なのですよ♪

またもや…その2

2006年12月04日 | ブログ
仕事帰りに立ち寄った100均で、いつもはあまり見ない食器コーナーを見ていた私の目に飛び込んできたのは、透明なガラスコップに、水色で描かれた世界地図……勘の良い方は、もう気付かれたと思いますが…はい、迷わず買ってしまいましたぁ~ヽ(`▽´)ノ(笑)どこまでも地図好きな私…色違いで5色位あったらいいのになぁ~vV

またもや…

2006年12月03日 | ブログ
ここ1~2週間、体調がイマイチだったので休みの日は家でのんびりとしていたのですが、今日は久し振りにふらりと近くの『ダイアモンドシティ』まで行ってきました。
クリスマスが近い事もあり、店内はどこを見てもクリスマスの飾りだらけで、小さな“抱っこちゃんサンタ”が目立ってましたvV(笑)何を買うでもなく、入ってる店舗を見て歩いてたのですが、本屋さんに入った私の目に飛び込んで来たのは『旅本~週末、カバンひとつのお手軽旅行~』と言う雑誌♪ぱらぱらと見ると、写真もたくさんで読み応えがありそう♪で…しっかり買ってしまいましたvV(笑)その後、CD屋さんで3枚のCDを目の前に迷いに迷って、一青窈さんのアルバム『BESTYO』を購入♪今から、CD聴きつつ、『旅本』を読もうかと思ってますvV

いじめ問題

2006年12月02日 | ブログ
連日の様にメディアで騒がれてるいじめ問題…子供だけじゃなく、大人の世界でも根強くあるんですよね;
色んな意味で強くなった私を知ってる人に言うと、必ず口を揃えて「またまた~!!(笑)」と笑い飛ばすのですが…小学校の時、いじめられっ子だったのです。もうかなぁ~~り昔の事なので、いじめられてた記憶はしっかりあるのに、それに関連する事はかなりあやふやな記憶なのですが…。

小学1~2年の時、同じクラスに「ジャイアンとスネ夫」みたいな2人の男の子がいました。その2人のいじめる標的が私だったのです。“バイキンマン”って呼ばれ、黒板消しで頭をはたかれて真っ白になったり、給食のおかずにマーガリンの袋を混ぜられたり、叩かれたり蹴られたり…毎日の様にいじめられてたのです。その子達が遠ざかると、真っ白になった髪を拭いてくれたりする友達も、私がいじめられてる時は巻き添えを食いたくないとばかりに、遠巻きに見るばかり…。またいじめる側って要領いいから、先生の前ではいい子にしてるんですよ。私も何故か先生や親に、いじめられてる事を言えなかったんです。だから、いじめられるのを分かってても、学校を休む事はしませんでした。
いじめが無くなった時期がいつだったか覚えてないのですが…殴られそうになる私の前に、道子ちゃんが立ちふさがってその子達から守ってくれて…多分、この頃から無くなったのではないかなと思います。
仲良くした期間の記憶がすごく短く、ある日、突然居なくなった道子ちゃん…今はどこで何をしているかは分かりませんが、今の私がこんなにも強くなれた初めの一歩は、間違いなく彼女の存在だったと思います。

小学校の時の出来事から、今まで生きてきた中でも、色んな事がありました。有りもしない噂を流されたり、こそこそ陰口を叩かれたり…自分の意見に同意しないからって、いきなり180度態度を変えて、周りを巻き込んで嫌がらせをする人もいたから、ストレスは溜まるわ、精神的にもしんどくなるわ……でも、“辛いから死んだ方が楽かも…”と思った事はあっても、“死んでしまおう”と思った事は1度もありませんでした。
だって、死んでしまったらそこで終わりでしょ?いじめられた側が死んだって、いじめてる側は何にも思わない。時間の経過と共に、自分がいじめてた事すら忘れてしまうんですよ。人を傷つけて、苦しい想いをさせたモノがのほほんと幸せになって、自分は人生が終わってしまうなんて悔しいし、アホらしいじゃないですか。どんなに辛くても、どんなにしんどくても、絶対に笑える日が来る。生きていて良かったって、思える日が絶対にあるんです。同じ事に対しても、自分の気持ち1つで、プラスにもマイナスにも持っていけるんですよね。だから、「いじめる人や、人を傷つける事しか出来ない人は可哀相な人なんだ」って思う様にしてるんです。 

うまく言えないんですけど……いじめられる辛さは分かります。でも、絶対に助けてくれる人はいるから、自分からも周りにSOSを出して欲しい。その辛さから逃げる為に自ら命を絶たないで欲しいと思います。

ちなみに…「ジャイアンとスネ夫」とは、中2の時に2:1で言い争いをして黙らせちゃいましたvV(笑)
いわゆる不良グループに居た2人が相変わらず、弱い者いじめをしてるトコを見つけた時、一緒に居た友達がすぐ先生に話をしたんです。で、呼び出され怒られた2人が、休み時間に談笑する私達の所に来て、掴みかからん位の勢いで、「お前、チクったやろッ!!」と……気付いた時には、友達はさりげなく逃げてるし、周りも遠巻きに見てるし;逃げた友達にも腹が立った事もあり、「チクられる事してたのはあんたらやろ!!」と言い返しちゃったんですね~!!(笑)まぁ、この頃は強くなりつつあった私なんで、怖いとかは無かったのもあったのですが…2人は最後には言葉を詰まらせて帰って行きました~vV(笑)この事があってから、別の不良グループの子達から、よく声を掛けられる様になったのですが…私は至って普通の中学生だった事を追記しておきます!!(笑)