保見光成(ほみ・こうせい)被告
山口連続殺人放火事件
郷地区出身である H は、農林業を営む両親の次男として産まれ、中学卒業後上京し土建業に従事、
30代のころからタイル職人として神奈川県川崎市で暮らしていたが、
「自分の生まれたところで死にたい」と1994年に44歳で帰郷し、実家で両親の介護にあたった。
川崎在住時Hは左官として働いており、帰郷した際には左官の技術を生かして自宅を建築し、
地元のテレビ番組や新聞にも取り上げられるなどし、近隣の家の修繕などもしていたが、
本人の難しい性格も災いして、両親と死別した後、地区住民とのトラブルが相次ぐようになった。
地区住民との対立
40代の頃、Hは地区の「村おこし」を提案したが、地区住民はそれに反対し、軋轢を深めた。
回覧板を受け取ることもなく、自治会活動にもほとんど参加していなかった。
また自宅にマネキン人形や実際は作動しない監視カメラを設置したこともあった。
またHは2011年1月ごろ、「集落の中で孤立している」「近所の人に悪口を言われ、困っている」として、周南署に相談していたことがわかった。
近隣住民はHがそこまで追い詰められているとは思っていなかったという。
精神安定剤の服用を始め、薬を飲んでいるから人を殺しても罪にならないなどの発言もしていたという。
農薬散布のトラブル
Hは農薬の散布を巡っても、近所の住民とトラブルを引き起こしていた。
家の裏で、勝手に農薬や除草剤をまいたという。被害に遭った女性Cの夫は周囲に不安を漏らしていた。
飼い犬をめぐるトラブル
Hが飼い始めた犬(ラブラドール・レトリバー2匹)に対し、地区住民が「臭い」と苦情を言ってトラブルになり、
住民に「血を見るぞ」「殺してやる」と大声を上げたこともあったという。
その他H本人が周囲から受けたと語る被害
「寝たきりの母がいる部屋に、隣のYさんが勝手に入ってきて、『ウンコくさい』と言われました」
「Yさんは、自分が運転する車の前に飛び出してきたこともあった」
「犬の飲み水に農薬を入れられ、自分が家でつくっていたカレーにも農薬を入れられました」
「Kさんは車をちょっと前進させたり、ちょっと後退したりということを繰り返し、自分を挑発してきました」
「車のタイヤのホイールのネジをゆるめられたこともあった」
「悪者にされ一人死んでたまるか」
山口の限界集落で起きた連続殺人犯人が書いた“ポエム”
保見光成は、もともとの名前を「中(わたる)」という。そのため村のものは皆、保見のことを「ワタル」と呼んで話す。事件直前のワタルは、関東に住んでいた時の人物像とはまるでかけ離れた攻撃的な村人として、郷集落で敬遠されていた。妻の聡子さんを殺害された河村二次男さんが言う。
「うちの田んぼがワタルんちの前にあった。そこで女房が仕事をしとると、ワタルが家から窓開けて、歌を歌うて、おびくわけ。おびく、っちわかるかな。罵る、ちゅうこと。カラオケでギャーンと流す、そういうことしよった。女房は『気持ち悪い』っちゅうけど、わしは『取り合わんがいい』と言いよったんよ。
女の人は集まって井戸端会議とかするじゃないですか。それを、まあ、ワタルの家の前に鳥居があるからね、そこで山本さんとうちの女房が話をしよったら、ワタルが外に出てきて犬の散歩がてら『お前ら殺したろうか』っちゅうわけ。『お前らふたりじゃつまらんけ、もう何人か連れてきてやっちゃろか』と。そういうこと言うわけ。
女房がワタルの向かいの家に行っとるときに車で送って、お宮の前に車停めて、向こう見とったらワタルの家の方向くでしょ。そうしたら『お前、何の用事があるんか』と言ってくる。そりゃあね、わしらも多少、あれやったけど、田舎のものにあげなこと言うたら恐れる。あれは恐ろしい」
道ゆく村人たちに食ってかかり、時には殺害まで仄めかす。完璧な“危険人物”に成り果てていたようだ。
別の住民も「貞森誠さんがワタルに掴みかかられた」、「棒みたいなん持って犬を散歩しよった。会うと『10人くらい殺して死のうと思う』とよう言いよった。思いがあったんか、なんなんか。それを、わしはなんでとは問わんよね、怖いから」など口々に振り返る。
「夕方にカラオケかけて歌いよった。5時ごろ出たら歌ってるよ。『およげ!たいやきくん』やらね、そういう歌よ。すごい外に大きく聞こえるように。マイクをこうね。山側のほうに向けてね」
食ってかかるだけでなく実際に暴力も振るい、挙げ句の果てに毎日のようにカラオケを大音量で流して熱唱していたというのだから、たしかにこれは、田舎のものでなくとも、恐ろしい。
一方、当のワタルは一審・山口地裁の被告人質問で、当時の生活パターンをこう証言している。
