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北九州監禁連続殺人事件 不審死した32歳女性と2歳の娘

2023年01月29日 | ヒトゴロシ




“金づる”になった後に…不審死した32歳女性と2歳の娘は
「北九州監禁連続殺人事件」の8、9人目の犠牲者だったのか

 福岡県筑後地方出身の末松祥子さん(仮名、死亡時32)は、“金づる”を求めた松永太(逮捕時40)に誘惑されて、1993年4月に家を出ると、7月に夫と離婚する。しかし、10月に連れていた2歳の娘(莉緒ちゃん=仮名)が北九州市小倉南区のマンション内で“事故死”してしまう。さらに本人もその5カ月後の94年3月に、大分県別府市の海に入水して“自殺”した。

 松永太と緒方純子(逮捕時40)が2002年3月に逮捕されたことで明らかになった、この母子2名が死亡した案件については、すでに発生から30年近い年月が経過している。  今回、私が訪ねたのは筑後地方にある祥子さんの実家だ。02年6月に彼女の父である末松行雄さん(仮名)を取材して以来、20年ぶりの訪問となる。  玄関先に姿を現したのは、祥子さんの弟の末松国雄さん(仮名)。私が20年前に行雄さんから話を聞いたことを伝え、しばらく立ち話をしていると、彼は自宅に招き入れてくれた。  祥子さんと国雄さんはふたり姉弟。聞けば母親は17年に亡くなっており、行雄さんも数カ月前から病気療養のため入院中だという。 「姉(祥子さん)は、県立の××高校を卒業して、福岡市内のビジネス専門学校に行きました。そこを出て、久留米市内の保険や不動産を扱う会社に就職。結婚したときはその会社を辞めて、瀬高町(みやま市)のレンタルビデオ店で働いてました」  なお、松永と緒方の福岡地裁小倉支部での裁判における、松永弁護団の冒頭陳述には、松永と祥子さんとの出会いについては以下のような説明がある。 〈被告人松永は、中学生当時に同級である末松祥子とかねてから顔見知りになっていたが、被告人松永が20歳のころ、日渡恵一(仮名、松永の経営する布団訪問販売会社「ワールド」元従業員)を通じて祥子と再会したのを契機に、同女と交際するようになり、祥子は、被告人松永の経営するワールドにも出入りするようになった〉  あくまでもこの内容は、松永の主張に基づいたものであることをお断りしておく。松永と祥子さんは同い年であるが、中学校は別の学校に通っている。そして20歳のときということは、祥子さんが福岡市内の専門学校か久留米市内の会社にいた時期ということになる。国雄さんもこの頃に、祥子さんが誰と付き合っていたということまでは記憶にないそうだ。また、松永という男の存在についても、02年に彼が逮捕されてから、警察が捜査にやってきたことで初めて知っている。 
「姉は見合い結婚で、最初は気乗りしなかったようです。とはいえ向こうの実家に住み、子供も生まれていましたから、離婚とかそういうことは想像もしていませんでした。ただ、姉は普通の人でしたけど、やっぱり松永から、なにかうまいことを言われて、そのときの生活を退屈に感じて、夢を見ようとしたんじゃないでしょうか」  祥子さんが家を出たことの理由について、松永弁護団の冒頭陳述には以下のようにある。 〈祥子は、夫の母と折り合いが悪く、夫の母に何も言ってくれない夫A(原文実名)の態度にも不満を抱いていた。  被告人松永は、平成5年(93年)4月ころ、祥子から夫の母と折り合いが悪く家を出て夫と別居したいという悩みを聞き、力になってやることとし、祥子のために、広田由紀夫(仮名、監禁被害少女の父)の仲介で、北九州市小倉南区に「横代マンション」(仮名)を見つけ、祥子名義で賃貸借契約を締結した。祥子は同月29日ころ、3人の子供を連れて家出をし、同マンションに居住するようになった〉  そこで祥子さんは夫のAさんに対し、「離婚せんなら子供を道連れにして死ぬ」と言い、Aさんは自殺を思いとどまらせるために離婚を決意して、93年7月に協議離婚の届けを出している。国雄さんは言う。 「うちの親父と旦那さん(Aさん)は、姉から別府にいると聞いていたから、現地に一緒に探しに行ったりしてました」  だがそれは、居所を偽装するため、松永が祥子さんにつかせた嘘だった。祥子さんは北九州市に住んでいたが、父親や前夫への電話では「別府にいる」と話し、「3人の子供を養うのにカネがいる」と送金を依頼する際には、別府市内の郵便局を指定して、局留めで送るように伝えていたのである。 

 離婚の3カ月後である93年10月に、祥子さんが連れて出た三つ子の娘のうち、莉緒ちゃんが、「横代マンション」で死亡する。頭を強く打ったことによる急性硬膜下血腫とのことだった。この案件は密室での事故であることから、莉緒ちゃんの遺体は解剖に付され、現場にいた祥子さんと緒方のふたりが警察による事情聴取を受けている。繰り返しになるが、あくまでも松永の主張に基づく、松永弁護団による冒頭陳述では次のようにある。 〈(松永は)祥子、被告人緒方、(松永と緒方の)長男と共に大分に行き午後10時すぎころ「横代マンション」に帰宅した。同日、祥子の子供たちは「横代マンション」で留守番をしていた。被告人松永は、台所でビールを飲んでいると、同日午後11時ころ、祥子が、「莉緒がけいれんしちょうけんちょっと見て。」と呼びに来たので、奥6畳間に行くと、莉緒が上を向いて手足を震わせていた。被告人緒方はこれを見て、「さっき見たときは走り回りよった。」と言い、祥子は、「さっき吐いた。おなかがおかしいとやろうか。」、「あのコピー機から飛び降りたりするとよ。ちょっとあぶなかとやけん。頭とかもちょこちょこ打つよ。」と言った。 
被告人松永が、祥子に対し「病院に連れて行ったほうがいい。」と言ったことから、祥子は、被告人緒方の付添いで莉緒を病院に運び、手術してもらったが助からず、翌29日、莉緒は死亡した〉  三つ子は2歳になったばかり。そんな小さな子供だけで留守番させていたことにも驚くが、緒方と祥子さんのやり取りも、いかにも取って付けたような言い回しである。国雄さんは言う。 「その後の姉の水死については自殺だったかもしれませんが、娘の死は密室でのことですからね。私はこちらについては事件ではなかったのかと、疑問に思っています」 

