徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

ギリシャ神話の死生観

2020-01-31 14:11:20 | 随想

 

如何に科学が発達したとは言っても、古いことは何も分かってはいない。

ただ推測して判ったような心算になっているだけの事である。

宇宙はビッグバンによって形成されたとは言っても、ビッグバン以前はどの様な状態であったのか、何も判らない状態の中で、

宇宙を形成する程の大爆発が如何してどのような形で、爆発したのか。

宇宙が出来た時に、現在の宇宙空間の様に様々な数多くの星々はどの様な状態であったのか。

何も確かな事が解らないまま、宇宙の話が進められている。

同じことが地球上のあらゆることにも共通して単なる推測で、物事が進められている。

恐竜が現れた、猿が現れた、人間が現れた、と言ってもどの様にして現れたのか全く分かっていない。

推測すら出来なかろう。

ギリシャ神話でもわが国の神話でも、次々に作り出されるのは神ばかりで、人間が創り出されたとは書かれていない。

それから比べると、荒唐無稽な馬鹿馬鹿しい、有り得ない話だが、旧約聖書の創世記などには土から人間を作り出したなどと書いている。

ユダヤにしても、キリストにしても将又イスラムにしても、世の人々は神だなどという嫉妬の塊みたいなヤハウエーなどと言う得体の知れないものを一生懸命拝んでいる。

そんな人間に何故拝むんですかと聞いても的確な答えは返ってこない。

何故拝んでいるのか自分でも判ってはいないのだろう。

人間と言う生き物、実に面白い。

得体のしれないものを拝んで安寧を得たかと思うと、同じ得体の知れないあの世と言うものに計り知れない恐怖を感じている。

言い換えれば、神を拝む者、死を恐れるもの、すべて此の世で悪行を行っていたものと言うことが出来る。

この世と別れて、魂は次の世へと導かれるが、と人々はみな思っているが、すべて地獄と言われる所へ導かれ、

悪行に対する制裁的体罰の報復を受けるところへ導かれるわけではない。

天国と言う、病気も飢餓も老いも死もないところも用意されている。

それでも、死と言うものは恐ろしいという事は、己は絶対天国には行けないと思っているからに過ぎない。

死を恐れる生きとし生けるすべての人間がこの世で悪を行っているということである。

ギリシャ神話や我が国の古事記などに比べると、旧約聖書には人間を作り出した記述がある。

ところがギリシャ神話や我が国の神話は神ばかりを作り出して人間と言う生き物を作り出した記述がない。

ギリシャ神話では僅かに女と言う生き物を作り出した記述はある。

そう、パンドラである。

人間を作り出したという記述はないが、人間共と言う表現は時々記述に現れている。

特に我が国の神話に於いては人間と言う生き物は全く現れていない。

我が国の人間については神話の時代から歴史の時代に移ってから、いつの間にか搾取する対象として人間が生活しているのである。

我が国の神話や聖書の神話の様に荒唐無稽な、ただ馬鹿馬鹿しいだけのものは捨て置いてギリシャ神話について語ろう。

 

 

