Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

3食昼寝付き

2024-10-26 06:00:00 | エッセイ

 

『主人在宅ストレス症候群』というのがある。

普段家にいない夫が一日中在宅するようになると

妻は大きなストレスを抱えるようになり、

それが原因で胃潰瘍や高血圧をはじめとする身体的不調、

それにうつ・パニック障害など心理的症状を引き起こすというのである。

そうであれば、長年仕事一筋だった夫が定年を迎えた

その時も要注意ということなのだろう。実際、このケースが多いのだそうだ。

74歳・主婦もそんな悩みを抱えて新聞の投書欄に投稿したのかもしれない。

 

この主婦の夫は退職して3年近くになるが、

毎日ソファでごろ寝して過ごしているのだという。

若い頃からコツコツと努力する人だったから、

そんな姿を見せられると、ついイライラさせられる。

それで、「何か好きなことでもやったらどう」と言ってはみるが、何もしようとしない。

そうとあって、ますますストレスが溜まってくると訴えるのだ。

 

実はこの話、他人事と笑い飛ばすわけにもいかない。

こちらも似たような状況なのである。

退職した後、日がな一日パソコン、あるいはテレビの前に

座り込んで過ごすことが多くなった。

カレンダーの予定表を見ると、今月の外出は合わせて7日だ。

エッセイ教室や歌のレッスンといった趣味のものもあるが、

あとは4度の病院通い。

こんな状況だから、まさに〝三食昼寝付き〟といったところで、

しばしば妻の不機嫌に直撃されることがある。

 

         

 

さて、あの主婦はどうしたか。続きがある。

ある日、夫からボソッと「放っておいてくれないか」と言われ、ドキッとしたという。

よくよく考えてみたら、夫にとって今が人生で一番好きに

している時間かもしれないと思ったからだ。

頑張らない老人がいても良いではないか。

それより食が細くなった夫の栄養状態だけに気を配り、

たくさん働いた夫にはそのご褒美として長生きしてもらおう。

そう割り切ったのだという。

なんとまあ、微笑ましくも羨ましいような話である。

 

でも、〝人生100年時代〟だ。余生は長い。

何もせずゴロゴロしてばかりで過ごせるはずはない。

あるいは、この奥さん、「コツコツ努力する夫のこと、

いずれ何か好きなことをやり出すに違いない」と読み、

「それまでは放っておこう」と考えたのかもしれない。

とにもかくにも、夫婦円満おめでとうである。

 

 

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よっちゃん

2024-10-23 13:35:24 | エッセイ

 

 

「吉一叔父さんの命日、分かりますか」

長崎の姪がよっちゃんの命日を尋ねてきた。

吉一というのは僕の2つ上の兄で、「よっちゃん」と呼んでいた。

「えっ、どうしたの?」突然のLINEにいささか虚を突かれ、

すぐには出てこなかった。

「先日、父の墓参りに行き、墓石を見たら

叔父さんの命日だけが刻まれていないんですよ」

父というのは13歳違いの長兄のことだ。

「えっ、おかしいな。ちゃんと刻まれていたはずなんだがね」

「それが、どう探してもないんです。一人だけ、寂しいじゃありませんか。

命日が分かれば、お参りもしてあげたいし……」

 

長崎にある当家の墓には両親はもちろん、3人の兄と2番目の姉、

それと長女の連れ合い、つまり義兄も入っている。

本来なら、末っ子ながらこの僕が墓を守っていかなければならないのだが、

長崎を離れて40年以上、今は福岡に住んでいる。

役目がままならない僕に代わり長崎に住む姪たちが

親の墓参りをしながら、守ってくれているのである。

「分かりますか。分かれば、ちゃんと刻んであげたいと思っているんです」

急いで手帳をめくった。

ここには両親はもちろん兄姉たちの命日を書き留めている。

よっちゃんのそれは平成4年1月20日だった。

 

         

 

よっちゃんは、心を病んだ。

どんな事情があったのか東京の会社を辞め、母が一人暮らす長崎の実家に、

それこそ忽然と戻ってきたのである。

もともと寡黙な人だった。何があったのか、一言も語ることはなかった。

やがて、昼と夜が真逆の生活となり、

また理解しがたいようなことを口走るようになった。

 

