徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

良寛さんそりゃ無理だ・・・

2020-03-31 18:12:10 | 随想

二日ほど人出の多いところへ行かなかった。

今日、必要があってコピーを取り郵便局へ出かけたのだが街を歩く人々の様子ががぜん思わぬ変化をしていることに驚いている。

二三日前まで、街を歩く人々のマスク着用の率は半分にも満たなかったように思っていたのだが、今日は未着用の人がほんの僅かになっていることに愕然とした。

我が住む市に発病者が出たかもしれないなと思ったりもするのだが、・・・・・

マスクを着用しないで街を歩いたり、スーパーへ入ったりすることに何か引け目を感じるような気持になった。

だが、不思議なことは両親はマスクを着用しているのだが、小さな子供たちを連れていても子供たちはマスクはつけていないのが目立つ。

己も随分と余分な人生を生き延びてきた所為か、良寛の言葉がしみじみと心に染み込んでくるようになって、

もうそろそろいいのかななんて思うようになってはいるのだが・・・・

多くの人は詳しい情報は秘匿されたままマスクを着用し、手洗いやうがいを励行して不安を抱えて生きているのだろう。

普段ならちょっと風邪気味かななどと感じても、それほど不安に思わないであろうが、この時期そうなると不安が倍増するだろう。

世界的に人口過剰の時期人間淘汰の現象がはじまったのであろうか。

10年で十億の計算で増え続ける人口はもう少しで八十億に達する、どこかでストップをかけなければ、パンクするのは目に見えている。

先の大戦でさえ人口減少は八千万人であったことを考えると、コロナの猛威がまだまだ序の口であることを示す。

災難に逢うがよく、死ぬがよく、これが災難をのがるる妙法にて候とは言われても、誰も妙法などと納得するものいないであろう。

誰しも災難としかとらえることができない、コロナをこれに見舞われたら、どこまでもその不運を嘆きながら生きていくしかないのかもしれません。

いや生きていければまだまだ不運であったと喜ぶべきなのかも・・・

死んでしまっては、死ぬ時節には死ぬがよく候などとは言ってはいられなかろう。

 

 

 

 

 

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図書館が貸し出す書籍は安全か

2020-03-29 23:48:51 | 随想

学校が休みになって子供たちが図書館から本を借り出す数が大変増えているという。

コロナウィルスをコロナ菌と書いたり、言ったりたりするとコロナは菌ではありませんなどと知ったかぶりの揚げ足取りが随分といるらしい。

人体に害をもたらして被害拡大中の現今そのような揚げ足取りはどうでもよい、些末的なことで人の揚げ足を取って喜んでいる暇があったら、

少しは拡大防止について頭を働かせたらどうだ、どちらであっても人体を損傷することに間違いはないのだから・・・・・

そこで図書館から子ども達やその他大人も含めて、借り出した本をその直前保菌者が返却した、

すなわち何日間も保菌者と書籍が同居していた時、その後に借りたものは当然のごとく感染すると思うのが常識。

書籍のページ間にたっぷりと菌を蓄えているだろうと普通なら思うのだが、そのコロナから感染する可能性は・・・・

前の借り主が唾をつけてページをめくったり、読みながらせき込んでウィルスをほんのページ間にばらまいた本を借り出したものはどうなる。

本に各ページに付着したウィルスが次の読者に悪さをすることは当然考えているだろう。

本に付着したコロナの生存期間の最大長は・・・正確にはわからないというのが本当だろう。

だとすれば本の貸し出しなどは行ってはいけない行為であろう。

100%安全でないものを前途有望な、そして体力も大人より弱い子供たちに貸し出すことに何のためらいもないのか確たる返答が欲しい。

それとも返却された書籍類は完全消毒を施したとでもいうのか。

子供たちも含め、書籍類を借り出したものが罹患したらどう責任を取る。

逃げ道は、必ずしも本から移されたとは限らない、というだろうが、それは単なるあて推量というもの。

学校が休みの間借り出した本で勉強するのはたいへんうれしいことだが・・・・

ここで、情報を隠すとこの様な問題が出て来る。

患者が発生していない市区部の図書館なら市民限定で本を貸し出すだろうからひとまずは安心なのだが、

患者の人権だなど云々を振りかざして情報を制限するから、図書館利用などという事にまで影響する。

民は由らしむべし、知らしむべからず

とはいってもすべてがそうだとは言い切れまい。

政治屋や官僚役人よりはるかに優れた人々が、国内には大勢存在している。

 


