徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

雑感

2022-10-25 22:36:30 | 随想
雑感
ただの文庫本といえども、7~800もする。しかもただの大衆小説が~
吾が学生の頃文庫本といえば岩波文庫だった。
そのころの岩波文庫は確か70円だったような記憶がある。
その前はもっと安かった。
大学の学問の専門書でさえ100円代のものがあったくらいであるから安かった。
古書といってもいろんなタイプがある。
専門書から文庫本に至るまで。
専門書以外、娯楽物の小説文庫本などは一度読んでしまえば、ほとんどの人は二度とは読まない。
われ等は異常中の異常なのだろう同じ本を十回も読む馬鹿はそうはたとはいなかろう。
所詮は古本屋へ持っていくのだが、ほとんどが買いたたかれて持ち込む際の交通費にもならなかろう。
ところが店頭に並ぶ比較的新しいものは店頭に並ぶときは、新品の7~8割ぐらいの価格で並ぶ。
一度人の手に渡った手あかのついた文庫本など、とてもそんな高額な値をつけられては買う気は起きない。
何年か前までは比較的安価であったが、ある時点から二割も上乗せした価格になった。
よくよく観察していると、それらの本はほとんどだれも手を付けない様に見える。
買い手は所詮は100円本に集中してしまう結果になった。
面白いのは厚表紙の本が先に出て、それが文庫本になるのだが、
文庫化がほとんど確実な本を千数百円もする厚表紙の本を買うものは少なかろう。
それでも文庫本は半値近いとはいえ、二日で読み切ってしまう本に7~8百円も出そうというものは少ないのではと思う。
図書館の貸し出し状況を見ると200人待ち300人待ちなどという人気本はざらにある。
借り受けられるのは一人二週間だから、己の番になるまでには何年かかるだろうって考えてしまう。
今の日本人それほど活字に植えているとも思えないのだが、出版界は不況だという。
その一方で百万部単位の売れ行きのものもあるというのだから解らない。
尤も図書館の制度にも問題はある。
予約申し込み者の受け取り猶予期間が通知があってから二週間、借り出してから返却まで二週間、計一人が独占するのは一か月と言う事になる。
予約待ちが数百人などという異常事態も当然その結果という事になるだろう。

徒然なるままに

2022-10-21 18:22:28 | 随想
昭和、平成、令和と三代の御代を生きてくるなどとは思ってもみなかったことでございます。
こう長く生きてみて昔の日本といまの日本とはどう違うのかとおっしゃる。
左様、昔はその、もっと人間の血が熱うございましたね。ま、こうして、文明が発達してまいりますと、
何しろあなた、コンピュウターとかいうものを使って、様々な事を瞬時にやってのけてしまうというのですから大したもので。
多少ぼんくらでも、一人前の顔ができる世の中になっているようです。
では今と昔はどの様にちうかとおっしゃる。
何事も安易に出来る世の中になってしまいました様で・・・
その代わりあなた、人間の血が冷えてしまいました。
つまり自分がよければ他人は如何でもいいという~
でもね反対に人間の血が熱くなりすぎてもこまるのでございますよね。
このところの兼ね合いを取ってくれるのが政治というものなのでしょうが。
もうほんの少し前の政治屋の世界の者たちの様な覇気のある人々はいなくなってしまいました、
小粒の政治屋ばかりが幅を利かせている様な世の中になってしまってはね。
とは言ってもね、明治の代とて本当に覇気のある政治屋っていうのはたんとはいなかったように思いますがね。
それはそうでしょう、西国の藩の下級武士や足軽連中やあるいは不平不満の塊のような公家が大騒ぎして作り上げた、
政治とはなにかも分からずに、大騒ぎして作り上げた政治ですからな。
ほんのちょっと、西欧の視察を行って、見よう見まねで、行っていたんですからね。
きっちりとした信念で、日本という国の事を考えていたもの達は、新しい世が生まれる前に、あの世に旅立ってしまいましたからね。
生きていれば日本という国も随分と様変わりしていただろうがね。
残ったのは滓ばかりではね・・・
昭和の初期の頃に外国の盛大ばかりをうらやみ己の財力を顧みずに、みだりに事を急に起こしたれば、ついに国自体を立ち行かなくしてしまった。
五十年も七十年も生きてきて、昭和の半ばごろの私に比べたら、まるで屁の様な・・・・いやこれはまたげすないいかたですね~
思い起こしてみると、あの頃はまだまだ、人情というものが大らかであったように思うがね。、
女房に先に逝かれてからは、今の住まいの外へ出たことはありません。只々昔の様に年寄りをいたわってくれることのない政治が、
あるいはそのほかの所でも、行われているような気がしてまりませんね。
子供の頃のことを考えてみるに、人々にはもっと人情実があったような気がしてなりません。



















