OveJa neGrA

あっという間の34歳。気持ちにあった無意味な「楽観」も、今や少しの焦りとなってきた。チリに帰りたくなってしまうこのごろ。

1 de Mar,2010 無知は罪だな

2010-03-01 23:02:55 | Weblog
興味がない、感心がない、知らない、関係ない。
何とも寂しいこと。
政治、歴史、世の中、などなど。
何もしないならせめて何かやろうとする人の足を引っ張る真似はするな。
無知が故、偏見や差別が生まれるのだろう。
理解する事は客観的であるべきだと思う。
そのために人は考え、学ぶ事が出来るのではないか。
見過ごした事はかならず自分に何らかの形でかえってくる。
見知らぬふりにしろしかり。

恥を知れ。
大人達よ。

1 de Mar,2010 夢や希望ね。

2010-03-01 20:38:37 | Weblog
色々あるけれど、そう言った物を持たない人、持つ勇気がない人に限って他人の「夢」を中傷するように感じる。
特に年齢を重ねてくると、そういったモノを抱く事になんだか肩身の狭さすら感じる。
まして行動に移すとなると、やるほうもそれなりの覚悟が必要なのだ。
僕にしてみれば、結構後先考えずに動いてしまう方。
今までも色々と挑戦しては挫折して、また空回りしてかなわなかった事が沢山ある。
が、かなった事もそれなりにある。
オリンピックが終わってみて、色々な論評を耳にする。
自分で何かをしたくて、でもできなくて、だから誰かに託す気持ちはわからなくもない。
でもそのままでいいのか?
感動を受けたなら、何か自分のなかで育ててみてはどうだろうか。
そんな事を感じた。
今の社会情勢を見ていても、そういった「おんぶにだっこ」的な風潮を感じる。
特に低,中流階層にそう言った物をより強く感じてしまう。
国のせい、社会の構造、なんだらかんだか。。。
何かをしないと何も変わらない。
何度も言うが、社会の中で暮らすからにはそこは最低限の基盤。
でも、議会制民主主義であるということは、僕たちの責任もとても重い物であると再認識しなければならないと思う。
コソコソと人の隙間を生きるよりも、全うな「バカ」な生き方をしたい。
「もっともよい処世術とは、社会的因習を軽蔑しながら、しかも社会的因習と矛盾しない生き方をすることである。」
de Ryunosuke Akutagawa


1 de Mar,2010 チリ地震 家族からの言葉

2010-03-01 12:13:27 | Weblog
被災地からは遠いLos Muermosでも、連日地震の情報収集に必死だ。
彼らの友人や知人が幸いにして無事と知っても、被害の大きさは甚大で日本で見ていてもニュースから眼を背けてしまう。
最近はあえてテレビを消している生活を僕は送っている。
そんな状況でも、彼女達は連日僕に連絡をくれ、「今日も元気だよ。」「琢也もつらいだろう」とねぎらってくれる。
地球の裏側の家族は、そうに僕に対して接してくれ、なんと頭のさがることか。

「お前もあたし達と同じ気持ちだろうからよくわかるよ」
と声をかけてもらうと自分の無力さを知る。
何かをしなければ何も変わらない。
思うだけでは駄目なんだ。
相手や事象に対して何かを思ったとき、それはきっと伝えて初めて「想い」に変わる。

現状を耐え忍び、いつでも動ける準備はしておきたい。
どこに居ても自分は自分。
出来る事も自分の身の丈だけ。
そんな決意。

1 de Mar,2010 チリ地震

2010-03-01 10:50:27 | Weblog
新聞やニュースを見ていると死傷者の数がどんどんと増えている。
家族の一人がカナダに行っていて、丁度地震の日にチリに帰る予定だったのだが、未だ音信不通との事。
特に被害の大きいコンセの友人もまだ連絡つかず。
日本の国際支援は当面現状を把握する為に静観とのことだが、出来る事なら、、、と考えてしまう。
チリの事も去ることながら、自分の就職の心配もしなくてはならない昨今。
今すべきkとは何が最優先か、常に頭の中で押し問答を繰り返している。
とにかく皆の安否を気遣い、気疲れする今日。
弱音をはくわけにはいかない。
とにかく自分なりに最善を尽くすまでだな。