看過できぬ状態に、兄や姉が皆で、「医者に診てもらえ」と説得するのだが、

「俺はどこも悪くない」と言い張るばかり。

ついに長兄が「いちばん仲が良かったお前が話をしろ」と

僕にその役を任せたのだった。実はそれを待っていた。

よっちゃんの気性は、やはり僕がいちばん分かっていたと思う。

2人だけになり、小さい頃一緒に遊んだ思い出話ばかりした。

少しずつよっちゃんの表情は和らいでいった。

頃合いを見計らい、「俺と一緒に病院に行ってみよう」と話しかけると、

黙って小さく頷いたのだった。

 

医師は小さい頃から今日までの、それこそよっちゃんの生涯を

本人から事細かに聞いていく。

そして、「このまま入院してもらい、すぐに治療を始めます」と診断したのだった。

覚悟はしていたが、やはり心は重く沈み込んだ。

病室まで付き添った。それも鉄格子の入り口まで。

その先へは入れず、看護師に伴われ病室へ向かう後ろ姿を見送るしかなかった。

こちらを振り向くこともない鉄格子越しのその姿を、溢れ出る涙が隠していった。

 

入院・治療の甲斐あって、よっちゃんの症状は見違えるほど軽減、

通院治療に切り替わり、僕らの気持ちをわずかながらも軽くした。

だが……よっちゃんは自ら死を選んだのである。

あれは平成2年の8月9日、長崎では例年通り原爆慰霊祭が行われた日だった。

11時2分に慰霊のサイレンが鳴り響いた直後、長崎の姉が

「よっちゃんが、よっちゃんがね。大ごとたい。あんた、急いで帰って来てやらんね」

ひどく切迫した電話をかけてきた。

詳しいことは分からないが、何か事故にあったらしい。

とにかく姉が告げた長崎の病院に車を走らせた。

 

 

どうやら一命はとりとめた。

だが右足の膝から下を切断せざるを得なかったし、

顔をはじめ体のあちこちにひどい損傷を負った。

それでも治療の甲斐あって、いったんは会話できるほどには回復したのである。

だが、その希望の日も長くはなかった。

引き続きの治療中、突然意識を失くし植物人間の状態となってしまったのである。

2人きりの病室。話しかけても無論返事はない。

ハンサムだったあの顔も失くしてしまった。

めくれた布団からわずかに足先がのぞいている。

「起きろ」と足の指をくすぐれば、わずかに動かし生きていることを示すだけで、

それ以上のことは何も起こらない。

ついには平成4年の年明け早々息を引き取ったのである。51歳であった。

 

自らの行く末に絶望したのか、

それとも老いた母にこれ以上の負担をかけまいとの優しさなのか──

「何故」と問うても答えず、

手帳に挟んだ写真のよっちゃんは薄く笑うばかりである。

 

 

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もう一度会いたい

2024-10-18 17:04:39 | エッセイ

 

花径6㍉ほどの可憐なそばの花が、

700万本も寄り添って一斉に咲くと、6・5㌶の高原は、

空の青さをバックに信じられないほど白く、美しく装う。

その高原を時折、そよ風が渡る。

すると、風に撫でられた小さな花たちは、

たちまち白い波となってたゆたい始め、柔らかさを添えるのである。

根子岳の遥か霞むような黒いシルエットもまた、

そば畑の美しさを際立たせる役を担っている。

 

   

「この花たちに支えられて大の字になるとどうだろう、

宙に浮き上がるのではないか。花たちが魔法のじゅうたんになって……」

ああ、久しき童心。

それは、花言葉の通り、愛でてくれる人たちに『誠実』であることを示してみせ、

また、小さな姿は『一生懸命』けなげに生きている様を

見せているようでもある。

やがて、収穫期が近づき、10月下旬になると緑の茎は赤くなり、

白いじゅうたんは天高く飛び去ってしまう。高原は赤く変わる。

 

この波野高原(熊本県阿蘇市)を訪れたのは

5年も前の9月半ばの秋晴れだった。

もう一度訪ねたいと思うもののかなわない。

あそこへ行くには、どうしても車が必要だ。

その車がない。いや、運転をやめたからだ。

それでも未練たらしく、あと2年ほど期限がある免許証は返納せず持っている。

だからレンタカーを借りれば行けるだろう。

あの風景の誘惑は強烈だ。

 

だが、あの高原も季節を終え、赤く変わっていることだろう。

そう思い、懸命に思いとどまる。

何とも恨めしい。

 

 

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孫の心づかい

2024-10-10 16:40:08 | エッセイ

 

「大根が刺さっとるじゃない」──

孫からプレゼントされた買い物用のキャリーバッグの写真をLINEで送ったら

こう言って大笑いされてしまった。

            

 