「最後はわからなくなった。朝5時半、散歩して、家でカラオケ。事件の2~3 カ月前はなんもやってなかった。ポケーとして声を出すこともなかった。人の話を聞きたくない」
郷集落に戻ってきた当初、ワタルが自宅の窯で陶芸をやっていたことを覚えていた村人もいたが、それもいつしかやめていた。
ワタルは村人たちにその言動を不審がられていたが、家の中はそれにも増して不気味だった。地下のトレーニングルームを中心に、自作の“ポエム”がびっしりと壁に貼られていたのである。一審公判の証拠調べで、法廷の大型モニターにその様子が映し出されている。傍聴した記者やマニアは一様に、この写真のことを真っ先に挙げ「すごかった」と興奮して語るほどだ。
「何かしなければ全て認めて死ぬことになる 悪者にされ一人死んでたまるか」
「試合である 警察に訴えない 病院代の請求 遺恨残さず」
「あなたの性根の悪さがよく分かる がまん がまん がまん いつまでどこまで リオブラボー」
「もんぺ下げ 散歩の亀に 餌をやる」
「無神経 なのに 神経痛」
「玄関前に横たわる ぴくりとも動かない 仇討ち」
これらの不穏な“ポエム”は、村人への恨みからくるものなのではないか? そう一審公判で検察官が追及したが、ワタルは否定していた。こんな調子によってだ。
「ルームの紙は両親が亡くなった後、書いた。どういうつもりでって……つらい気持ちで書いた。見る時はなんともないです。子供がいじめられて日記書くでしょ、死ね死ね死ねとか。吐き出してすっきりする。そういうもんです」
そうは言っても、すっきりできなかったから事件は起こったのではないのか。
事件直前は村の危険人物に成り果て、草むしりなどの集落の作業にも、自治会の仕事にも参加せず、回覧板も受け取らない生活をしていたワタル(保見光成の通称)。自治会は、ひとり暮らしの者には馴染みのないものかもしれないが、その地に根を張り、他の住民らと共存していくためには重要な組織だ。
自治会では冠婚葬祭や清掃、その他諸々の行事をともに協力して行う。物理的に、作業は増えるが、地域に自分の存在を知ってもらえるため、見守りや防犯といった観点からは安心が得られる。自治会に入らなければ、回覧板も届かなくなり、おのずとコミュニティからは浮いた存在になりがちだ。
ワタルもまた、最初から孤立していたわけではなかった。
関東に出る前の幼少期は、ガキ大将として近所の子供を引き連れて遊んでいた。連れ回されるのがいやで、子供たちはたいてい、ワタルが遊びに来る前に出かけるようにしていたという。その一方で、いじめられていた同級生を守ってあげたこともあった。
1996年5月に郷集落に戻って来たばかりの頃も、いわゆる“変人”ではなかったのだ。まず、戻った翌月に自治会の旅行に参加した。その翌月に開かれた自治会による歓迎会にも参加して、自己紹介をし、村人たちの輪の中にすすんで入ろうとしていた。2日連続の公民館行事にも参加した。旅行でのワタルの様子を覚えている村人はいない。ということは、逆に言えば取り立てて何も問題がなかったのだろう。
歓迎会でワタルは、自分がこの地で何をしたいか、村人たちに提案をしていた。公判を傍聴した先のマニアが、この当時の情報を教えてくれた。
「本人に面接して本鑑定を行った精神科医が、『彼は村おこしに失敗した』と言っていました。その一言だけで、具体的には何に失敗したのか言っていなかったんです。本人は手に職があるからバリアフリーをやってみたり、年寄りが多いから色々と電気の付け替えとか、便利屋さんをやろうと思っていて、戻って来た年に、あの新しい家で『シルバーハウスHOMI』を開業したんです。そこでやっぱり介護とかデイサービスみたいなこともやろうと思ったんじゃないですかね」
ワタルは独力で建てた新宅で、リフォーム業を主とする便利屋を開業しようとしていた。すでに過疎化が進んでいた村を盛り上げたいという意思を持っていたという。実際、新宅は村おこしの拠点にしようというワタルの思いが込められた造りになっている。
「気軽に集まってもらったり、お酒を飲んで歌ったり、話をしたりしたら楽しいよね」
ある村人は、ワタルからそう言われたことを覚えていた。いま草に覆われている新宅の扉の奥には、カウンターバーがあり、カラオケ機器も当初から取り付けられていた。地下にはトレーニングルーム、さらには陶芸のための窯もあった。ワタルはこの家を村人たちの交流の場として作ったのだ。
日々ドアを開けてふらっと訪れる村人たちと、カウンターでお酒を飲みながら交流を深め、地元を盛り上げるための色々な案を考えていきたい……そう夢見ていたという。
保見光成死刑囚(73)が
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