Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

良かったなあ! 布施明

2025-02-05 06:00:00 | エッセイ

 

17歳でデビューして60年となったそうだ。だから77歳。

驚いた。その年にして、びっくりするほど声が会場いっぱいに響く。

しかも、2時間弱のコンサート中、しゃべりはわずか。

ほとんど歌いっ放しという状態で、その体力にも恐れ入った。

 

布施明のコンサートへ行ってきた。

久し振りのコンサート観賞、それもごひいき、今時は推しか、布施明だ。

何カ月も前にチケットを購入し、この日を待っていた。

福岡サンパレスホールは完売だったようだ。

客層はこちら同様、比較的高年齢層。それも夫婦連れが目立った。

 

デビュー曲の「君に涙とほほえみを」で始まり、

数曲後には軽快に「君は薔薇より美しい」だ。

その最後の部分『ああ、君は変わった』のすごいこと。

よく、あんなに声が伸びるものだ。

プロだからね、そういえばそうではあるが、いやいや恐れ入る。

 

      

 

コンサート中盤にはヒット曲がずらっと並んだ。

日本レコード大賞を取った「シクラメンのかほり」のほか、

「霧の摩周湖」「愛は不死鳥」など息つく暇もなく次々と歌い上げていった。

あの頃は若かったなあ。

これらがヒットしたかの日のことが思い浮かんでくる。

 

いよいよコンサートも終幕に近づいた。

すると、いきなり『慟哭』だ。

この曲はイタリアのLucio Dallaが作詞作曲した『Caruso』が原曲。

これをオペラ歌手などがカバーしており、布施明がどう歌ってくれるか

楽しみにしていた一曲だった。素晴らしい。期待にたがわなかった。

さらに今や布施明の持ち歌ではないかと思える『My Way』と続く。

拍手鳴りやまず。この82歳の爺さん、感極まり涙が1粒、2粒。

コンサートで涙なんて初めてのことだった。

 

4月の〝歌怪獣〟島津亜矢のコンサートのチケットもすでに買った。

聞きごたえのある歌手のコンサートに理屈はいらない。

良いなあ!

 

 

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ゴルフ亡国論

2025-01-30 06:00:00 | エッセイ

 

30歳前後だったから50年ほど前の話だ。

職場でゴルフはご法度だった。

役員でもあった職場の局長が、

「狭い国土の日本で、あれほど広い土地を占有し、

一部の裕福な人間が遊興にふけるなぞ言語道断。

君たちは決してゴルフはしてはならぬ」

そうゴルフ亡国論をのたまわった。

まるで戦時中でもあるかのように……。

直属の長である人からそう言われると、

「はい、分かりました」と言うしかない。

 

もっとも、当時の給料ではゴルフ道具を買うことも、

プレー代金もそう簡単には手が出なかったのだから、

従順なふりをしたまでだったのかも知れない。

 

     

 

後にその局長は営業セクションに転属。

すると、ゴルフは取引先との欠かせない交際術となり、

自ずとゴルフは解禁となった。

「あの方のゴルフ亡国論はその程度だったのか」

心中秘かに嘲ったりしたものだ。 

     

 

一方で職場麻雀はフリーだった。

もっとも、勤務時間中というわけでなく、

就業時間が終わると、片隅に置いていた麻雀卓を

そそくさと引っ張り出し、示し合わせていたメンツで囲む。

大きな声では言えないが、ごく自然に金銭が行き来した。

 

僕らはそんな世代だ。

ご法度だったゴルフは、今では当たり前の娯楽。

僕自身はやらないが、麻雀は相変わらずだ。

皆、とっくに定年退職しており、

たまに「おい、どうしている」と電話すると、

ジャラジャラ音を電話に入れながら

「ちょっと待て。今忙しい」と切る。

それか電話にはまったく出ない。

芝生の上でクラブを振っていれば、それは無理だろうな。

 

そう言えば、かつての職場の若い社員から

ゴルフの話はよく聞くが、

麻雀を誘い合う話はあまり聞かない。

時代は変わったなあ。

 

 

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ボウリング

2025-01-22 06:00:00 | エッセイ

 

