“涙香”と聞いて、ピンっときた人はゴスペラーズファンですねぇ?(笑)
そう…この“るいか”は、てっちゃんがゴスを離れて“DJ:村上涙香”として活躍する時に名乗ってる名前なのですが、どう見ても女性の名前…私はてっきり、“どうしても忘れられない女性が居て、その人の名前(の一部)を使ってるのかな?”なんて考えてたのです(笑)が!!!いくら、キレイなお姉ちゃんが好きだと豪語するてっちゃんでも、この名前はきちんと理由があっての事だったのです!!てっちゃん、ごめんよぉ~;(´∀`;)
“涙香”の名前の由来は、明治時代に翻訳家・ジャーナリスト・作家として活躍した、黒岩涙香(くろいわるいこう)から頂いたとの事。(注:読み方だけ“るいか”に変えたそうです)
ついでに、少し歴史のお勉強してみましょうかvV(笑)
黒岩涙香(くろいわるいこう):1862年高知県に生まれる。本名は黒岩周六。涙香の他に、香骨居士、涙香小史などの筆名を用いた。16歳の時に大阪英語学校に入学。後に上京し、成立学舎、慶應義塾に進学し、独自に勉強をし英語力を身につけたそうです。
1892年に創刊した「萬朝報(よろずちょうほう)」の編集者として活躍する一方で、タブロイド判の日刊新聞に『鉄仮面』(F・D・ボアゴベイの『サン・マール氏の二羽のつぐみ』の翻案小説)や、『巌窟王』(フランス大衆小説作家アレクサンドル・デュマ・ペールの『モンテ・クリスト伯』の翻案小説)を掲載。その際、逐語訳はせず、原書を読んで筋を理解した上で1から文章を創作したそうです。
また、かるた・囲碁・相撲・野球・洋楽と趣味の幅も広く、明治37年には、かるた競技のルールを統一した事でも知られています。1920年10月6日に58歳で他界した涙香の足跡は、高知県立文学館の“涙香コーナー”で触れる事が出来ます。
あまりピンとこない方も、ミュージカルで有名な『あゝ無情(レ・ミゼラブル)』はご存じでしょうか?これも、涙香が翻訳をした作品なのですよ♪