いずれにしてもギリシャ神話の死生観と言っても死ぬのは人間だけであり、神は死のない永遠の生命を得ているのだから神にとって死生観など問題になることもない。

ギリシャ神話の世の始まりからゼウスがオリンポスの主になるまでについてはヘシオドスが神統記に詳しく書いてはいるが、

その時点でも人間と言う生き物はギリシャ神話に登場することはなかった。

即ち未だ個々の人間は存在していないのである。

だが神統記には時として人間どもと言う表現が為されており、神と人間どもと一線を画している表現が為されている。

シュメルの神話の様に己の代わりに働く者として人間を創ったと、簡潔に書かれた方がよほどいい。

ギリシャ神話では人間の出現は荒唐無稽、滅多矢鱈に馬鹿馬鹿しいことが民間伝承として伝わっている。

とにもかくにも、ギリシャにも人間が存在する様になったのだが、先に少しふれたが、もう少し話が進むまで、男ばかりで女の存在はなかった。

それでは都合が悪いと考えたのだろう、女とみれば見境なく手をつけるゼウスにすれば、どうしても人間の女は必要であったのだろう。

そこで世によく知られたパンドラを人間界に送るのだが、後智慧しか回らないエピメテウスがゼウスの策に引っかかって、パンドラを迎え入れてしまう。

世にパンドラの壺の話である。

神の世界にも後智慧しか回らない阿呆がいたのである。

この話は、ヘシオドスの仕事と日に描かれているのだが、この説話は実に含蓄のある説話であり、

神と人間との関係はその間に厳然と一線が画されていることを示していると言える。

ただ、ギリシャ神話に描かれている神々は人間が行うありとあらゆる悪行を同じ様に行い、時には特別な力を持っているだけに人間より悪辣な行いをすることもある。

この世にある悪行と言う悪行は神々を生み出していく過程で、同時に生み出されたものである。

子に対する愛情なども人間と同様に子煩悩な事もあれば、ゼウスの様に悪辣な根性の持ち主は己の子を冥界へ送り込んでも平然としている奴もいる。

この人間臭さを持つギリシャの神々と人間との違いは、人間には死が絶対であるが神々は不死であるという決定的な違いがある。

この人間にとっての絶対的な謎である死と言うもの、人は死ぬとどうなるのか。

この生の世界から何処へ行くのか、死とは何なのか、この難しい問題に直面するのが人間なのである。

それを誇大に扱って、人間を己に従わせようとするのが、神と称する者たちで、宗教と言われるものである。

 

未だ過って誰も確かめたこともない謎の世を誇大に喧伝し、地獄と言うものの過酷さを吹聴して、

人間に恐怖を抱かせる宗教などと言うものに惑わされて戦々恐々としているのが人間と言う生き物なのである。

誰も知らない、誰も経験したことのない世界を何故恐れる必要があるのだろうか。

よく言われる様に、この世に守るものがある者は死を恐れる。

確かに守る必要のあるものを残して、世を移るのは未練が残る、その心情は判らないでもない。

それ程この世と言うものに不安感があるということなのである。

人間と言う生き物、何れみな死と言うものに遭遇する。

これだけは絶対の真実である。

この次に・・・・・

 

 

 

 

 

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自然の摂理

2020-01-30 14:51:24 | 随想

自然の摂理

近年の自然の空模様、天候の具合は、気圧配置はこの頃年ごとに異常な姿を辿っている。

この後もこの姿が続くとすれば、植物の世界も随分と変化させられることだろう。

植物に限らず、この地球という惑星上の生き物は過酷な条件の中で生きることを強いられるようになるだろう。

花を咲かせたとおもったら、雪がちらつき、埋もれてしまっては果実を、即ち子孫を残す事さえもできなくなってしまうものもある。

如何に自然の摂理とは言え、生き物が子孫を残すことが出来なくては、この地球上から淘汰されてしまうといことである。

先に降った雪の間から顔おだし、ようやく花開いた花たちも、今日降る雪に耐えられるのだろうか。

雪の中から顔を出す草花だけに、寒さや雪などには強い種族とは言っても、咲いてしまったところに雪が積もっては如何ともしがたい。  

雪が自然に溶けるまで果たして雪の中でじっと我慢できるのだろうか。

生きとし生けるものは、自然の摂理に振り回されて生きているのだが、耐えられずに絶滅してしまう諸族も過去数多くあった。

太古から幾多の生き物の種族が絶滅し、また興ってきたことか。

多くの生き物の中で、人間と言う生き物の種族が、傲慢にもその自然をさえ変えようとさえしている阿呆な国さえある。

その為に、現在この惑星に生息している生き物の生存が、危うくなるものがあるとすれば、それは人間と言う生き物の種族の傲慢さによるものといえる。

その人間と言う生き物が己さえも絶滅に追い込む様な生存の仕方をしているとすれば、

この惑星はおのれ自体を食い尽くす人間と言う生き物の存在を許すはずもなかろう。

人間と言う生き物の傲慢さは止まるところを知らず、この惑星の摂理を変える様なことを見境もなく行おうとしている。

この惑星に存在するものを食い尽くし、果てはどうなるのか考える事すら怠っている。

畢竟、人間と言う生き物は、一度はこの惑星から姿を消すことになるのだろう。

この惑星の自然の摂理を変えるほど人間と言う生き物の数が増え続けること自体も、この惑星の自然の摂理に影響を与えているとすれば、

自然はそれを許すはずもない。

この地球と言う惑星が、宇宙の星屑となることなく永遠に存続する為には、この上に生存する生き物を選択し淘汰する必要があるだろう。

いわゆる現代版ノアの箱舟である。

この惑星にとって、神の領域を犯す、とよく言われる様なことを考え、あるいは行う生き物は必要ないのかも知れない。

この惑星はこの宇宙に己を残すための準備を今着々と進めているのかも知れない。

その準備が完了した時、傲慢この上もない人間と言う生き物の種族は、この惑星の上から姿を消し、見ることが出来ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

