Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

正義は我にあり

2024-06-27 06:00:00 | エッセイ

 

脳科学者・中野信子さんの著書に「シャーデンフロイデ」というのがある。

「シャーデンフロイデ」とは、あまり聞きなれない言葉である。

一体何なのか。興味を引かれてページをめくってみた。

要するに「他人を引きずり下した時に得られる快感」、

さらに言えば、正義を振りかざして人を叩くと得られる快感で、

攻撃すればするほど、ドーパミンによる快楽が得られるのだという。

 

         

 

何事にも意見を異にする人たちがいる。そして、互いを批判する。

民主国家であれば、当然のことだ。

だが最近、批判を通り越して誹謗中傷の類が多いように思う。

特にSNS上で、そんなことが横行しているようだ。

そういう人たちは、間違いなく「自分こそが正義」だと固く信じ、

自分の正義の基準にそぐわない人を、正義を壊す悪人として叩く。

攻撃して、相手が弱れば「してやったり」の快感を得るというわけだ。

 

中野さんはまた、新型コロナウイルスが急速に広がった2年ほど前に

「正義中毒」という本も出している。

あの頃、マスクをしていない人など感染防止に非協力的と見えた他人を激しく攻撃する、

あるいは感染者が出た家庭、飲食店に嫌がらせをする、

さらに県外ナンバーの車を威嚇するなどといったことが起きた。

そして、「正義」を振りがさしたそんな人たちは、

自らを「自粛警察」「正義警察」と呼んだものだ。

中野さんは、こうした正義に溺れてしまった中毒状態を

『正義中毒』と言ったのだ。

 

今、こうした『正義中毒』に陥った国が世界のあちこちにある。

その結果、多くの民が犠牲になり、その惨状が連日報じられている。

近くでは韓国を“くず”呼ばわりする北朝鮮。

汚物風船を韓国に向け多数飛ばすなど、関係が急速に悪化している。

北朝鮮にすれば、自らが正義であり、韓国の脱北者団体が

大型風船で金正恩批判のビラを撒いたのを許した韓国政府は悪、

そう決めつけてのことだというが、事はそう単純なことではあるまい。

 

        

 

最近は「シャーデンフロイデ」と同じような意味で、

「他人の不幸で今日も飯がうまい」─“メシウマ”と言うのがあるのだそうだ。

韓国をこれほど攻め立てている北朝鮮だが、

「今日も飯がうまいわい」─そう、ほくそ笑んでいるとはとても思えない。

 

 

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意地悪な血管

2024-06-22 06:00:00 | エッセイ

 

 

血管が細い。

「もう意地悪なんだから」採血あるいは点滴の針を手に、

看護師さんたちは決まって困った顔をする。

親指を中に腕をぎゅっと握り締めても、腕のあちこちをパンパンと叩いても、

血管が浮き出てこない。これでは針を刺すのが難しい。

とうとう「先輩、お願いできませんか」とギブアップする若い看護師さんもいる。

また、点滴の針をミスし「先輩、先輩」と大慌てした看護師さんもいた。

後に左の手の甲は見事に腫れ上がったものだ。

 

         

 

看護師さんたちの名誉のために言うが、もちろんそんな看護師さんばかりではない。

技術は言うまでもなく、不安感いっぱいの患者を優しく慰めるように

対してくれるベテラン看護師さんもいる。

2年前に肺炎で入院した際の看護師さんがそうだった。

 

抗生剤の点滴の際、その看護師さんはいつものように

「さてと、どこがいいかな」腕のあちこちを探った。

「血管が細いからね。すまんね」と詫びると、

「人それぞれですよ。でも、それをクリアするのがプロです」

頼もしい根性を見せながら、

「ちょっと右手をぐーっと握り締めてくれませんか」と続けた。

言われるまま、右手に力を入れると、「おおっ、すごい」

一瞬何に驚いたのか分からなかったが、

「前腕部の筋肉がむきっと盛り上がる。おまけに堅いですね」と言うのだ。

「ええっ」と今度はこちらが驚いてしまった。

 

