徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

菊の愛で方も時代によって~

2020-10-17 00:18:22 | 随想

 

重陽の節句は九月九日、平安のころより伝わってきた古来からの行事はほとんどが中国から伝わってきたものであろう。

中国では奇数の日は縁起の良いものとされてきたが、それの月日が重なる、いわゆる奇数の月日が重なるとき、祝いの節句としたようである。

一月七日

三月三日

五月五日

七月七日

九月九日  重陽の節句、菊の節句である。

物まねは日本の得意技はこの平安のころよりに伝統なのだろうが、これらの祝い事は当時の庶民にはほとんど関係のないもので、

働くことの知らない遊びに、女に夢中に、そして出世、官位を上げる事しか考えないいわゆる貴族と言われる輩たち。

そのためなら、他のものを讒訴し罪に落としても己の出世を遂げるという人間としては最低の人種たちであった。

そんな輩が、日本という国を支配していた。

その中で九月九日を重陽の節句と言って菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた菊酒を飲んだりして不老長寿を祝ったとされている。

菊を愛でるとは言っても、現暦からの今日では大輪の菊を愛でるには少々早いように思うが、現暦今月下旬が陰暦、当時の重陽の節句の時期に当たる。

今はもう、重陽の節句などと大騒ぎすることもなくなったが、われが子供のころはまだまだ不老長寿を願う行事、重陽の節句は、

は七タの節句と同じように祝っていた記憶がある。

だが、今の日本長寿を喜んでいる世相ではない様である。

老人いじめの国日本と言われだしたころから、不老長寿などというものは今の日本では全くの無意味な事であり、

長寿を祝うなどと口先では言いながら、老人からの搾取は年とともに過重になっている。

平均年齢が上がったなどと言われているが、病院のベットで点滴によって生かされている人々がいかに多いことか、

点滴を外されれば三日も持たずに彼岸へ旅立つことになる。

コロナには対応できなくても、ただ人間を生かしておくだけの医学的技術は平均年齢上昇には随分と貢献しているようではある。

長寿を望む老齢者はよほど恵まれたものに限られる時代になったようである。

今の日本で一般庶民が長寿を楽しむなどというのは夢のまた夢に成り下がっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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秋が深まるにつれて~

2020-10-05 16:52:04 | 随想

秋の桜が咲き進んでいるが、センセーションはいまだなりを潜めているようだ。

鳴りを潜めるのは秋桜ではなく、コロナであってほしい。

こ奴のおかげで、大儲けした企業もあれば、最悪の事態に面した企業もあったようで、なんともやりきれない気持ちになってしまう。

使い捨てマスクなどに至っては、ようやく平常値に戻ったようではあるが、通常一枚20円でも利益が出ているにも拘らず、

五倍の価格など人間の欲望には際限がないようである。

東京都の新規感染者が一日十人未満にまで落ちたコロナが直近で170人強まで増加している。

外国ではレッドゾーンに達するほどに増え続けているようだが、東京都辺りでも早晩そのようになっていくのは目に見えている。

尤も、外国のレッドゾーンの範囲は不明であるが~まるで己の金を配るかの如く外国の数倍にもあたる企業保障をやるだけで、

後は国民の自粛に任せる行政の無能ぶりは今々はじまったことではないがなんともお粗末な行政ではある。

能書きを垂れるだけで、コロナが治まるとでも思っているのだろうか、お粗末行政の見本がここにきて暴露した。

阿呆な輩のやることは憲法を改正してまで再軍備をすることに血道を上げて、

直近の事態には何をなすのかも分からない無能ぶりでは、国民は救われない。

金をばらまいたとてコロナが治まるわけではあるまい、しかもその付けは結局国民がおう、

では焙って叩かれるスルメと同じになってしまう。

尤もそんな輩を選出したのは国民であり、その責めはすべて国民に帰せられる。

とは言っても、己の人気取りの片棒を担がされるのは、大盤振る舞いを受けた企業ではなく、

すべて国民が何十年にもわたって負わされるでは堪らない、子孫に対してどう言い訳をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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