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人間の無知と知

2020-01-29 19:17:02 | 随想

旧約聖書の創世記においてエデンの園を追われる以前のアダムとイヴがそうであった様に、無知は必ずしも悪徳とはされない。

無知とはある意味では純粋さの象徴であり、

蛇の言葉に従って知恵の実を口にしたアダムとイヴは神の言い付けに背くとともに楽園の住人の資格である純粋さを失ったのである。

神という輩は人間という生き物、いや生きのもすべてが、己のいうままに生きることを己の権威だと思っている節がある。

アダムとイヴが己の言いつけに背いたことに我慢がならず、人間という種すべてにアダムとイヴの犯した罪を負わせようとしている傲慢さが見え隠れしている。

キリスト教辺りではこれが原罪だと言って人間に罪を負わせているのだが、この神というのがヤハウエーという嫉妬の塊みたいな輩であって、

人間という生き物を殺すことに楽しみさえ見出している輩である。

シナイ山しかりバベルの塔しかり、ノアの箱舟に至ってはほとんどすべての生き物を殺戮した輩である。

アダムとイブに知恵の実を食されて、己の言うがままにならなくなっては全能の神だという己に逆らわれては大変に困ったことになったであろう。

ギリシア神話でプロメーテウスが人間に火を与えたために、ゼウスにその身を苛まれることとなったのは、一方から見れば無知が美徳ですらあるためである。

神と呼ばれあるいは自任する輩はその支配下の民草が知恵を持つことを非常に恐れる。

それ故に、神の意志に反することを行ったものには大いなる報復をなしてきた。

それがアダムとイヴでありプロメテウスであるが、神という輩は特にヤハウエーなどの嫉妬心の強い輩は後々のもの達にさえその責めを負わせようとした。

それが、キリスト教による原罪というものの正体である。

 


情けは人の為ならず

2020-01-28 16:57:35 | 随想

項羽と劉邦や平家物語を読むと必ずと云っていいほど思い起こすのは情けを掛けるという事・・・・・

情けは人の為ならず、この言葉をどのように解するはは大変難しい。

情けは人の為ならずとは、人に情けをかけるのは、情けをかけた人のためになるばかりでなく、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。

人には親切にせよという教えとして用いられるのが普通かもしれない。

そうとばかり言えないのが人の世のさだめなのである。

けれども、

人の為ならず、は人の為なりの古語で断定であり、人のためであるという意味、の全体を「ず」で否定していると考えると人のためではない、という意味になる。

情けをかけることは、その人のためにならない、の意味で用いるのは、本来は誤用であるのだが、

本来の意味の言わんとしている事と同じくらいに、解釈を誤っている人が意外に多い。

と言うよりはおそらく人々の半数は誤った解釈をしているのかも知れない。

このような誤用が生じるのは、打ち消しの「ず」が何処に掛かっているかの解釈の相違であるが、

為になる、にかかっていると解釈すると、「ためにならない」という意味になるからである。

国語の問題を解決するために、書いたのではなくこの教訓としていることを実践したがために、

己のいや己を含めた一族すべての命脈を断たれた人々が、中国や、我が国の昔々に起って居る。

 

情けを掛けられた者はいずれも非情にも本人のみならず、一族もろとも滅ぼして全滅させているのが共通している。

そして、己の国を建て栄耀栄華を独り占めしているのも同じであるが、そのいずれもが、殆ど無能に近い輩で、

周りの者に煽られて、情けを仇で返した結果を招いている。

中國のその茫洋とした支配者は天下を永続させたが、我が国のそれは本当に凡庸で能がなかった、ためにその世を継続させることが出来なかったのは只々凡庸で、

周りの者の佞臣、奸臣を見抜けなかった阿呆な処は秦の始皇帝以上であった。

我が国の場合はそれに嫉み妬みが加わった、無能に輪を掛けたものであったが単に、あっさりと乗っ取られてしまっている。

 