何とも情けない。76点だと──ボウリングでこんな点数は初めてだ。

足はヨタヨタ、握るボールは投げるというより足元にドスンと落としてしまったようなもので、

ゴーロゴロと転がるばかり。ピンを弾き飛ばす勢いはない。

おまけに左右の溝に落ちていくし、なぜか端っこのピンばかりに向かっていく。

身の衰えを痛切に感じさせられた。

 

『健康ボウリング教室』に通い始めた。

日本プロボウリング協会が主催し、福岡県、同教育委員会、福岡市が後援するもので、

主に高齢者の健康増進・維持のためのものだ。

これまでもパークゴルフやダーツ競技など、妻やその友人と一緒に楽しんだのも

同じように「健康のため」だったが、今度も妻と友人を誘い合わせてのことだった。

週1回、合計6回プロの講師から指導を受けることになっている。

 

最初の回は、まずはボウリングの健康効果をはじめ、

用語・用品の説明、ボールの選び方、基本的な構え・助走・投げ方などを教わる。

それからレーンに出て実地指導だ。

レーンに立つのはいつ以来か。記憶を辿ってみると、

東京で勤務していた時以来だから50数年ぶりだ。結婚前のまだ26歳だった頃、

仕事を終えると何もすることがなく、ボウリング場通いが常だった。

この頃はボウリングブームの時代。

ミニスカート姿の中山律子や須田開代子らが華やかだった。

だから通うボウリング場も常に満員状態で、

順番が回ってくるまで併設のレストランで夕食を済ませたものだ。

 

そして、一人黙々3ゲーム、4ゲーム投げた。

スコアは常に200点前後はいっていたと思う。

ボールは12、あるいは13ポンドだった。

さて、健康教室ではどうか。12ポンドを持ってみたが、とんでもなく重い。

11ポンドもダメだ。10ポンドで何とかいけそうだと思った。

 

               

 

さあゲーム開始。右足からの4歩助走に合わせて腕を振ると習ったが、

それがどうも合わずヨタヨタと歩いているみたいになる。

おまけに10ポンドのボールが実際に投げてみるととんでもなく重く感じ、

足元にドスンと落としたようになってしまう。

これではボールに勢いがない。

せっかく真ん中あたりに転がっていってもピンを弾き飛ばせない。

それはまだしも、ボールは右へ左へと転がるばかりで、1ピン、あるいはガターという始末。

スペアを2回取り、「どうだ」と思ったものの次の1投目が決まって1ピンかガター。

これではスコアが伸びるはずがない。そして、10投目を投げ終わって76点だったのだ。

 

技術云々ではない。体力だ。5投目ぐらいでもう棄権しようかと思ったほど足腰がきつかった。

胸も息苦しい。ボールを後ろに振る力もない。

ゲーム終了後はへとへとというのが偽らざるところだ。

初回は1ゲームだけだったが、健康教室最終回の6回目は3ゲームやるのだという。

1ゲームでこのありさま、3ゲームやれるだろうか。

 

以前、児童公園の鉄棒で逆上がりをやり、

小学生の時から簡単にやれていたものが出来なくなり、

その衰えに衝撃を受けたが、それに続くものだった。

いやいや、それでも最後まで挑戦してみよう。心意気だけは失くすまい。

 

 

 

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父の洗濯物

2025-01-15 06:00:00 | エッセイ

 

『思春期の娘の下着・別洗い問題』とか言う。

思春期を迎えた娘が「お父さんのパンツと私の服を一緒に洗わないで」と言い出す。

父親にとっては何とも切なく、ほの悲しい話である。

僕にも2人の娘がいる。

おそらく、思春期にはそんな思いをしていたのではなかろうか。

いやいや、50歳を超えた今でも「父の下着なんか手にするのもいやだわ」

と思っているかもしれない。

 