「何か、スポーツされていたんですか」

「ああ、中学から大学まで10年ぐらい器械体操やってたよ」

「あのクルクル回るやつ?」

「そうそう、鉄棒や床運動ね」

「テレビで見ると選手は皆筋肉モリモリですよね。

それでなのか。ついでに腕をぐいと曲げてみせてください」

図に乗って右腕に力を入れ曲げると

「おー、見事な力こぶ。立派、立派」と言ってくれた。

実際は、悲しいほどげっそりと落ちてしまった筋肉を嘆く日々であったが、

この看護師さんは、しょぼくれた爺さんをおだてる術を心得ておられる。

気分が悪かろうはずはなく、勇気をもらったような気さえした。

「それでは、少しチカっとしますよ」言いながら、

右手首付近のわずかに浮き出た血管に針を刺した。

「うまい」と言えば、ニコリと笑顔を返してきた。

 

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はて 「エモい」とは

2024-06-19 06:00:00 | エッセイ

 

 

「エモい」と聞いて、思わず「えっ、エロい」と問い返しそうになる。

爺さんたちの発想は、ついそちらへ行く。

そんな意味合いではない。

「心に響く。感動的である」そのような意味だそうだ。

「emotion」(エモーション=感情)が語源となっているらしく

ここ数年、主に10~20歳代の若者が使うようになった、要するに若者言葉なのだ。

国語辞書「大辞林」にも収録されているから一般化していると言えるだろう。

 

この「エモい」という言葉を切り口に

ある大手新聞が「国語力が危ない」という

企画を上・中・下3回連載したことがあった。

その中で、「絶景を目の当たりにした時、昔の自分の写真を見た時──。

エモいは、感動や懐かしさ、切なさなど様々な感情を一言で表すことができる」

一方で、「何でもエモいで片付けられると、こちらは相手の考えをつかめない。

若者にとって本当に言いたいことが伝わらず、困る場面が増えるのではないか」

そう指摘していた。

 

   

 

「いつの時代も若者はつながりを求め

自分たちだけで伝わる形容詞を使って共感を高めてきた」

そんなことは今に始まったことではない。

もう、すっかり古くなってしまったが、「きしょい」「きもい」

「うざい」「ちゃらい」なども若者たちの間でよく使われた。

さらに古くは、石原裕次郎が映画の中で「イカす」と言ったら

たちまち若者たちの流行語となったのをご存じの方も多かろう。

時代は変われど……である。

 

ある会社の社長さんが、似たようなことを言っていた。

「今の若い人たちは固定電話を使ったことがない人が多い。

固定電話での相手はほとんどが顔見知りではない人だと思う。

知らない人だと自然に敬語を使い、会話の礼儀も覚えるのだが……。

ところが今は携帯電話ばかり。会話の相手は友人、知人、家族

といった気安い相手。それで馴れ馴れしい、要するにタメ口になってしまう。

社会ではそれは通用しない。会社の上司や取引先に対し同じタメ口で

話したのでは相手にされるはずがない。

実は、会社の人材教育おける大きな課題になっているのです」

 

会社の上司に「エモい」なんて言ったら、上司は仰天するかもしれない。

若い人同士では通用しても、社会では受け入れてもらえないのである。

 

先の連載企画で国立国語研究所の石黒圭教授は──

「人は言葉を頼りにして、物を考える。

自分の気持ちにふさわしい言葉、その場の文脈にあった言葉を

精度を高めて使う語彙力を持てば、より深く考え、伝えられる。

社会で生きていくために語彙の力は有効だ」こう言っていた。

この連載のサブタイトルは「『語彙力』の今」だった。

 

 

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恨みの川

2024-06-16 09:37:49 | エッセイ

 

今朝は薄曇り。8時過ぎ、陽射しはほとんどない。

それでも熱中症の心配を多少しつつ、水筒に冷たいお茶を入れ、

いつものように、近くの御笠川へウオーキングに出かけた。

風もほとんどないから川面に揺れはない。

時折、魚がパシャと跳ね波紋を作る。何とものどかな風情である。

 

だが、この川には恨みがある。

あれは今でもよく覚えているが、2003年7月19日のことだった。

御笠川は当家マンションから直線距離にして300㍍ほどの近くを流れている。

太宰府市にある宝満山を源流にし、太宰府から大野城市、

さらに福岡市へと辿って博多湾に注ぐ全長20㌔ほどの2級河川である。

その川が前日からの豪雨により明け方、不意を打つように氾濫したのだ。

堤防道路を越えた濁流がたちまち周辺一帯を水浸しにし、

マンション一階の当家もそれから逃れることが出来なかった。

 