扨、中国の史記に書かれているから知る人も多いが、鴻門の会と言う言葉で表される、始皇帝の死後、

秦帝国を滅亡に導くよう決起した劉邦と項羽との会談として知られている。

この時の劉邦の軍事力は項羽のそれにははるかに及ばない。

劉邦はひたすら寛恕を希うところであるが、項羽の側近の多くは劉邦を弑する事を進言するのだが・・・・・

鴻門の会を史記の項羽本紀に従って書くと・・・・・

前206年、漢の劉邦と楚の項羽が秦都咸陽の郊外の鴻門で一触即発の危機を孕んで対決した。

楚漢の争覇戦の端緒となった会談である。

戦いを避けて、安易な南から関中に入ったのは劉邦であり、函谷関の砦に兵を置いて、項羽の侵入を防ごうとしたが、

項羽は一気に函谷関を突破し、鴻門に布陣して、劉邦の軍を殲滅しようとした。

戦力差は歴然としており、劉邦は項羽の叔父、項伯を通じて和解を申し入れた。

劉邦はひたすら謝罪するのみで、項羽も側近の反対を押してまで、謝罪を受け入れた。

 

この時の情けで、劉邦は生き延びて、延々と続く戦いに突入するのだが、何年にも亘って負け続けた劉邦が逆転して、項羽は垓下で自刃する。

重要な戦いの場で、敵将に掛けた情けが仇となって、己だけではなく、項一族すべてが根絶やしにされてしまう。

この垓下で項羽が自刃する時、良く知られた言葉、四面楚歌はこの時に起因する。

楚歌は本来なら自陣から聞こえなければならない、にも拘らず楚歌は敵の陣営から聞こえてきた。

兵のほとんどが寝返ったのだろう・・・・・

 

虞兮虞兮 奈若何   虞や虞や 汝を奈何せん

 

項羽は寵姫に対する憐憫の情をこの言葉で表したという。

断腸の思いであったろう。

何年にも亘って追い続け、逃げ続けた劉邦に今は己が囲まれて終焉を迎えようとしている。

要らぬ情けが仇となって身を滅ぼした。

 

平家物語を滅びの美学という人もいる。

 

この項羽と劉邦の物語を読んでいると、項羽の死にゆく様も何か物悲しい滅びの美学と言えるのかもしれない。

 

同じ様に余計な情けを掛けたばかりに、己一族を滅ぼしてしまったのが我が国でも見ることが出来る。

平治の乱と保元の乱とは共によく知られている、平安末期の平氏と源氏の争いと天皇家内部の権力争いである。

天壌無窮と言い神の子孫であるという天皇家の内部で権力争いをし、手当たり次第に女色を漁る様を見せたり、

今様に狂い臣下の佞臣、奸臣の暴政を放置するなど、秦の始皇帝の暴政など物の数ではない。

この保元、平治の乱のすべての端緒は白河の女色に狂った狂気にある。

白河と言う男、女とみれば、手当たり次第に、昼となく夜と無く閨に引きずり込み犯し、孕めば臣下に払い下げるという悪辣な輩であった。

事の発端は、藤原璋子を白河が己の猶子にするのだが、この璋子も淫乱の相があったのか、十四歳にして間違いを犯し、

親の白河から折檻を受けるが、その白河が猶子の璋子に手を出して、次々に子を産ませるのだが、そうしながら、この璋子を己の息子鳥羽の后として嫁がせる。

因みに猶子とは兄弟、臣籍または他人の子を養って自分の子としたもの。

名義だけのものと世襲とするものとがある。・・・広辞苑による。

それ以後も、己の息子の嫁となった璋子に次々に子を産ませる破廉恥極まりない天皇であった。

この璋子、白河の子を生み、鳥羽の子を生み、十年で七人も産めば満足であったろうが、白河の死後はひっそりとしていたというから、欲求不満ではあったろう。

譲位して鳥羽に皇位を譲ったのちも、実権を握り院政を敷いていたが、依然として女狂いは収まらない。

それから己の子に皇位を継がせたく鳥羽に譲位を迫り、己と璋子の子、崇徳天皇が皇位に登る。

一方、鳥羽は藤原得子に手を付けて子を産ませるが、この得子強かな女で、陰険姑息な手段を使って鳥羽を籠絡し、

崇徳に譲位させておのれの子を皇位に付ける、これが近衛であるが、近衛は若くして死んでしまう。

ここで崇徳は重祚するか、己の子が皇位に付けると思っていたが、今様狂いの後白河が皇位についた・・・・・。

崇徳が譲位するとき、欺かれて皇弟に譲位する形にされてしまって、院政を敷くこともできなかった。

この様な陰険な策を弄する輩が国の支配者であれば国が乱れない筈はない。

この崇徳が怨霊となって様々に祟るのだが、明治天皇が崇徳の怨霊供養を行ったという話もある。

 