肺炎で20日ほど入院した時のことである。

妻も風邪をこじらせ病院を訪ねることがままならない状態だった。

その時、妻の代わりをしてくれたのが次女だった。

病院にやって来た娘が「何か洗濯物ない?」と聞く。

途端に『下着・別洗い問題』が頭に浮かんだ。

「汗が染み、嫌な老人臭にまみれているであろう

パジャマや下着類を手にするのもいやなのではないか」ためらった。

「あるのなら出して」とさらに促す。

まあ、いいか。どうせ妻のところへ持ち帰ってくれるだけのことだろう。

そう思えば、多少気が楽になった。「頼む」おずおずと手渡したのである。

 

           

 

だが違った。

娘はやはり体調不良の母を慮ったのか自分の家で洗濯してくれたのだという。

あのじゃれていた幼き子が、今はもう50歳にもなった。

大学に通う22歳の一人娘を持つ母親である。

その娘が、父の洗濯物、それも夫以外の男の汚れた物を手にするのは

おそらく初めてであったろう。

それらを手にしつつ、老いた父に対しどんな思いを抱いたであろうか。

嫌な思いをしたのではなかろうか、そう思う半面、

何の抵抗もなくそそくさと洗濯してくれたのかもしれないとの思いも交錯し、

複雑な心の置きどころに戸惑ってしまう。

さらに、こうやって一つ一つ子の世話になっていく、

わが身の詮無き老いも深く沁みてくるのである。

 

「何か欲しい物ある?」「そうだな。おやつを少し……」

「どんな物がいい?」「まかせる」「わかった」

洗いたての下着類と一緒に、好物のレーズン菓子や

シュークリームなど5個を届けてくれた。

交わす言葉は少なくとも娘の笑顔は「まだまだ生きなきゃダメよ」

と言っているようだった。

あの幼い日のいとおしさが今また幾重にもなって蘇ってくる。

 

 

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そばにいてくれるだけで…

2025-01-11 06:00:00 | エッセイ

 

起き出そうとして、いや止めた。もう一度、腕を布団の中に入れた。

実に心地よい。「もう少し」「もうちょっと」

このほんわりとした温もりの中にいたい。

10分ほどして、また腕を出す。また止めた。腕は再び布団の中。

こんなことを何度か繰り返す。

予報では今朝は今冬一の冷え込みになると報じていた。

それを聞いていたから余計に布団の温もりから離れがたい。

結局、目が覚めてから30分ほども「もう少し」「もうちょっと」を繰り返してしまった。

 

男性が抱く理想の女性像は、「そばにいて癒してくれる人」なのだそうだ。

「2人でいると安心する。何だか落ち着く。そして心が晴れやかになる。

そのような人が、そばにいてくれるだけでいい」そんな存在なのだという。

うつら、うつらしていると頭の中を、「そばにいてくれる だけでいい」

「黙っていても いいんだよ」とフランク永井が歌っている。

 

随分古い歌を持ち出してしまったが、

「黙って、そばにいてくれるだけで」「黙っていても」

心地良くしてくれるものがもう一つある。湯たんぽだ。

これが「黙って、そばにいてくれるだけでいい」ということを初めて知った。

妻に勧められ使い始めたのだが、実に良い。

就寝30分ほど前に布団の中に入れておき、布団を温めておく。

そして寝る時は、左側のお尻のあたりに置くのだが、

最初はその部分だけが温かったものが、

次第にその温かさがぽわーッと全体へと広がっていく。

しばらくすると、体全体がぽかぽかの温かさに包まれる。

その温かさに知らぬ間に寝入ってしまうのだ。

 

             

 

今時は温まって寝ようと思ったら、

エアコンなど暖房機があるし、電気毛布だってある。

だが、この何とも柔らかい温もりは湯たんぽならではだ。

そんな寝心地の良さは今時の暖房機ではとても及ばないだろう。

だから、「もう少し」「もうちょっと」となってしまうのも無理はない、

勝手にそう思っている。

 

実は、この一文、寝床の中にいて頭の中で書いている。

あと30分、この温もりを貪り、覚悟を決めて起き出した後に文字にしよう。

そう心に決め、ようやく起き出した。

洗顔にこの湯たんぽの湯を使う。まだ温もりは残っている。

その湯がまた柔らかく、気持ちが良い。

そして今やっと身支度を整え、PCに向かい文字を打ち込み始めた。

 

 

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