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チャーリー浜、2021,4.18.死去

2021年04月22日 | 社会
 1991年に日本新語・流行語大賞にも選ばれた「~じゃあーりませんか」などのギャグで人気を集めた吉本新喜劇座員のチャーリー浜さん(本名西岡正雄)さんが18日午後6時41分、呼吸不全と誤嚥性肺炎のため大阪市内の病院で死去した。78歳。大阪市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。21日、吉本興業が発表した。間寛平(71)ら吉本の後輩から追悼の声が相次いだ。



 タレントの池乃めだか(77)は21日、所属する吉本興業を通じて、同じ新喜劇の座員として長らく一緒に活動してきた1歳年上の先輩、チャーリー浜さん(享年78)の死を悼んだ。  当初、松竹芸能に所属し、10年後の1976年に同事務所入りしためだかにとって、62年から吉本にいたチャーリーさんは新喜劇で10年以上先輩だった。お互いにまだ若かった頃はよく一緒にゴルフに行く仲だったといい、「その頃からずっと変わらず、いつもにぎやかでユニークな方でした」と回想。かつてテレビ番組のロケで一緒に海外へ行くこともあったが、「芸人として青春時代を共に過ごした仲間がいなくなることに寂しさを感じております」と舞台上で一緒に暴れ回ることがなくなったことをさみしがりながら「ご冥福をお祈りいたします」と結んだ。  チャーリーさんは「~じゃあーりませんか」のギャグが1991年に日本新語・流行語大賞に選ばれた。92年、上方お笑い大賞金賞。「ごめんくさい」「君たちがいて、僕がいる」などのギャグでも親しまれた。めだかも間寛平(71)とのコンビで若い頃に人気者になり、現在に至るまで重鎮として活躍している。



チャーリーさんは、厳しい先輩として知られながらも、「師匠」と呼ばれることを嫌った。往年を知る吉本新喜劇の元座長、辻本茂雄(56)も、ありし日をしのんだ。 競輪選手を目指したが、けがで断念。お笑いの道に進んだ辻本は、チャーリーさんを「優しく、紳士な先輩でした」と語った。 「チャーリーさんには結婚する前から妻と一緒に食事に連れて行っていただきました。会うたびに嫁の名前を言って『元気にしてんのかぁ?』って優しい声を掛けてくれました。いつも紳士で優しい先輩でした」 ただし、そんなチャーリーさんも、ある瞬間に一変する。それが「師匠」との呼び声だった。 「でも、師匠を付けて呼ぶと、紳士から豹変して『師匠言うなぁ!』と、100メートル先まで聞こえるくらいの声でキレられました」と言う。堅苦しさを嫌ったのか、チャーリーさんはこう呼ばれると怒った。 私生活でも結婚、離婚を繰り返し、辻本は「4回も結婚したプレーボーイの憧れの先輩でした」としのんでいた。



 吉本新喜劇座長の小籔千豊(47)が21日、所属事務所を通じ、18日に亡くなったチャーリー浜さん(享年78)をしのんだ。  小籔は「先人の頑張りがあったから僕は吉本新喜劇でおらせていただいています。流行語大賞をとった新喜劇の人間はチャーリー浜さんだけです。全国の方々に吉本新喜劇を知っていただくきっかけを作った最大の功労者のひとりであり、偉大な先輩です」と功績をたたえ「もちろん、いつかこういう時が来ると覚悟していました。いつまでもいていただけるとは思っていませんでしたが非常に残念です」とその死を惜しんだ。  型破りなエピソードも伝わるチャーリー浜さんだが、小籔は「教えていただいたり、怒られたり、褒めていただいたり、励ましの言葉をかけていただいたり、無茶なお願いも快諾していただいたりと、僕は大変お世話になりました」と感謝。  続けて「舞台でなくともずっと芸人でいらっしゃいました。時に見せる素の部分は人間らしい方でした。皆さんが思う変なチャーリー浜は演じられている部分が多分にあったと思います」と思いをめぐらせた。



 お笑いコンビ「メッセンジャー」黒田有(51)が21日、大阪市のなんばグランド花月で行われた本公演に出演。吉本新喜劇座員のチャーリー浜さんが18日に、誤嚥性肺炎のため78歳で亡くなったことを受け、新喜劇座員の胸中を気遣った。
 出番前に浜さんの訃報を知らされたという黒田は「まだあまり深いことは分からないんですけど、ビックリしました」と言葉少な。最後に会ったのは2年ほど前のロケだったという。
 黒田の後に出番を控えていた新喜劇座員も同じタイミングで訃報を知らされたそうで、「彼らは先輩やから僕よりもつらいやろうしね。それでも、舞台の様子見たら、ワァーってやってるから、悲しみこらえながら舞台やってる感じが見えて、いたたまれなかったです」と新喜劇座員の胸中を気遣った。

 お笑いタレントのレイザーラモンRG(46)が21日、ツイッターで18日に死去した吉本新喜劇座員のチャーリー浜さん(享年78)の思い出をつづった。
 若手時代、吉本新喜劇に入団したRGはチャーリー浜さんに世話になったようで「チャーリー浜師匠…僕が新喜劇の若手だった15年くらい前に『お前に芸名を授ける!お前は今日から『六本木アキラ』や!』と芸名をいただきました」と芸名にまつわるエピソードを明かした。
 その名前はかつてチャーリー浜さん自身が使用しようと考えていたといい、「『ボクが『チャーリー浜』と迷った名前や!』と。師匠にいただいた『六本木アキラ』というキャラをこれから育てていきます!ご冥福をお祈りします」と亡き師匠を悼んだ。



 お笑いコンビ・ウーマンラッシュアワーの村本大輔が21日、ツイッターで吉本新喜劇座員のチャーリー浜さんの死を悼んだ。
 村本は「よくあの芸人は面白くないとかあの芸人は笑えないとか芸人をやってるとそんな声を様々聞くけど、それで食えてる芸人は誰かには笑えなくても違う誰かを笑わせてる」と独特の表現でチャーリー浜さんの芸のすごさをつづった。
 続けて「ましてや入れ替わりの激しい場所で何十年もずっとやってる人は物凄い人だと思う。チャーリー浜さんお疲れ様でした」とチャーリーさんの功績をたたえた。


 
 
 
 
 









 
 
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