Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

悲しい酒

2024-03-31 06:00:00 | エッセイ

 

 

1960年代には、曲名に『悲しき』と付けたものが、やたら多い。

特に洋楽。『悲しき足音』(60年)『悲しき街角』『悲しき片思い』(61年)

『悲しき雨音』(62年)『悲しき願い』(64年)『悲しき鉄道員』(70年)……

挙げればきりがないほどたくさんある。

 

ビートルズが登場する直前の、主にアメリカンポップスがそうだった。

歌詞をつぶさに見れば、さまざまな悲しさがあるのは確かだが、

原曲のタイトルには『悲しき』などという言葉は見当たらないし、

おまけにメロディーは弾み、ポップでリズミカルなビートの曲がほとんどで、

とても悲しい情感など伝わってはこない。

どうやら、たまたま曲名に『悲しき』と付けたところ、ヒットしたものだから、

味をしめた音楽業界が商魂をたくましくして戦略化してしまったらしい。

何とも他愛のない話なのだ。

 

そんな理屈はともかく、青春真っ盛りということもあり、

ポップスをよく聞き、口ずさんだものだ。

このアメリカンポップスに取って代わったのがビートルズで、

彼らはたちまち全世界を席巻し、僕なぞへろへろにされてしまった。

 

     

 

そんなところへ『悲しき』ポップスを蹴散らし、

ビートルズさえ忘れさせた日本の歌が登場した。

美空ひばりの『悲しい酒』である。

66年だから、僕は大学を卒業し、ほやほやの社会人一年生の時である。

ジャンルもまるっきり違うし、細かくには『悲しき』と『悲しい』の違いもある。

だが、ポップスのそれが一種の、まさに流行なのに対し、

美空ひばりの、この歌は何とも言えぬ本物の悲しさを感じさせた。

「ひとり酒場で飲む酒は……」なんて涙ながら歌う情感が分かろうはずもない年ごろ。

なのに、駆け出しの若造の胸にさえ哀歓が突き刺さり、

「あー、俺は日本人なのだ」と思い知らされた。

ビートルズをしばし忘れさせるほどに、『悲しい酒』には泣かされた。ほとほと参った。

 

どんな巡り合わせなのか、美空ひばりの初のヒット曲は

何と『悲しき口笛』である。

初めて主演した同名映画の主題歌であり

終戦間もない混乱期にあった1949年のことだった。

映画だったのか、それともポスターを見てのことだったのか、

12歳だった美空ひばりがシルクハットに燕尾服で歌う姿をかすかながら覚えている。

 

悲しくも……美空ひばりが亡くなって、もう35年にもなる。

 

 

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 終 活

2024-03-26 06:00:00 | エッセイ

 

 

80歳を超すと、やはり「終活」という文字が目についてくる。

「人生100年時代」だから、

あと20年ほどもあるなどと悠長に構えてはおれない。

この年になると体調に突然、異変が起きてもおかしくないのだ。

見回せば、書斎には書籍や書類、趣味の音楽CD・DVDなどが山積している。

これをそのまま残して逝ったのでは、家族に負担をかけるに違いない。

また多少の預貯金などを持っていれば、

その相続をめぐり家族間のトラブルを引き起こしかねず、

家族に何とも厄介なことを押し付けてしまうことになるわけで、

そろそろ身の回りを整理しておかねば…

との思いが自然に出てくるのはしようがない。

 

ちょっと調べてみたら、終活についてこんな考え方が述べてあった。

「終活とは、いつか来る死の準備を行うためだけの活動ではない。

むしろ、遺される家族の負担を減らし、

また家族間のトラブルを防止する策を講じておくことで、

残りの人生をどう生きるかを前向きに考え、

老後の生活を豊かにするための取り組みでもある」

 

なるほど。具体的には

・身の回りの物を整理する

・医療や介護の希望をまとめておく

・葬儀の規模を考えておく─これらはすぐに思いつく。

さらにエンディングノートを活用し、

交友関係(訃報を知らせてほしい人の氏名や住所、連絡先など)、

遺品やデータの情報(残したいもの、処分したいもの)、

資産関係の情報(預貯金や不動産、負債などの情報)、

葬儀・墓に関することなどを書き留めておくことも有用であろう。

 

