小学生の頃 隣に住む高校生の兄さんは、すごく野球がうまかった。
僕にとり長嶋や王と同じほどのスーパースターだった。
軟式ではあったが、県代表として全国大会にも出場、
トロフィーだったか盾を持ち帰ったことを覚えている。
もちろん、キャッチボールの相手もしてもらったが、
僕の手はたちまち真っ赤になった。
兄さんがタオルを首に巻いてランニングをすると、
その後ろには、決まって同じ格好をした僕がいた。
それを見て、姉たちは大笑いしたものだ。
やがて兄さんは高校を卒業し、県外に就職。
僕の野球熱も急速に冷めていった。
中学生の頃 運動会では花形だった。
もともと足が速かったから100㍍走などの個人種目はもちろん
クラス対抗リレー、部活対抗リレーなどにも選ばれ、
いつも先頭を突っ走った。
器械体操部の模範演技では、華麗な技を披露した。
姉たち家族は、一番前に陣取り大声で声援を送り、
鼻高々の態であった。
だが、何事も図に乗っちゃいけない。
勢いをかって1000㍍走にも出場したのだが、
途中からどんどん遅れ、最後から何番目かでゴールした。
長距離走での哀れな姿であった。
高校生の頃 同学年にちょっと気になる女の子がいた。
同じクラスではなかったが、通学バスで時々一緒になった。
その彼女は、地元ラジオ局のパーソナリティーみたいな
ことをやっていて、番組でリスナーからリクエスト曲を求めていた。
彼女の気を引きたい一心で、ハガキを送った。
その曲は高英男の「雪の降る町を」だった。
高校生が何でこんな選曲を……。後になり我ながらあきれた。
もちろん、この曲がかかることはなかった。
しばらくして彼女は滋賀県へ転校していき、
あの番組を聞くこともなくなった。
大学生の頃 ある朝登校すると、学内いたるところに、
あの独特の文字のビラが貼ってあった。
「昨夜機動隊が学内に突入!」「大学の自治を蹂躙!」
この文字を見ただけで激しい渦に巻き込まれることになった。
なぜそんなことになったのか——そんなことはどうでもよかった。
ただ機動隊という権力に大学の自治が踏みにじられた。
その怒りだけに突き動かされた。
長期のストライキにも突入し、街頭デモでは機動隊の盾に
バシッとはさまれもしたが、へこたれることもなく
街中で気勢を挙げた。
だが、しばらくして学生会館の運営を巡り、
学生自治会と大学側が対立、
団体交渉中に大学側が機動隊へ救助を求めた結果が
ああなったのだということを知った。
そして、このままストを続ければ4年生は単位が取れず、
卒業が危うくなる。そんな話も流れ出した。
流れは急速に変わった。僕ら4年生が学生集会で
スト解除を求め、僅差で勝ったのである。
逆に2、3年生で固めていた自治会執行部の諸君は涙を流した。
僕らが卒業すると、ヘルメット、ゲバ棒、火炎瓶などが登場し、
学生運動は一気に激しくなっていった。
振り返ればさまざまな思い出がある。
82歳になり、これからどんな思い出づくりが出来るだろうか。
楽しい思い出があの頃のようにたくさん作れればよいのだが……。