徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

人間という生き物の心の内は~~

2020-11-28 15:57:37 | 随想

人間という生き物の心の内は~~

江戸のころ様々な花が、門外不出の扱いを受けていたことがある。

良く知られているのは花菖蒲。

他犯に流出した疑いで腹を切らされたり、打ち首になったりしたものもいるらしい。

この乙女椿も門外不出の扱いすなわちお止めの扱いを受けたと言われている。

そのお止の椿が乙女椿に転じたという説も名前の由来にしていることも有る様だ。

小さな島に生きる人間っていうのは、所詮はせこい性悪な性格にしか育たないのであろう。

何とも情けない日本人の性格ではある。

 

ところがその様なせせこましい性格というのは何も日本人に限ったことではない様である。

時代が進むに従っていい思い、うまい儲け話などというものが己一人で独占したいというのが人間という生き物の性根の様である。

門外不出になる様な特異なものの発明発見は、現代においては権力すなわち法に依って他人を排除することを考え出した、すなわち特許である。

これなどはおおらかさの欠片もないせこい考えから発した権力作用であろう。

今を考えてみるに、猛威を振るっているコロナ,この特効薬が発見されたとか、されないとか、

これなどはおそらく特許でべらぼうな対価を要求してくることだろう。

人間の薄汚さは他人が如何に困ろうとも己がよければそれでよし、それが人間という生き物の本来の姿なのであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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蛇の目傘~時代が変われば・・・~

2020-11-19 18:29:59 | 随想

蛇の目傘~時代が変われば・・・~

昭和公園の何の変哲もないただの広場に、整然と並べられていた、今までの野暮ったい企画とは一味違っているように思った、いい趣向を凝らしていたいいものだ。

蛇の目など現代では見たこともない人は多いだろうが、まあまあの企画だろう。

いまでこそ、このような装飾的なものとして扱われているが、我の子供のころは実用一転張り。

その時代でも蛇の目は番傘と比べると高級品。蛇の目もこの様な文様を描かれると、芝居の小道具としても使われたことだろう。

子供はほとんどが番傘を差して登校したものだ。

蛇の目は字の示すように蛇の目をイメージして作られた雨具であるが、分厚い油紙に粗削りな骨の番傘がよく出回っていた。

江戸の中期までは町人たちはこのような雨具はなくほとんどが菅笠に蓑、蓑さえも無く、尻端折りをしてずぶぬれになって、走り回っていたらしい。

番傘の謂れは商店が顧客に貸し出すためのもので、屋号と番号を書いていたというところらしい。

江戸のころは人々はとにかく貧しかった。

町人に限らず武士も並みのものは、借金にまみれていたのだろう。ただ武士という矜持にすがっていいていた。

裕福だったのは賄賂にまみれた一部の高級官僚であったに過ぎない。

それゆえ雨が降った方と言って、今の様な雨具など及び持つ方なったろう。

政治を行うものの人間としての矜持を捨てて、富に群がった、他人のことなど構ってはいられなかった、それは今も昔も変わらないであろう。

短絡的な阿呆がコロナを理由に己の金を配るが如く、ありとあらゆるところに金をばらまいた。

もらった方は喜んでいるのか、この後何十年にもわたって、子孫の代までその回収に苦しめられることも考えず、

馬鹿な為政者っていうのは、あらためて国民のために働くなどと宣言してはばからないが、政治屋などというものは、国民のために働くだけのために、

貧しい中から高額な銭を払っているのである。

改めて国民のために働くなどと言われると、では今までは何をしていたのか、誰のためにと、問いたくなる。

それはさておき、現代では蛇の目を誂えるには形ばかりは蛇の目以外のもの除けは、万以上、ものによっては一桁上のものになるのかも・・・・