すそ洗い 

R60
2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

土田一徳の場合

2023年06月21日 | 社会
土田 一徳(つちだ かずのり、1969年6月28日 - )

  • 1985年3月、事務所に入所してすぐに男闘呼組の結成メンバーとなり、キーボードを担当。同年4月からはテレビ朝日の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』にも出演した。しかしその後、約1ヶ月ほどで男闘呼組のメンバーから外されてしまった(但し、1986年4月の男闘呼組のファーストコンサートにはゲストMCとして出演している)。その後、1985年12月からのテレビドラマ『毎度おさわがせします2』への出演が決定。以後は、俳優業を専門に活動した。
  • 1987年後期にジャニーズ事務所を退社後、約1年間のブランクを経て、1988年後期に新たな芸能事務所に所属。2年間に渡り俳優活動を再開したが、1990年の後半、出演していたテレビドラマ『スクール・ウォーズ2』の撮影が終了すると同時に芸能界を引退した。
  • 2000年代に入り、劇団「はなまる大作戦」を立ち上げ、舞台俳優として活動する。また、アメブロでブログも開設した。このブログで土田姓から坂井姓に改名したことを明かしている。2009年からは芸能プロダクション「株式会社i-Factory」を設立し、自ら所属タレントのマネージメントをするなどしたが、2013年初頭にブログとプロダクションのウェブサイトを閉鎖した。

土田一徳がクビにされた真相に深い闇を見た…ジャニー喜多川の誘いを断り、蹴り一発で「男闘呼組」から消えた後のまさかの職業と死亡説の真相とは…その現在に涙が止まらない…

土田一徳がジャニー喜多川からの“性の誘い”を断った理由や言葉に出せない“被害”の内容に驚きを隠せない…「毎度おさわがせします」でも有名な俳優のまさかの現在の姿に言葉を失う…

「ユー! ズルいよ!」
性加害を拒否した僕にジャニー喜多川は言った 
男闘呼組・元メンバー土田一徳氏「35年目の告白」

「異質な世界なんですよ。誰かが触られていても、それが日常で、なんか特別なことっていうわけでもないような世界」  そう“合宿所”の空気を表現するのは、土田一徳氏(53)。昨年から活動を再開したジャニーズ出身のロックバンド・男闘呼組のメンバーだった人物だ。

 土田氏がジャニーズ事務所に入ったのは、高校に入学した1985年春のことだった。小さい頃からピアノを習っていた土田氏は、ジャニーズにいた知人から、 「男闘呼組というバンドを作る。キーボード奏者が必要だから」  と勧誘を受けたという。  当時原宿にあったジャニー氏の自宅マンション、通称「合宿所」に行き、男闘呼組のメンバーと対面した。 「マッチはもう出て行っていて、少年隊、男闘呼組、中村繁之君らが住んでいた。ジュニアも時々泊まりに来ていました」 

 そこでジャニー氏とも初めて会った。リビングのソファに座るジャニー氏は、初対面の土田氏を、「おいで」と隣に座らせると、服の上から身体を撫でた。 「ベタベタ触られて。腕やお腹なんかをずっと擦られてました。でも、周りにいた男の子たちは平然とファミコンをしていた。5人以上はいたと思います」  その後、ジャニー氏に「ご飯行こう」と誘われ、岡本健一、高橋和也、成田昭次と一緒に、新宿のロイヤルホストに行った。 「ユー。やっちゃいなよ」  そう言われて、土田氏は正式にジャニーズで活動することになった。 

「『ユー。泊まりなよ』と言われたけど、初めて会った人の家に泊まるのは抵抗があった。それで『遅くなっても帰ります』と言って、その日は帰りました」  その後、土田氏は親にも許可を取り、合宿所で生活するようになる。 「毎日メンバーと今後について話したり、渋谷にあるスタジオで練習する日々。みんな家に帰らず、合宿所から学校に通いました。僕は1年生の途中で留年が決まってしまったので、通信制の学校に転校しました。卒業したのは20歳になる頃です」  そして18歳になっていた1987年の終り頃のこと。 「ドラマも仕事もないときでした。ジャニーさんから『いっぱい出てるんだから、もったいないから、今後を考えなきゃいけないよ』と言われて、よろしくお願いします、とジャニーさんのアクション(仕事の指示)を待っている状態でした」 

合宿所を訪れた土田氏は夕方、部屋着に着替えて、疲れてマットで横になっていた。 「ちょうど、男闘呼組のメンバーがいなくて、ジャニーさんの他は、家政婦と数名のジュニアだけ。合宿所はガランとしている状態でした。しばらくすると布団の中にジャニーさんが入ってきた。『とうとう、俺のところにきた』と思って」  ジャニー氏は、土田氏を後ろから抱きしめてきた。 「後ろから触られて、嫌だった。振り返って押そうと思ったら、ヒザがジャニーさんのお腹にドーンと入ったんです」  するとジャニー氏は、 「ユー! ズルいよ!」  と言ったという。
「それは鮮明に覚えてる。なぜそう言ったのか理解できなかったし、今でもわからない。すぐ着替えて合宿所を飛び出しました。そこで我慢しようとか、そんなふうに思わなかった。非日常的なことが起きるなかで、自分はそこに対して、違和感はずっと持っていたから」

その日を境に合宿所に行かなくなかったが、ジャニー氏からも、男闘呼組の仲間からも連絡はない。翌年、男闘呼組はCDデビューする。 「僕に対して、商品価値があると思ったのならば、呼び戻されたでしょう」  いま土田氏は、東京から離れた地方で暮らしている。 「この問題で、僕みたいに芸能界を離れて暮らしていた人間もネットで晒され、死亡説まで立てられた。周囲にも『ジャニーズにいたよな』と変な目で見られる。日常が脅かされているので、事実と違うことは違うと公にしないと生きていけない。それで取材を受けたのです」 

ジャニーズ事務所に土田氏の証言について事実確認を求めたが、 「現在、再発防止特別チームによって検証頂いている内容であるため、回答を差し控えさせて頂きます」  このほか、6月21日(水)12時配信の「 週刊文春 電子版 」および6月22日(木)発売の「週刊文春」では、土田氏が明かす男闘呼組の演奏の裏側、俳優業での苦悩、ジャニーズ退所後の日々、合宿所の部屋でジャニー氏が上着を脱いで裸になったので逃げ出した元ジュニアの告白、合宿所の風呂にジャニー氏がジュニアと一緒に入っていたことなどについて詳報している。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年6月29日号)


 

 

 

 

 

 

 
 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オクス駅お化け | トップ | 中村一也の場合 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

社会」カテゴリの最新記事