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コロナとワクチンに思う

2022-09-12 19:54:17 | 随想
外国からの情報では、何やら新しいワクチン(オミクロン用)の接種が始まった様なのですが、4度目も21%しか接種した人がいなかったから、
この新しいワクチンも打つ人がほとんどいないのではと思います。
という外国の人々の意見もあるようです。
ワクチンを打っても感染するようでは、副作用で2~5日も苦しめられるようなワクチンではワクチンともいえない。
ワクチンで苦しめられたからといって感染しないとは限らない頼りないワクチンでは、何のための接種かという事になる。
コロナのワクチンの考え方について根本的な誤りがあるのではないのかとさえ思う。
しかも実感としてはワクチンが新しくなるに従いその有効期間が短くなっているような気がする。
新しいものが次々に出ても副作用のひどい症状が出る人は勢い敬遠するでしょう。
外国のある国では外出先の人ごみの中でも、マスクをしている人は滅多に見ない画像が出ております。
只製薬会社に踊らされているような気がする。
感染してのほとんどが軽症で、普段の生活と何ら変わらない状態であれば、二週間も耐えれば、その後は何の影響もないなら、
特に目くじら立ててワクチンを接種する必要がどこにあるといいたくなる。
外国の会社では社内の多くの人が感染経験者だという所もあるようで、感染してない方が珍しい現象なのかも。
このコロナの変異が続いて感染したが最後、死を意味するようであれば、人々の感覚も全く違ったものになるであろうが~。
今わが国では感染者が続発してはいるが、その多くは自宅治療に回されている。
自宅治療って、行政がどれほど面倒を見てくれるのか、そして外出を禁止しているのか、は知らないが、
私が思うには単なる軽い風邪ぐらいにしか考えていないのではないのだろうか。
そしてその感染者が、自宅に籠って快癒を待っているとはとても思えない。
外出してもほとんど体調に影響のない程度の軽症者は、何の問題もなく街中を出歩いているのではなかろうか。
自宅療養のレッテルを張られたからといって、そのものの外出を監視しているわけではないだろう。
以前市役所にその件で問い合わせたことがる。
その返事が、市役所は管轄外、 関知しないという。
軽症者といえども、感染源になることは当然といえば当然。
体内にコロナを抱えて呼吸のたびにコロナを輩出しているのだから。
さらに全身ににコロナウィルスを纏っていることだろう。
それでも、それは管轄違い市役所はタッチしないという。
それが拡大の原因になっているような気がしてならない。
マスクをしている態を採っていてもマスクを下げて、鼻をを出して歩いている輩のなんと多いことか。
今の医学の稚拙さではコロナに対処できるまでには数年いやもっとかかるかもしれない。
医学が発達したとは言っても、それは医療機器の発達だけであって、病原に対応する頭脳の発達ははるか昔の医療関係者には遠く及ばいと思っている。
医療機器がはじき出した映像なりの読むことが今の医学の主流で、機器を使わないで昔流の触診などでは病名さえわからない医師が多い。
ここ数十年不具合があって、病名を聞いてもはっきりと病名を教えてもらったことがない。
現コロナが変異を続け、感染したら死を意味するような強力なウィルスに変化したら、今の医学はまったくのお手上げ。
14世紀に欧州の人口の三分の一を奪ったようなペストの様な病原に変容しないと誰が断言できる。
その様な事態になれば世界の人口の半分は失われるであろう。
いや地球上の六番目の絶滅種になりかねない。
コロナの変異が穏やかであることを祈るばかりである。
今まで感染しないで来たのだから、同じような感染回避の方法をする以外にはないが、感染するならするで構わないと思うようになっている。
それが死に結び付くとしても・・・・それが己の生きざまないだろう。










