白河法皇の女狂いがこの複雑な関係を作り出し、権力争いが激化させ、様々な人間を巻き込んで動乱が始まる。

保元の乱で皇位の権力争いが平氏と源氏を巻き込み、後の論功行賞に不満を持つ源氏が平家との間で平治の乱を引き起こす。

この源氏の義朝は出来のいい武将ではなく、平家に敗れ殺されてしまう。

其の子の頼朝、範頼、義経の三人が殺されるところを、清盛の義母、池の禅尼の差し出口によって命長らえてしまう。

この清盛も白河の落胤で、平の忠盛に下げ渡された女から生まれたと言われている。

その平忠盛の室が藤原宗兼の女で、己の出自を鼻にかけ長男の清盛を差し置いて己の子に平家の跡を継がせようとしていた。

夫忠盛が逝って後、出家して池の禅にと呼ばれる様になるが、平治の乱の後、義朝の子たちが捕えられたとき、

池禅尼は清盛に対して助命を嘆願したと言われている。

義朝の子たちの助命の為に池禅尼が断食をし始めたとも言われており、清盛も遂に折れて伊豆国への流罪に減刑したとも言われている。

清盛のこの情けが平家を根絶やしにすることになる。

この女の差し出口が日本の歴史を変えたともいえる。

大切な時に女の情に絡んだ差し出口は凡そ碌な事にはならない。

頼朝などと言う他愛もない男が、ただ源氏の嫡流と言うだけで兵が集まるのだから人間と言う生き物の頭の中は全く分からない。

楚にしても、平家にしても、滅びの原因は数多くあるが、一つひとつ辿って行くと、項羽の、清盛の情けに行きつく。

楚の項羽の様に、清盛が掛けた情けが平家一族を滅ぼしてしまう。

情けや、恩は着せるものではなく、着るものだとは言うが、戦国の世であっても、太平の世であっても、それは相手に依りけりである。

歴史に若し、などと言うことはありえないのだが、清盛が義朝の子すべてを弑していたら、歴史は随分と変わっていたであろう。

 

情けなどと言うものは戦国の世の武将にとっては禁忌である。

後の世の信長は非情だと言うものが多いが、戦いの中の殺戮は当然の事であり、非難される謂れはない。

非情と言うのは、この保元の乱の後白河の佞臣信西の様な人倫に悖ることを平然と行う輩のことを言う。

当時死刑を宣告されても、実際は罪一等を減じられて、遠流にされていた。

藤原仲麻呂の反乱以来三百数十年、死罪は行われていなかったが、信西が強固に死罪を主張し、罪人は義朝の親を義朝に切らせ、

平家の清盛には叔父、を切らせる死刑の執行を行わせた。

故意に同属の者の処刑を清盛、義朝に強いた、信西の人倫に外れたことを強要する輩が権力を握っていた。

権力を握れば何でもできるという考え、これが日本の歴史なのである。

そんな遺伝子が現代にも脈々と伝わっている。

この様な狂気が朝廷内の権力争に於いてだけであれば、民草には何の痛痒もない。

だが、この様な狂気の持ち主が政を行えば、当然民草に降りかかってくる。

それは過去の歴史が物語っている。

これがただ過去の歴史の中の出来事だけとは言えないところが、恐ろしい。


変転する森羅万象~無用の用~

2020-01-27 15:12:54 | 随想

去来抄に次のような言葉がある。

「蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云う有り。これを二つに分かって数えたまえども、その基は一つなり。

