(Johnny Kitagawa、1931年10月23日 - 2019年7月9日)
ジャニーズ事務所創業者。
日本名は喜多川 擴(きたがわ ひろむ)。
英語名はジョン・ヒロム・キタガワ(John Hiromu Kitagawa)。
2023年3月7日、英国国営放送BBCは、ジャニーによる少年アイドルへの性的虐待と日本メディアによる黙殺の異常性を報道した
「これを我慢しないと売れないから」
英BBCが報じたジャニー喜多川氏の性加害
元ジャニーズJr.が顔出しで衝撃告白
イギリス時間の3月7日午後9時、英国営放送「BBC Two」のゴールデンタイムで、1時間の番組が放送された。
タイトルは、『Predator:The Secret Scandal of J‐Pop(プレデター~Jポップの秘密のスキャンダル)』
ここで“プレデター(捕食者)”と名指しされている人物。それは2019年に死去したジャニーズ事務所創業者、ジャニー喜多川氏(享年87)である。
番組はジャニー氏を「Jポップ界のゴッドファーザ―」と表現。ジャニーズのアイドルがメディアを席巻し、街を歩けば、至るところに、グッズ、広告などあらゆる姿で存在している様子を映し出す。そして、レポーターはこう切り出した。
〈しかし、何十年もの間、ジャニー喜多川にはある疑惑がつきまとっていました。事務所に所属する少年たちに、性的虐待を加えていたという疑惑です〉
『プレデター』には被害を受けた元ジャニーズJr.の男性3名が、顔を出して登場する。ジュニアの少年たちは“合宿所”と呼ばれるジャニー氏の自宅マンションに呼ばれ、食事をし、お風呂に入れて貰う。そして寝室でジャニー氏にマッサージをされ、徐々に彼の手が下がっていく……。
『プレデター』はジャニー氏の性的虐待の被害者の告白を、初めて取り上げたテレビ番組となった。 中でも印象的だったのが、30年以上前にジュニアだったハヤシ氏(仮名)の告白だ。
時折、声を詰まらせながら、彼は初めて合宿所を訪れた日にジャニー氏に夜通しマッサージをされ、別の日にはジャニー氏から、「口でされた」とも明かした。また他のジュニアからは「これを我慢しないと売れないから」と言われたという。
番組には週刊文春の記者も出演している。というのも、日本のメディアが沈黙を続ける中、この問題を唯一正面から取り上げたのが1999年10月から14週にわたって展開した小誌のキャンペーン報道だったたからである。 一連の記事で、最も深刻な問題として告発したのが、ジャニー氏による性的虐待だった。 「ユー、今日ウチへ来る?」 との誘い文句で少年たちを“合宿所”や、滞在するホテルの部屋に招き、行為を繰り返していたのだ。 キャンペーン開始後の1999年11月、ジャニー氏と事務所は、小社・文藝春秋に対し名誉毀損の損害賠償を求めて提訴。審理では、ジャニー氏本人や記事で証言した少年2人も出廷した。 2002年3月の東京地裁判決は少年らの供述の信用性を認めず、小誌が敗訴。メディアはその事実を大きく取り上げた。だが東京高裁では状況が一転。2003年7月に下された判決ではジャニー氏の性虐待について、こう論じられている。 〈原告喜多川が(中略)セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである〉
ジャニー氏の性的虐待を認定し、名誉毀損には当たらないとしたのだ。重要視されたのがジャニー氏の証言だ。 少年たちの性的虐待についての告白に対し、法廷で「彼たちはうその証言をしたということを、僕は明確には言い難いです」と述べていたのである。 その後、ジャニーズ側は最高裁に上告したが、2004年2月に上告棄却。高裁判決が確定した。
司法によって認められた、日本で最大の売り上げを誇る芸能事務所のトップによる性加害の実態。
だが、一審判決を扱ったスポーツ紙らは、掌を返したように一切触れず、全国紙も朝日と毎日が小さく報じたのみ。
テレビは言うに及ばず、広告業界も何事もなかったかのように、ジャニーズ事務所のタレントの起用を続けた。 『プレデター』でレポーターを務めているジャーナリスト、モビーン・アザー氏は、小誌の取材に対し驚きを隠さなかった。
「事実とわかったにもかかわらず、社会的に問題にされなかったことに衝撃を受けました。彼はジャニーズ事務所を運営することを許され、何十年もの間、国の宝として崇められてきた。掘り下げれば下げるほど、よくわからない話でした」 ジャニー氏が社会的に弾劾されることはなかった。それはジャニー氏に“生き方を改める必要はない”と思わせたのだろうか。彼は判決後も再び同じ過ちを続けていた。それが今回のBBCの取材で明らかとなっている――。