 

こうしたことをきちっと整理しておけば、

「残りの人生をどう生きるかを前向きに考え、

老後の生活を豊かにする」というわけだ。

物、資産、葬儀・墓、医療・介護について、それを整理しておくことは、

さほど難しくはないと思える。

実は悩ましいのが交友関係である。

簡単そうに思えるが、そうではないのである。

 

88歳の会社役員の男性が新聞紙上で

「趣味の会合や、職場などの同期会のやめ方」

についてアドバイスを求めていた。

この方は、夫婦2人暮らし、

多少の持病はあるがそれなりに元気に暮らしている。

趣味で集めた品々は息子から「残されると粗大ゴミになる」

と言われたのを機に、自分でほとんど処分した。

また高齢を理由に、先輩の文例を手本にして「年賀状じまい」も出来た。

 

だが、悩ましいのが「趣味の会合や、職場などの同期会のやめ方」なのだという。

やめれば義理を欠くことになりはしないか、そんな思いがするのである。

自然に退散するしかないか、そうも思うが

これまたどこか心に引っかかるというわけだ。

 

これに評論家の樋口恵子さん

(この方は91歳で高齢者に対するいろんなアドバイスを書かれている)は、

こう答えている。

「共通体験を持つ仲間がいることは心強く、生きる力が湧いてくる。

だから、人とのつながりは早急に整理せず、出来る形で続けていくことをおすすめする」

同感である。

心許せる人との付き合いが、老後の生活を豊かにしてくれるのは確かだ。

交友関係の終活だけは急ぐ必要がないように思う。

 

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アイム ソーリー

2024-03-20 06:00:00 | エッセイ

 

何と辛らつな——「あなた、その歌、意味が解って聞いているの? 

解っているふりして聞いているのって、本当にいけ好かないのよね」

——妻のいきなりの一撃だった。

 

正直に明かせば、英語のヒアリング力は、ほぼゼロに等しい。

これは中・高校生時に受けた英語教育のせいだと思っている。

その頃は、もっぱら「読み・書く」のみの授業で、

「聞く・話す」なんてことはまったくなかった。

たまに街で外国人を見かけると、「話し掛けられたらどうしよう」とドキドキし、

できるだけ目を合わさず、そのまま回れ右をすることさえあった。

そんなだから、聞いただけで何をどう歌っているのか解るはずがない。

「読み・書く」オンリーだった英語教育が、何とも恨めしい。

そう責任転嫁してしまう、しようもない世代なのだ。

結局、妻に言い返えそうにも「うっ」と詰まる始末となる。

 

もっとも、中・高校生の時に教わった「読み・書く」の、

わずかな英語力を駆使し、辞書の力も借りれば、

「こんなことを歌っているのだな」程度のことは解る。

だから、ほとんどの洋楽、主に英語の曲は事前に歌詞カードなどを見て、

あらましの内容を判読しておき、軽快なものであったり、

しんみりとしたものであったり、その曲調に合わせて聞き、

「うん、いい歌だなあ」なんて楽しむことはできはする。

だが、それは聞き流しみたいな、その程度のものなのである。

 

      

 

そうだからだろうか。年を取るにつれ、洋楽がだんだん遠のいていくような気がする。

どんな歌にも——あえて言えば、メロディーにも、歌詞にも情感がある。

特に歌詞は心を震わせ、時に涙させることさえある。

わずかな英語力による和訳の歌詞では、そんな情感までは感じ取れない。

やはり「うん、いい歌だな」程度となる。

 

それが、日本語による日本の歌だったら、

そんな情感が自分のことのように身近なものになってくる。

おかしなことに年を取ると、そんな情感を余計に求めるようにさえなる。

若い頃、父や母たちが聞いていた演歌、「どこが良いのだろう」と

見向きせず、ビートルズに熱中した。

Sorry Beatles——今は、君たちの歌を聞くことはまれとなった。

代わって、父や母たちのように「悲しい酒」や「舟唄」、

そんなものがしきりに聞きたくなるのだ。

 

 

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思い出の中に生きる

2024-03-13 06:00:00 | エッセイ

 