人間の免疫力期待は大昔の話

2020-03-29 13:59:09 | 随想

この様な非常事態が起きた場合政治屋や官僚、学識経験者などまったく及びじゃないんだよね。

単なるこれまでの陳腐な経験論からの発想で、飛躍的な発想なんてものが全く及ばない。

頭の柔軟な先見の明のある有意な人物が必要になる。

カナダのコロナに対する臨戦態勢は整っているようです。

スーパーの買い物なども買い物客のチェックは厳重のようです。

まあコロナについては、どこまで拡大していくか、わが国の様な隠し事をしている様な体制では、とどまるところを知らないでしょうね。

細かいことを発表すると人権の問題だと阿呆なこと言う輩が政治屋や官僚にいる間は、

科学者がよほどがんばってワクチンを開発する以外に沈静化の方法はないだろうな。

若い人たちでお上思想に毒されていない人々が政治屋や官僚どもの優柔不断をチェックして改善を要求する気概を示さないと、

日本の科学者の努力期待ばかりでは収まることは期待薄ですね。

これを機会に古来から洗脳されてきたお上思想を払拭して、政治屋や官僚どもの頭の構造を逆に洗脳する必要があるかもしれません。

われ等姥捨て山に捨てられた、老いぼれにはコロナがどんなに蔓延しようとも恐怖というものはそれほどないのですが、

臨終を迎えるまで、元気に動き回りたいことだけが願いなんですね。

コロナの疑いだなどといって、監禁されるのだけはご勘弁願いたいものである。

毎年、年の暮れに友の欠礼の通知が届くにつれて、死というものに対する恐れというものはほとんど払拭されたと思ってはいるのですが、

これも年の所為だろうが、病院などで生ける屍の扱いを受けるのだけはお断りしたい、それだけが望みと言えば望み。

今の医学は、コロナに対応できる技術はなくても、生ける屍のまま一年、二年生かしておく技術だけは発達進歩しているようですから・・・

肉体はベッドの上で生きていても、魂はもう抜け出して遥か彼方へ行っているだろうがね。

人間死を恐れるのは、死の先に何があるか誰も確認したものがいないからのことでしょう。

私など一人残されて先に行った者たちに再びまみえたいと思ってはいるのですが、それはこの世では絶対に不可能ですね。

彼らに会うには私があちらへ行かなければならないのですが、これとてもどれほど確率で会えるものやら、

かって経験したことのある人がいるのかいないのか、それでもこの世にいるよりはあちらへ行く方がその確率は増えるでしょうね。

会いたい人はもう一杯いるのですから、それだけは今の楽しみです。


救いのない人間という生き物

2020-03-23 14:21:12 | 随想

救いのない人間という生き物

時によって大規模に発生する様々なものの買い占めは他人がどうなろうと己さえよければという、薄汚い人間という生き物の心の反映である。

人間という生き物の心の中にはほとんど間違いなく存在していく情念であるが、多くの人は知性と教養、それと教育によって、

その発現を抑えていることが多いが、それとてもいつそのタガが外れるかわからない。

トイレットペーパーの買い占め騒動はどうやら中国からの輸入が止まると聞きかじったことが原因らしい。

それはどうでもいいのだが、人間という生き物の浅ましさを見せられて、気持ちのいいものではない。

己さえよければ他人はどうでもいいという考えが、ちょっとしたことで日本人という生き物の心の中に住み着いているという事を見せられれば、

道行く人間という生き物の姿がどれもこれも浅ましさの塊のように見えてしまう。

こんな己さえよければ他人はどうなってもいいというのが人間という生き物の本性だとすれば、

人間という生き物が生まれながらに善を行うと考えた孟子さんも己の考えを改める必要に迫られているだろう。

まさに、荀子のいうように人間という生き物は生まれながらの悪が心に住み着いていると考えていい。

トイレットペーパー騒動がデマだという事がわかって、買いだめした輩が憤慨しているという。

だが、このような己さえよければという輩は、デマだという事さえ信じないで、買い占めを続けるか・・・