3月8日(水)12時配信の「 週刊文春 電子版 」および3月9日(木)発売の「週刊文春」では、かつて『週刊文春』が報じたジャニー氏のおぞましい性加害の実態、『プレデター』のディレクターが明かす番組制作の経緯、アザー氏が最もショックを受けた被害者たちの証言、番組取材陣が指摘する日本メディアの問題点、性加害問題に対するジャニーズ事務所の回答、当時の担当記者たちが明かす1999年当時の取材の裏側などを詳報している。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年3月16日号)
1960年代初頭、ジャニーは自分の居住していた東京都渋谷区・代々木の在日米軍宿舎「ワシントンハイツ」にて、近所の少年たち約30名で構成された少年野球チームのコーチを務めていた。
そのチーム名は、「オール・ヘターズ」「オール・エラーズ」を経て、「ジャニーズ少年野球団」となった。
ある日、雨で野球の練習ができなくなり、このチームのメンバーの中から渋谷区立代々木中学校の生徒4名を選抜し映画館に連れて行く。
そして、そこで鑑賞したミュージカル映画『ウェストサイド物語』に一同感動し、エンターテインメント事業を興業することを決意した。
1962年(昭和37年)4月、自身が結成させた野球チームのメンバーである4名の少年により最初のグループであるジャニーズ(通称・初代ジャニーズ)を結成する。
ジャニーが事務所に所属する男性タレントに対して猥褻な行為を行っているという噂は1960年代からあった。そして、テレビや主要な新聞以外の日本の一部出版社でのみ報じられていた。
例として、後述の株式会社文藝春秋の週刊文春(1999年10月以降)、鹿砦社(1986年以降)、データハウス(1988年以降)など、一部出版社では報道や出版自体はされていた。
週刊文春は、2023年3月時点でも日本の主要メディアが沈黙を続ける中で、問題を唯一正面から1999年10月から14週にわたって取り上げたことを誇っている
- 元フォーリーブスの北公次による『光GENJIへ』シリーズ(データハウス、1988年)
- 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるによる『さらば!!光GENJIへ』(データハウス、1989年)
- 元ジャニーズの中谷良による『ジャニーズの逆襲』(データハウス、1989年)
- 平本淳也による『ジャニーズのすべて―少年愛の館』(鹿砦社、1996年)
- 豊川誕による『ひとりぼっちの旅立ち - 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(鹿砦社、1997年3月)
- 元光GENJI候補の木山将吾(山崎正人)による『SMAPへ - そして、すべてのジャニーズタレントへ』(鹿砦社、2005年[26])
など、事務所に所属したタレントらにより事務所の内情を取り上げたいわゆる「暴露本」が出版された。1988年(昭和63年) - 1989年(昭和64年/平成元年)に『噂の眞相』がこの問題を数回取り上げた。2021年(令和3年)1月2日にはこの問題に対し、かつてジャニーズJr.だった人物「A」(仮名)がインタビューに応じた。内容としては、ジャニー喜多川とジャニーズJr.の何人かが性的な関係を持っており、自ら望んでジャニー喜多川と肉体関係を持つJr.もおり、背景にはジャニー喜多川がタレントのデビューに関して強い決定権を持っていた権力構造があると証言している。Aは2011年に入所しており、計算上は2010年代にも行われていたということになる。
1999年(平成11年)、『週刊文春』がジャニーズ事務所に関する特集記事、「ホモセクハラ追及キャンペーン」を掲載し、
喜多川が所属タレントに対して性的虐待を行い、事務所では未成年所属タレントの喫煙などがあると報道した。
これらの記事は衆議院の特別委員会でも取り上げられ、これに対し、ジャニーとジャニーズ事務所側は記事が名誉毀損であるとして、
文春に対し1億円あまりの損害賠償を要求する民事訴訟を起こした。
2002年(平成14年)3月27日の一審判決では記事で証言した少年2人も出廷したものの東京地裁は、
文春側に880万円の損害賠償を命じた。そのため、文春側はこれを不服として東京高裁に控訴した。
地裁は少年らの供述の信用性を認めず、週刊文春が一審で敗訴した際には、日本のテレビや新聞などメディアは大きく取り上げた。
2003年(平成15年)7月15日の二審判決では、