祥子さんが別府湾で“自殺”したのは、その5カ月後のこと。〈被告人緒方は、××ビルに引っ越した平成5年11月ころ、莉緒の件で警察に調書を取られたりして心労もあったが、落ち込むこともなく明るく振る舞い、頑張っている様子であった。むしろ祥子の方が、莉緒の死からなかなか立ち直れずにいた〉(同冒頭陳述より)と、祥子さんが莉緒ちゃんの死で苦しんでいたことを強調し、自殺説に近づけるような流れになっている。そして祥子さんの自殺については、以下の説明がなされた。 〈被告人松永は、平成6年(94年)2月27日ころ、被告人緒方、長男及び祥子と別府に行き、同年3月31日まで××(原文実名)というラブホテルに連泊した。祥子は、同月31日午後4時30分ころ、被告人緒方、長男と共に、別府市役所に転入手続をするために行った。その帰り、祥子は××(車名)を運転してホテル駐車場に戻った後、突然走り出して別府の海に飛び込んで自殺した。(中略)  被告人松永は、被告人緒方から祥子が逃げた旨の報告を聞き、ホテルの窓から警察の船やパトカー、救急車を見るなどしたことから、祥子が海に飛び込んで自殺したのであろうと判断し、祥子の××を被告人松永が運転して被告人緒方、長男と小倉に戻った〉  国雄さんは当時を振り返る。 「遺体は親父が別府に引き取りに行きました。葬儀は自殺ということもあって、身内だけで行い、遺骨はいま納骨堂に入っています。姉が死んだ後、じつはそれまで姉が業者に転送電話の契約をしていて、それを自殺直後に誰かが解約していることがわかったんです ね。なので、第三者が姉と一緒にいたのだろうとは思っていました。ただそれがこういうことだったとは、松永らが逮捕されるまではわかりませんでした」  この転送電話とは、祥子さんが父親の行雄さんに対して、「今後なにかあるときは弁護士を通して欲しい」として伝えていた電話番号だと思われる。そこで電話に出た弁護士を名乗る男は松永であったと、02年になって、行雄さんは捜査員から説明を受けている。

 祥子さんの死で新たな“金づる”を求めた松永と緒方は、続いて北九州市内の住まいを仲介した広田由紀夫さん(死亡時34)をターゲットとして、金銭を搾り取った末、96年2月に殺害。さらに、由紀夫さんの高校時代の同級生だった男性の妻である原武裕子さん(仮名)を、夫と離婚させて“金づる”とした後に、北九州市小倉南区のアパートで「監禁致傷」と「詐欺・強盗」事件をはたらき、97年3月に逃走した彼女に重傷を負わせたのだった。  そして緒方が松永のもとから逃げ出し、大分県湯布院町に職を求めた通称「湯布院事件」では、緒方の親族を呼び出して、緒方が末松祥子さんと広田由紀夫さんを殺害したと説明。それを契機に彼らを支配下に置き、後の6人殺害(うち1人は傷害致死)に繋がったのである。なお、松永と緒方の裁判において、緒方が祥子さんを殺害したとの松永の話は、緒方家を従わせるための彼の嘘であったと認定されている。  今回の取材で、松永と緒方の事件発生時から取材を続けた元福岡県警担当記者は明かす。 「莉緒ちゃんと祥子さんの死については、裁判で争えるだけの証拠がなかったことから、立件はされませんでしたが、実際の状況については、両方に松永が絡んでいると考えられています。まず莉緒ちゃんの死については、警察も検察も松永が逆さにして両足を持ち、床に落としたと見立てている。というのも、監禁致傷などの被害に遭った原武裕子さんがアパートに監禁されていたときのことについて、彼女が連れていた当時3歳の次女に対して、松永が玄関先でそうやって脅したとの証言があるのです。  そのときは脅しだけで、実際に落とすことはありませんでしたが、同証言を得たことで、捜査関係者は莉緒ちゃんも同様のことをされたと確信しています。あと、祥子さんについては、彼女の自殺であることは間違いないのですが、松永が自殺に仕向けたと考えられており、松永の供述のなかで『自殺教唆は取れた』と聞いています。ただし、緒方の証言は取れていないとのことでした」  私の手元には、家出前の祥子さんがまだ幼い莉緒ちゃんを抱く写真がある。そこで笑顔を見せる彼女と、母親の腕にしがみつく娘は、私利私欲のために他人を踏み台にする男と関わってしまったばかりに、無辜の命を奪われたのだ。  もし莉緒ちゃんが生きていれば、現在31歳である。 

◆ ◆ ◆  福岡県北九州市で7人が惨殺された“最凶事件”発覚から20年。事件を追い続けてきた筆者(ノンフィクションライター・小野一光氏)が「地獄の連鎖」を徹底的に描いた書籍『 完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件 』(文藝春秋)が刊行されます。




 








 
 
 
 
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