重陽の節句は九月九日、平安のころより伝わってきた古来からの行事はほとんどが中国から伝わってきたものであろう。
中国では奇数の日は縁起の良いものとされてきたが、それの月日が重なる、いわゆる奇数の月日が重なるとき、祝いの節句としたようである。
一月七日
三月三日
五月五日
七月七日
九月九日 重陽の節句、菊の節句である。
物まねは日本の得意技はこの平安のころよりに伝統なのだろうが、これらの祝い事は当時の庶民にはほとんど関係のないもので、
働くことの知らない遊びに、女に夢中に、そして出世、官位を上げる事しか考えないいわゆる貴族と言われる輩たち。
そのためなら、他のものを讒訴し罪に落としても己の出世を遂げるという人間としては最低の人種たちであった。
そんな輩が、日本という国を支配していた。
その中で九月九日を重陽の節句と言って菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた菊酒を飲んだりして不老長寿を祝ったとされている。
菊を愛でるとは言っても、現暦からの今日では大輪の菊を愛でるには少々早いように思うが、現暦今月下旬が陰暦、当時の重陽の節句の時期に当たる。
今はもう、重陽の節句などと大騒ぎすることもなくなったが、われが子供のころはまだまだ不老長寿を願う行事、重陽の節句は、
は七タの節句と同じように祝っていた記憶がある。
だが、今の日本長寿を喜んでいる世相ではない様である。
老人いじめの国日本と言われだしたころから、不老長寿などというものは今の日本では全くの無意味な事であり、
長寿を祝うなどと口先では言いながら、老人からの搾取は年とともに過重になっている。
平均年齢が上がったなどと言われているが、病院のベットで点滴によって生かされている人々がいかに多いことか、
点滴を外されれば三日も持たずに彼岸へ旅立つことになる。
コロナには対応できなくても、ただ人間を生かしておくだけの医学的技術は平均年齢上昇には随分と貢献しているようではある。
長寿を望む老齢者はよほど恵まれたものに限られる時代になったようである。
今の日本で一般庶民が長寿を楽しむなどというのは夢のまた夢に成り下がっている。
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