「祖母が老衰で亡くなりました。

良くしてもらった祖母なのに、寂しくも悲しくもありません。

近所に住んでいて、かわいがってもらいました。

しかし、数年前に老人ホームに入ってからは、一度も会いに行きませんでした。

再び祖母と対面したのは葬儀の時。

でも、遺体に触ることをむしろ不快に感じてしまい、

そそくさと逃げるように帰りました。涙も一度も出ません。

……悲しみがわかない私は異常なのでしょうか」

そう書く一方で、「数年前に自死してしまったアイドルのことを思うと、

いまだに涙が出ます」と、二つの死を重ね合わせ、

自ら、「異常ではないか」と言うのである。

 

    

 

新聞の「人生案内」、つまり読者の相談コーナーに

20歳代の女性がこんなことを話していた。

これを読んで、ひどく寂しい思いに駆られた。

仮に僕が死んだ時、孫たちは悲しんでもくれず、

涙一滴流してはくれないのだろうか、と。

それではあまりにも切ないではないか。

僕の遺体にすがりついて、ワアワア泣いてほしい、と。

 

でも、ちょっと待て。僕自身はどうだったか。

祖父母、それに両親、あるいは兄や姉が亡くなった時、

悲しい、寂しいと感じたか。そういう思いになっただろうか。

いや、その記憶はない。涙も流さなかったはずだ。

亡くなった瞬間、あるいは葬儀の時はそうだった。

だとすれば、この女性を「何と冷たい人か」と責められるはずがない。

 

父や母、あるいは兄や姉の死に対して、

悲しいとも、寂しいとも思わず、

涙一滴さえ流さなかったのは確かだ。

だが、それらの人たちを忘れ去ってしまったのか。

いや、違う。

時がたち、今は皆、喜怒哀楽の思い出の中にいて、

時に思い出しては無性に寂しく、あるいは悲しくなることがある。

孫たちが泣いてはくれなくとも、思い出の中に居させてくれさえすれば、

時々、思い出してくれさえすれば、それで十分でないか。

自分にそう言い聞かせ、また悩みを打ち明けた若い女性に、

「僕も同じだよ。異常ではないと思う」

そう呟きながら、新聞をたたんだ。

 

 

 

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男子 厨房に入る

2024-03-09 06:00:00 | エッセイ

 

 

「父は仕事が忙しく、休日は疲れているのか、

よく寝ていました。

ところが、2か月前から休日の夕飯を

調理してくれるようになりました。

キッチンに立つ父の姿を初めて見た時には、

『明日は大雪が降るのではないか』と

思うほど、驚きました。

父は買い物に行き、献立を考え……(中略)

家族が笑顔で食べている姿を見て満足そうな表情です。

これからも父の手料理に期待しています」

 

新聞に載った、この中学生の投稿が何とも微笑ましく、

ほのぼのとした気持ちにさせられた。

子供はこの中学生と妹の2人のようだから、

父親は40歳代だろうか。

2か月前、何がこの父親を突き動かしたのだろうか。

 

           

 

数日前の同じ新聞には『モラハラ夫』の特集が組んであった。

中年以降の男性には、

「仕事優先。家庭は二の次」「炊事、洗濯、それに育児は女の仕事」

といった未だに一昔前の男尊女卑の思いが残っているという。

かく言う僕にも、そんな思いがいくらか残っているのは否めない。

それでも、随分〝改心〟し、配膳、食後の食器洗い・片づけといった

ことなど〝妻の領域〟を手伝うようになっている。

 

ただ、料理を作るまでにはまだまだ届かない。

たまにスクランブルエッグを作ってみるが、

焦げ付いたり、ポロポロになったりで、後片付けに手こずる始末だ。

チキンライス風なものに挑戦してみたが、

ごはんがぺちゃぺちゃと柔らかく、うまくない。

せいぜい、まあまあと言えるのはインスタントラーメンだろうか。

 

あの中学生の投稿を読み、あのお父さんは

どうやって料理を覚えたのだろうかと思う。

こっそり料理教室に通ったのではあるまいか。

実際、奥さんに先立たれ料理教室に通った知人が数人いる。

 

「男子厨房に入るべからず」

そんなことに胸を張る時代ではなくなったのは確かだ。

 

 

 

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