 

床上10㌢ほどの浸水だったから、命を脅かされるほどではなかったが、

それでも床はもちろん床下まで泥が流れ込んでいた。

改修を頼んだ大工さんは、「壁もだめですな。乾かせばそのまま使える、

というわけにはいきませんよ。どんなに乾かしたつもりでも、

湿気は残り、やがて壁を傷めることになります」

となれば、全面改修せざるを得ない。

結局、改修工事に一カ月かかった。

また駐車場に止めていた車も車体の半分ほどが浸かり、

結局、廃車処分となってしまった。

 

全国的に梅雨入りが遅れているが、間もなく梅雨入りしそうだ。

雨の強弱にかかわらず、降ればトラウマのようにあの日の事を思い出す。

その後も全国で毎年のように豪雨による水害が起きている

水害被害は、当家の床上浸水をあざ笑うほどけた違いの大きさだが、

そんな季節が今年もやってくる。

御笠川に対しても国や市がその対策をいろいろと講じているから、

以前ほどの危険性は減っているかもしれない。

だが、絶対に気を許してはいけない。

自然の力は、しばしば人間の知恵をあざ笑い、牙をむくことがある。

 

 

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ああ青春

2024-06-12 06:00:00 | エッセイ

 

 

Mとは高校の3年間同じクラスだった。

彼は高校を卒業すると、すぐに就職し社会人になったせいか、

まだ大学の4年間を過ごさなければならない青二才のこちらに比べ、

〝大人度〟に随分と差がつき、ひどくませた奴に見えた。

 

大学2年の時、「春休みに遊びに来ないか」との手紙が届いた。

彼が就職した先は兵庫県の三宮。

長崎県から県外には一度も出たことがなかったから

「行く」の二つ返事だったのは言うまでもない。準急に飛び乗った。

ポケットには帰りの汽車賃ほどしかない。「俺に任せておけ」との言葉が頼りだった。

三ノ宮駅で迎えてくれた彼は、そのまま神戸市街、六甲山などを連れ回した。

つれづれ、どんな社会人生活を送っているか話してくれたが、

それは会社勤めをしている兄たちの話し方と変わりなく、

自分がひどく子供に思えたものだ。

 

    

 

社会人になってまだ2年ほどしかたっていないのだから、

それほど金があるはずはない。そこらあたりの定食屋で夕食を済ませた。

さて、寮に行ってゆっくり談笑するのかと思ったら違った。

「ちょっと、ここへ行くぞ」彼が指さしたのは、何とストリップ劇場だった。

彼は慣れた足取りで劇場へ向かうが、未体験のこちらはどうしていいものやら、

ためらってしまう。

だが、未成年という倫理観より好奇心がまさった。

彼の後ろから、おずおずと劇場へ入っていった。

 

後方の立ち見から見るステージは華やかで、ただただ驚くばかり。

すると、どこぞのお兄さんが寄ってきて、

「兄ちゃんたち、ちょっと顔かせや」とトイレに連れ込まれた。

「この写真、どや。5枚で300円にしとくわ」。

彼は物おじせず、「兄さん、もらっとくわ」いともあっさり、

その写真を内ポケットにしまい込んだ。

 

頬をほんのりさせながら劇場を出ると、またまた驚かす。

「さて、どこに泊まろうか」というのである。

「お前の寮じゃないのか」と聞けば、「寮は狭くて2人は寝れない」と言うのである。

結局、落ち着いたのは連れ込み宿だった。

「こんばんは」と戸を開ければ、応対に出てきたおばさんがきょとんとしている。

若い男2人連れとあれば、さもあらん。

案内された部屋には、ダブルベッドがでんと待ち構えていた。

「写真見るか」と言われ、どれどれと手に取ったものの、

何がどうなっているのか、さっぱり分からない。

それが分かるようになったのは、もう何年も後のことだ。

初めてベッドを共にした相手がMだったなんて……。

遠い遠い昔、まさに青春の1ページであった。

 

 

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