不易を知らざれば基立ちがたく、流行をわきまえざれば風新たならず」  

芭蕉が奥の細道を旅して体得したものでしょう。

これは芭蕉の言葉を弟子の去来が、去来抄の中に書きとめたもの。

不易と流行、この概念と言うか言葉と言うか、現代において事あるごとに思い起こす必要がありそうな言葉である。

不変の真理を知らなければ基礎立ちがたく、すなわち基礎が確立せず、刻々と変わる流行即ち変化する様を知らなければ風新たならず、

すなわち新に進展することが出来ない、と言うことであろう。

ただ大切なことは、その根本は一つであるという事、これは特に心に留め置く必要があり、忘れてはならない。

これは、この不易流行と言われる概念、この殺伐とした激変する世の中を生きていくうえで、自在に使いこなせる能力を養う必要がありそう。

流行を追いかけるばかりが目立つ今の世の中ではあるが、世の中の状況ががどんなに変わろうとも、変えてはいけないもの、あるいは変わらないもの、

すなわち不変の真理ともいうべきものがある。

これが不易と言う概念として現れている。

 

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

とても心にかかる言葉なのだが、方丈記だったかね、鴨長明さん、芭蕉さん、同じ心境かも知れない。

一芸に秀でた人々は、同じような境地に達すると見える。

この世の中のあらゆるところで、会社企業などでも十分に活用できる言葉であろう。

この世の中と言うより森羅万象あらゆるものが、刻々と変化しているが、その変化の中から、不易なものを生み出してきたのだろう。

激動する世のあらゆるものの生命は短くすぐに変転する。

目先の流行を追い捉われては、河の流れに浮かぶ泡沫の様にすぐに消え去ってしまう。

人間生きるにあたって、その世の中で、必要とされるもの、されないものの真実を見極めなければならない。

必要ないと思われるものも実はとても大切なものであるということもある。

老子に、あるいは荘子に、無の働きとして、無用の用などと言われてきた言葉がある。

 

老子道徳経の上、十一章に記されている無用の用である。

 

三十輻共一轂。当其無、有車之用。        

挺埴以為器。当其無、有器之用。        

鑿戸牖以為室。当其無、有室之用。        

故有之以為利、無之以為用。 

 

読み下すと~

三十の輻、一つの轂を共にす。其の無にあたって、車の用あり。

埴を挺ちて以て器を為る。其の無にあたって器の用あり。

戸牖を鑿ちて以って室を為る。其の無用にあたって、室の用あり。

故に有の以って利を為すは、無の以って用をなせばなり。

 

有に対する無の根源的な働きを説いている。

無があるから有が生きるというのである。

何かがあることによって、利益がもたらされるのは、何もないことがその根底でその効用を遂げているからだ、というのである。

荘子も同じ様に無用の用をことあるごとに説いている。

有用とは・・・役に立つということは大切な事ではあるが、浅はかな人間共の頭で判断する有用など、本当に有用なのか如何、わかったものではない。

老子と同じように、もっと根源的な立場から見れば、人間共の言う有用など取るに足らぬものだというのである。

人間共が無用と捨て去ったものの中に本当に有用なものがあるのではないか・・・というのである。

荘子は 人は皆、有用の用のみ知って、無用の用を知ろうとしない。

憐れむべきことよ、と言って嘆くのである。

ところが、人によっては無用のものも、有用となるという。

道即ち実在の世界において、実在世界の真相を悟る真知を持ち、道と一つになった境地を生きる者、

自己の人生を自己の人生として生きていくもの、そのようなものに掛かれば無用のものも、有用なものになる、という。

ただ、現今そのような人間が存在するかどうかは、利に奔り、欲に奔るばかりでは・・・

荘子はこのように言っている。

木が無用な人間にたいして・・・・・・

お前もわたしも、自然界の一物に過ぎない。

物が物の価値付けをしてどうなるのだ。

価値付けするなら、お前のように有用であろうとして自らの生命を削っているものこそ、実は無用な人間なのだ。

無用な人間に私が無用な木であるかどうかわかるはずはないだろう。

山木は用あるが故に伐られ、灯油は自ら燃えて尽きる。

肉桂は食らうべく伐られ、漆木は用うべく裂かれる。

人はみな有用の用を知りて、無用の用を知らず。

 

 

 

参考

荘子内篇                金谷治 註訳           岩波文庫

荘子                             福永光司著            中公新書 

老子                             金谷治 註訳            講談社学術文庫

去来抄            潁原 退蔵 註訳            岩波文庫