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重陽の節句に思う

2022-09-09 14:06:41 | 随想
重陽の節句九月九日は旧暦の行事。現代版にすると十月四日ごろになろうか。
とはいえ陰陽思想では重陽の節句は陽の数の極みである九が重なる日であることから重陽と呼ぶようになったのであり、
十月四日では意味をなさない。
この節句が行われるようになったのは、たまたま旧暦の時代であったというに過ぎない。
ただこの節句の頃には菊が美しい時期だあったことから菊の節句とも呼ばれるようであるが、
現代では菊の時期とは少しずれているようである。
したがって、菊の花を飾ったり菊の花を浮かべた、菊酒を飲むことはかなわない様であるが、
かっては菊酒を飲んで、無病息災をそして不老長寿を祝ったものである。
だが時代が変わって菊酒で祝うことも出来なのだが、現代の日本では無病息災はいいとしても、
不老長寿を祝うなどというのはちょっと的が外れている。
古代中国はいざ知らず、現代の日本の様に行政による老齢者いじめの激しい国での不老長寿は、
苦しみを増すばかりの長寿であることは覚悟しなければならない。
行政による老いぼれいじめを指折り数えてみれは、両手を使ってもまだ足りなかろう。
老人にとっては恐ろしい国ではある。
敦盛にある様な人生五十年とは少し意味が違うが、人生を楽しんだ五十年を過ぎたら、
そろそろとお暇を考えるのがいい。
吾などは長生きしすぎたと、悔やむことが多い。


老いぼれには生きて地獄を味わう、恐ろしい国日本

2022-07-26 20:10:35 | 随想
またコロナの急増に政治屋や官僚どもは、大ぴらに企業に金をばらまけると,ほくそ笑んでいることだろう。
とにかく企業優先の国、二千五百年間前にいみじくも老子は見抜いていた。
彼によれば、天が活動する仕方は、高いところは抑え込み、低いところは持ち上げる。余りがあれば減らし、足らなければ補う。
人間にやり方はそうではない。足らない方を減らし、その分を余りある方に奉る。

庶民から、税や高額な保険料で巻きあげて、企業に金をばらまく、企業のための政。
日本という国の政治屋や官僚という輩はまさにこれ。

今年の初めニュージランドでは年金の支給額を増額した。
ところが老いぼれ地獄を自認する日本では、反対に年金額を引き下げ、引き下げに輪をかけたように、
介護保険料及び後期高齢者医療保険の及びもつかない増額を実施した。
さらに追い打ちをかけるように、医療費を1割か2割へと負担額を倍増させている。
老いぼれにとっては日本という国、いや日本の政治屋や官僚は鬼畜にさえ見える恐ろしい国である。
支給した年金を食い尽くすまで、老いぼれいじめは止むことがなかろう。
老いぼれにとっては世界最高の恐ろしい国であるといえる。
老いぼれると、生きて地獄を味わうことになる。
こんな国が文明国に存在するのだという事を、日本という国に住む、老いぼれ予備軍は覚悟する必要がある。
この先、どの様な名目で、支給した年金の巻き上げが行われるか、名目や膏薬はどこにでもくっ付く。

あらゆる名目をつけて、老いぼれいじめに余念がない。
とにかく日本という国は老いぼれにとっては地獄の閻魔よりも恐ろしい国ではある。

地獄の閻魔も舌を巻いて居よう。
人生五十年で終わるべきであった。
ニーチェの永劫回帰はこんな日本では味わいたくないものである。
ニーチェには悪いが、これは彼の妄想以外の何物でもないと思う以外にない。
輪廻転生とは言うが、二度とこんな国には生まれたくない。