やはり車がないと、何かと不便だし、寂しい。

5月に愛車を売却し、運転するのをやめた。

80を過ぎれば視力は衰えるし、反射神経も鈍くなる。

運転していて「はっ」とすることが多くなった。

自らが傷つくのはまだしも他人様を傷つけるのは許されることではない。

多少迷いつつも車を手放したのだった。

 

所用で中心街に出かけるのは、バスや地下鉄を利用すればさして不便ではない。

でも、あの楽しかった車中泊などちょっとした小旅行はまったく出来ない。

したがって四季折々の自然に触れられない。

なんとも寂しいことである。

 

それから日々の買い物。

1キロ足らずのところにスーパーがあるにはある。

だけど、野菜類、特に大根やジャガイモといった根菜類は重い。

調味料にしてもしかり。米にしたってそうだ。

これらを「よいしょ」と持ち帰るのは、1キロ足らずの距離といっても

老体には並大抵ではない。

しかも、このスーパーだけですべて用済みになればまだしも、

品物によってはちょっと遠くのスーパーまで行かなければならない。

歩いて20分ほどかかるスーパーに出かけることもある。

ずっしり重い買い物袋を手に下げ、肩にして帰らなければならないのだ。

つくづく車が恋しくなる。

 

     

 

そんな祖父母を不憫に思ってくれたのか、

3人の孫が敬老の日のプレゼントとして計らってくれたのが、

くだんの買い物用のキャリーバッグだった。

これだと随分と楽だ。平地だと取手に手を添えているだけで進んでくれる。

実は、ちょっと小さめのキャリーバッグを持っていたのだが、

プレゼントしてもらったのは、これより大きいから収容量もある。

かといって、運ぶのに力はほとんどいらない。

少し多めの買い物が必要な時はこの2台を持っていく。

妻と1台ずつ持てば何ということはない。

片道20分の距離も格好のウオーキングとなる。

孫たちにサンキュー、サンキューである。

 

さて、雨の日はどうしようか。

まあ、いいか。天気の良い日に買い込んでおけばよい。

 

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元気にしとるね

2024-10-08 08:58:59 | エッセイ

 

6人の兄弟姉妹は、今はもう90歳の長女と

その8歳下、末っ子の僕の2人だけになってしまった。

幼い頃、僕を母親同然に慈しんでくれた姉には一人娘(僕にとっては姪)がいる。

パーキンソン病による長年の患いで特別養護老人ホームに入っている姉にとり

義兄はすでに亡く、この姪だけが頼りである。

 

姪はすでに還暦を過ぎ60半ばになっている。

僕が中学生の頃、おぶってあやしたあの子がである。

大きくなるにつれ親しんできたせいか、

今でも僕のことを「武雄兄ちゃん」と呼ぶ。

いつだったか、「何だかこの呼び方はテレますね」とLINEしてきたことがあり、

その後しばらくは「武雄兄さん」と変わっていたが、

数日前「今、外出されていますか? 

もし在宅なら電話かけさせてもらおうかと思い……」とLINEがあった時には、

また「武雄にいちゃん」と82歳にもなるこの爺さんを呼んでいた。

それで腹が立つわけでもなく、むしろ姪からのほんわりとした親しみに心和む。

 

一方で、届いたLINEが気になった。「家にいるなら電話したい」という。

姉に何かあったのではないか。慌てて、こちらから電話を入れた。

「姉に何かあったんじゃないだろうね」姪はこれには何も答えず、

「この電話、いったん切って、こちらから入れ直しますね」そう言って電話を切った。

そして、間もなくスマホにかかってきた電話画面には、

こちらを見る姉の顔が大映しになっていた。

 

    

 

病のせいで、言葉が上手く出なくなっているし、喜怒哀楽の表情も薄い。

でも、こちらをじっと見て「元気にしとるね」と言っているのが分かる。

それで「元気ばい。姉ちゃんも元気そうやね」と言えば、右手を右に左に振った。

それが「うん、うん」と言っているように見えた。

側から姪が「先日、コロナに罹ったんですよ。

でも、今はすっかり元気になりました」と添えてくれた。

言葉が不自由な姉が言おうとしていることを〝通訳〟できるのは、

この姪ただ一人である。

長崎に姉を見舞ったのは1年も前のことになる。

車の運転を止めたことで、長崎はますます遠のいた感じがする。

「近いうちに必ず行くからね。元気にしとってよ」

そう言って思い切り画面に向かって両手を振った。

すると、今度は姉も両手を振って返してきた。

姉と弟─残された肉親2人だけの画面越しの交わりであった。

 

 

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