「ジャニーが少年らに対しセクハラ行為をしたとの証人少年A、同少年Bの各証言(一審と共に法廷で証言)はこれを信用することができ、
これらの証拠によりジャニーが、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったりデビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、
セクハラ行為をしているとの本件記事は、その重要な部分について真実であることの証明があったものというべきである」
としてジャニーによる所属タレントへの性的虐待を認定した。
このため、性的虐待部分の勝訴は取り消され、損害賠償額は一審の850万円から120万円に大幅に減額された。
今度は、ジャニー側が損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、
2004年(平成16年)2月24日に最高裁から棄却された(藤田宙靖裁判長)。
最終的に120万円の損害賠償・ジャニーによる所属タレントへの性的虐待は事実であるとの認定が確定した。
喜多川が所属タレントに対して性的虐待を行い、事務所では未成年所属タレントの喫煙などがあると報道した。
これらの記事は衆議院の特別委員会でも取り上げられ、これに対し、ジャニーとジャニーズ事務所側は記事が名誉毀損であるとして、
文春に対し1億円あまりの損害賠償を要求する民事訴訟を起こした。
2002年(平成14年)3月27日の一審判決では記事で証言した少年2人も出廷したものの東京地裁は、
文春側に880万円の損害賠償を命じた。そのため、文春側はこれを不服として東京高裁に控訴した。
地裁は少年らの供述の信用性を認めず、週刊文春が一審で敗訴した際には、日本のテレビや新聞などメディアは大きく取り上げた。
2003年(平成15年)7月15日の二審判決では、
「ジャニーが少年らに対しセクハラ行為をしたとの証人少年A、同少年Bの各証言(一審と共に法廷で証言)はこれを信用することができ、
これらの証拠によりジャニーが、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったりデビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、
セクハラ行為をしているとの本件記事は、その重要な部分について真実であることの証明があったものというべきである」
としてジャニーによる所属タレントへの性的虐待を認定した。
このため、性的虐待部分の勝訴は取り消され、損害賠償額は一審の850万円から120万円に大幅に減額された。
今度は、ジャニー側が損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、
2004年(平成16年)2月24日に最高裁から棄却された(藤田宙靖裁判長)。
最終的に120万円の損害賠償・ジャニーによる所属タレントへの性的虐待は事実であるとの認定が確定した。
週刊文春が2019年7月25日号で「本誌しか書けない稀代のプロデューサーの光と影 ジャニー喜多川審美眼と『性的虐待』」と題し新証言を報じている。
嵐のメンバーと同年代の元ジャニーズJr.が、ジャニー喜多川の誘いに抵抗したらステージの隅に追いやられたこと、
ファーストキッスはジャニー喜多川だったこと
などをインタビューで答えている。
2021年1月2日には元7 MEN 侍のメンバーだった前田航気が海外向けエンタメニュースサイト「ARAMA!JAPAN」でのインタビューで
ジャニー喜多川が最晩年まで性的行為を続けていたことを証言しており、中にはジャニー喜多川と自ら性交渉するJr.メンバーが複数人いたことも明かしている。
BBCは、ジャニーの性加害を題材とした長編ドキュメンタリー『Predator: The Secret Scandal of J-Pop』を制作、
イギリス時間で2023年3月7日午後9時(日本時間の3月8日午前6時)からBBC Twoで放送。
ジャニーの性加害の被害者である元ジャニーズJr.へのインタビューや、ジャニーズ事務所への直接取材が断られる様子などが放映された。
日本でも英国での放送後の3月8日の昼頃に、YouTubeのBBC News Japan公式チャンネルで3分37秒間の日本語字幕付きのダイジェスト動画を公開し、
3月下旬にはBBCワールドニュースで 『プレデター~Jポップの秘密のスキャンダル』と題して放送される予定
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