馬鹿も休み休みにしてほしいものだが、己さえ不自由なく糞ができれば、他人の糞など構うものかという手前勝手な輩が起こした買いだめだろう。

己が一生かかっても使いきれないくらい買いだめしたか、なれば糞拭き紙にくるまって冥土へ旅立つがいい。

因みに言っておくが、日本のトイレットペーパーの生産県は静岡県が圧倒的に多いという。

他人はどうなろうとかまわないという買い占めた輩のやることは、東海大地震が発生してペーパーが不足することを祈ることしかなかろう。

買いだめした輩のやることはそれぐらいしか思いつくまい、それまで大事に大事に使っているがいい。

薄汚い性根の持ち主はそれくらいのことはやりかねなかろう。

他人の迷惑を何とも思わない輩のやることはその程度の事しかできまい。

浅ましい輩たちよ、もっともっと己の浅ましさを磨くといい。

人間、窮すれば通ず、昔は糞掻きベラというものがあった、という事を覚えておくがいい。

戦争中は新聞紙を揉んで使っていたものだが、現代のトイレでそれをやったどうなる。

折角買いだめたペーパも使えなくなるという事が起きるという事である、為念。

 


人間という生き物の内に隠れた悪性

2020-03-22 17:36:52 | 随想

人間という生き物の内に隠れた悪性

先日、カナダの知人が、当地でもコロナが蔓延して大変らしい。

マスクはもちろん品切れの様だが、トイレットペーパーが買い占めされている、関係ないと思うけどどうしてだろうと、疑問を感じていたという。

よくよく考えてみるとスーパーなど行くとトイレペーパーの並んでいた棚はすべて空きになっていることを思い出した。

日本でも何故かトイレットペーパーが買い占めされているらしい。

もう四半世紀も前になるだろうか、買い占めされてトイレットペーパは日本から姿を消したことがあった。

今回は高額なものがわずかに残ってはいるが、ほとんど姿を消したといっていい。

スーパーや客相手の商店やその他の箇所の係員はほとんどが手袋を着用しだした。

これは己が自衛のための処置ではあるが、コロナ細菌の拡散に一役買っているという事を肝に銘じておく必要がある。

受け取った品物に付着していた菌が手袋に付着し,その菌は手袋を介して不特定多数に拡散するという事、

己が手袋で防御できた代わりに、手袋に付着した菌が次々に人の手に渡っていくという事である。

人間という生き物、己さえよければ他人がどうなろうと全く関知しない、鬼畜の様な性根を内に秘めて生きているんだなあ~って、今更ながらつくづくと感じている。

人間の性根ってやつは矢張り性悪説が正解なんだなって、つくづくと思い知らされている。

まだトイレットペーパー程度で収まっているからいい様なものだろうけれど、買い占めが食料などに及ぶと殺し合いが始まってもおかしくないなあって、

人間という生き物の性根の恐ろしさを思い知らされている。

ところが、トイレへ行ってみると、監視強化の張り紙がある。

その横にトイレットペーパー盗難の文字が読める。

何とも人間という生き物、浅ましいものだとつくづく情けなくなってしまった。

マスクを買い占めた輩は己は一安心、買えなかった奴は感染して死ね、というのが心の内に潜んでいるという事であろうが、

これとても無事であるのはオリンピック開催までの命。

国内のコロナがたとえ全部駆除できたとしても、オリンピックの開催で一挙に新たな菌が、世界中の菌が一挙に国内に持ち込まれる。

内弁慶の日本の政治屋や官僚の外交関係を見ていると、明らかに保菌しているとわかったものでも、入国を認める可能性さえ残されている。

結果がどうなろうとオリンピックは強行するだろう、メンツともいえないメンツのために。日本人の半分が罹患しても、強行するだろう。

外国の有力者が保菌の疑いがあるとき、断固入国を拒否できるか、とても無理だろうな、なあ~なあ~で入ってしまうだろうな。

内弁慶の政治屋や官僚どもでは防ぎきれまい。

コロナ蔓延で国が滅びようともオリンピックは開催することを強行しよう。

そんなことにはならないと、先を見通せない政治屋や官僚どもは高をくくっているだろうが、日本の笊防疫では何とも心もとないコロナ騒動ではある。